アタウアルパ・ユパンキの素晴らしき詩の世界 X
石のチャカレラ(アタウアルパ・ユパンキ)
ほら カミナンテ(旅人)が歌ってる
それはたくさん歩いた旅人さ
いまじゃ セロ・コロラドで静かに暮らしてる
どこへゆこうとも
俺は歌を 風にのせる
俺は果物をたっぷりと実らせる木
*ミストルの木のようさ
馬に鞍をのせて 俺は砂地を進んでく
はるかな道の途中でも ここじゃあつらいことなどみな忘れたよ
**カミニアガ、サンタ・エレーナ、
エル・チュルキ、ラジョ・コルタード
こんないい里 ほかにはないさ
ビバ!セロ・コロラド!タラの木の木陰
若い娘の声で 俺は急にわれにかえる
“シーッ みんなが来るわ!”
悲しみによく効く薬をあんたにやるよ
ごつい雄イグアナの脂に いい薬草がよくまじってる
石のチャカレラ 粋な***クリオジータ
月のでない晩には 山にひとりでおはいんなさんな
カミニアガ、サンタ・エレーナ、
エル・チュルキ、ラジョ・コルタード
こんないい里 ほかにはないさ
ビバ!セロ・コロラド!
*
南米や、温暖地方に育つ樹木。
**
コルドバ州北部の国道沿いにある集落の名。
サンタ・エレーナは、セロ・コロラドへの玄関口ですが、バスをここで降りるともう一般の交通手段がないため、私はサンタ・エレーナのバス停そば、ラロというおじさんが営むバーでくつろぐトラックの運転手に頼んで荷台にのせてもらい、これまでに三度セロ・コロラドまで行きました。
こういった経験が、いまの私の音楽を強く根底で支えています。
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南米生まれの娘
この場合、女性名詞の’チャカレラ’を擬人化してひっかけてあります。
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セロ・コロラドとは、スペイン語で’赤い山’という意味です。
この村には文字通り、夕陽をあびると真っ赤に染まる岩山があり、それがそのまま土地の名前となりました。
‘石のチャカレラ’とはすなわち、’セロ・コロラドのチャカレラ’と考えていいでしょう。
ユパンキは、ブエノスアイレス州の小さな村で生まれましたので、このセロ・コロラドは郷里ではありません。
しかし、”もう20年も前、花咲き乱れる道が私をセロ・コロラドへと導いた。 ここにはホテルもなく、ガソリンスタンドもなく、電気もない。 つまり完全な場所だということだ…。”と、その名著書である’風の歌’にも記したように、この土地をアルゼンチンのどこよりも愛していました。
(”はあ、電気もねえ!ラジオもねえ!”という歌が日本にもありましたネ!)
‘チャカレラ’は、まさにこの地方で生まれたリズムです。
ベース音を刻む親指と他の指の複雑なコンビネーションによるギターソロも魅力的ですが、醍醐味はやはり歌つきのものです。
8小節の短い詩節からなるひとつの句が、やはり交互に現われる8小節の間奏とともに4回にわたって盛り上げてゆく進行を二度くりかえす構成で、これにはいきな’シャレ’や’オチ’などの言葉遊びがふんだんに使われるため、間奏の部分になると観客はドッと歓声をあげ、独特の手拍子をたたき大喜びします。
“悲しみを癒す特効薬をやる”と言われてそれがなにかと思えば”イグアナの脂肪に薬草をまぜたものだ”(ナンダそりゃ?!)ということになり、自分たちのアイデンティティーともいえるクリオージョ民族文化の’チャカレラ’に対して、’山にひとりで行かないように”などとオチをつけるナンセンスさを、この地方の素朴な人々は夜を徹して楽しむのです。
もちろん’チャカレラ’はこういった’シャレ性’の強いものばかりではありません。
ロマンティックな恋愛や、ドラマティックな内容も歌われます。
アルゼンチンの一地域だけでこんな魅力的な文化があるわけですから、ラテンアメリカのフォルクローレの奥の深さについてはまさに無限と言っていいでしょう。
こと音楽に関してのみ言えば、ラテンアメリカのそれは本国スペインやポルトガルを遥かに凌いでいるといって間違いありません。
少々蛇足めきますが、バッハの器楽曲などでおなじみの、一般にスペインを起源にもつと思われている’シャコンヌ’や’サラバンド’や、フラメンコの重要なリズムのひとつである’ファンダンゴ’などは、実は中米がルーツなのです。
ユパンキとバッハは、時代と場所はちがえども、こういったもともと庶民のものであった舞曲に対して新たな生命をあたえ、さらに芸術的昇華をさせたという点で、まったく同じクオリティーの仕事をしたのだと私は思っています。
曲の性格上この’歌入りのチャカレラ、’日本ではあまり演奏しませんが、こちらのアルゼンチン・コミュニティーなどで演奏する際には、決して欠かすことのできないレパートリーのひとつとなるのです。