アタウアルパ・ユパンキの素晴らしき詩の世界 XI
3月16日に行う、ニューヨークエリアのラテンアメリカ系コミュニティー主催によるアタウアルパ・ユパンキへのオマージュ・コンサートの冒頭において、私が奏でるオリジナル・ギターソロ、’風が歌う地-ユパンキに捧ぐ‘をバックに、一遍の壮大な美しさに満ちた詩作が女声の朗読によって読みあげられます。
それが、’歩く大地’と呼ばれた、この南米に生をうけた偉大なる巨人の、その哲学の原点ともいえる、’Tiempo del Hombre (ティエンポ・デル・オンブレ)’です。
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ティエンポ・デル・オンブレ(アタウアルパ・ユパンキ)
私の血のなかを航海する 宇宙のひとかけらは
輝かしく果てしない 星の世界
それは長い道のりを 数千年のときをかけて
私のもとにやって来たもの
それはおそらく私が 地上にたちこめる大気のもと
砂地として存在していたときのことそののち私は 一本の木となる
その木の根は 希望という言葉をもたず
水のない 砂漠の静寂におしつぶされていた
やがて私は 貝がらを背負う一匹のカタツムリとなり
そしてはじめて 海が囁く’言葉’を聞くすると筋肉と涙とが 普遍の一体をつくり
人のすがたとなって 歩きはじめる
老いた大地は混沌とし
やがてサフランが 菩提樹が 唄が
そして祈りがそこに生まれるこうして私は 南米の地に
ひとりの男として生まれた
パンパに ジャングルに そして山々にいだかれ
平原児であった祖父が 私のゆりかごのまわりを馬で駆ければ
もうひとりの祖父は 静かに葦の笛で物語を聞かせてくれた私はものごとを学んだりしない
そしてとくに理解しようともしない
私がわかること それはすべてまちがいのないもので
かつて私が すでにもう知っていたことだけ
私は山のなかの木の葉と話し
彼女たちは私に その根の秘密を語ってくれるこうして私は 世界を歩く
年月にも 目的にもとらわれることなく
ともに歩んでくれる 宇宙によって守られながら
ひとすじの光を 川を
静けさを 星を愛し
そしてギターを花で咲かせる
なぜなら私は 一本の木なのだから
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‘ティエンポ・デル・オンブレ’というのは、スペイン語でたいへん素晴らしい響きをもつものですが、日本語に訳すと’人の時間’、’人間のとき’などとなってしまい、あまりいい訳が見つかりません。
よってタイトルには特に訳をつけず、’ティエンポ・デル・オンブレ’とそのままにしました。
‘Hombre’は、英語の’Man’に相当する’男’をさす言葉で、やはり英語同様、幅広く’人間’を意味します。
なお、これまで私のウェッブサイトにおいてご紹介しているユパンキの素晴らしい詩の数々の日本語翻訳は、すべて私自身がおこなっているものです。
原語の素晴らしさが生む感動を日本語になおして伝えるのはたいへん困難なことですが、できるだけベストに近い状態に近づけるよう努力しています。
この詩は、そのなかでももっとも翻訳がむずかしいものといえるでしょう。
‘ティエンポ・デル・オンブレ’は、ユパンキの名著、’風の歌’の冒頭11ページにおさめられています。
“私はものごとを学んだりしない”と言うユパンキでしたが、実は7、8歳の頃、後年その人生にすこぶる大きな影響を与えることになる、あるクラシックギターの名手に師事していました。
それより以前に、習っていたヴァイオリンのレッスン中ビダーラ(フォルクローレのリズムのひとつ)を弾いたことで、理解のない教師をひどく怒らせ、ヴァイオリンの弓でたたかれるというたいへんつらい目にあったユパンキ少年を、優しい彼の父はたいそう不憫に思い、当時、ブエノスアイレスきっての名ギター演奏家であり名教授であった、バウティスタ・アルミロンのもとにつれてゆくのです。
ユパンキは、そのときのことを’風の歌’のなかでこう記しています。
“マエストロ(アルミロン)の前に立った少年。それは私の人生において、そして音楽への情熱において決定的なできごとだった。永遠ともいえる素晴らしいギターの世界に足をふみいれるまさに瞬間。それはまだ8歳にもなっていなかった私が授かった栄えある贈り物だった。バウティスタ・アルミロンの門下生になれるなんて!”
“やがて私は、ギターという楽器がたんにガウチョの調べを奏でるためにあるのではないことを知る。
それはパノラミックで、無限に深い魔法の世界だった。”
“マエストロが弾くソルやタレガ、アルベニスやグラナドス、また編曲されたシューベルトやリスト、ベートーヴェン、バッハ、そしてシューマンらの調べは、彼の家のパティオに咲き乱れるバラを美しく彩り、田舎生まれの私を、まさに祝福された新しい世界へと誘い、それらのメロディーはまた、私がこれまでに聴いて育った心に響くガウチョたちの哀愁の調べとまったく変わらない、同じ清らかさに満ちたものだということを気づかせてくれたのである。”
“それから長い年月がたっても、私の音楽に捧げる愛と敬愛のなかでバウティスタ・アルミロンの存在はすべてであった。私の家は貧しかったため、結局彼のメソッドを修了することはかなわなかったが、このとき学んだ新しい世界はしっかりと私の魂になかに刻印され、二度とはなれることはなかったのである。
ギター!光を、そして悲しみを、道をたずさえたギター!むせび泣く、オーロラのようなギター!それは私の血を分けた姉妹であり、私の永遠の情熱なのだ!”
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この”ティエンポ・デル・オンブレ”は、このあとバッハの名作、「リュート組曲第一番」の冒頭ナンバーである”プレリュードBWV996″に置き換えて演奏を行い、結果私を、のちにカーネギーホール出演へと導く重要なカギのひとつとなりました。
私自身の演奏による”プレリュード”。
どうぞこちらのページでお楽しみください。