アルゼンチン建国200年記念コンサート&ディナー成功

Esto es para vos. ¡Querida Argentina!

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3月20日、ニューヨークのグスタヴァス・アドルフス教会にて行われた、’アルゼンチン建国200年記念コンサート&ディナー’が、無事成功裏に終了しました。


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この日は、なんといってもアルゼンチンのスペシャル・イヴェントですから、本来、むせび泣く、アルゼンチンのグレゴリオ・カブラルさん製作のギターを使いたいのは当然のことでしょう。
しかし今回、この教会の礼拝堂に限って、突き抜けるような輝きをもつ高音に、芯とヴォリュームを豊かに湛えた中低音を併せもつ、スペインのイグナシオ・ローサス氏製作による楽器のほうが妥当と判断。
この日、スペイン生まれの美しいギターは、自作ソロの’風が歌う地~ユパンキに捧ぐ’や、バッハの’シャコンヌ’などをはじめ、姉妹国アルゼンチンの調べの数々を、礼拝堂のきわめて優れたアコースティック感に見事にとけこむ音色でうたいあげてくれました。
写真は、リハーサル時のものです。

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そして本番。
私はこの日、全10曲中、8曲までが歌入りというプログラムを披露。
初心に戻り、’ラマ追い馬子の歌’や、’ヌンカ・ハマス’といった、ユパンキによる真珠のような小品も演奏しました。

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(写真左)そしてラスト。
ヒロシマ~忘れえぬ町のあと、スタンディング・オヴェーションに応え、ユパンキも生前録音したバッハの名カンタータ、’主よ、人の望みの歓びよ’、そして’コンドルは飛んでゆく’、さらに’花祭り’とたたみかけるスペシャルメドレーを、昨年のアルゼンチン総領事館におけるリサイタル時にプレゼントされたポンチョをまとい演奏。

(写真右)ポンチョをプレゼントしてくださったのは、人呼んで’ニューヨーク・ガウチョ’のルイス・ラレーアさん。
今日はバリッとキメて登場です。

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コンサート後は、教会のサロンに場所を移してのディナー。
本格的なタンゴショーもはいるサーヴィスぶりに、みな大満足。

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お客様と楽しいひととき。

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¡Bailamos(Let’s dance!)

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来る4月17日にお世話になる、ジャパニーズ・メディカル・ソサエティー・オブ・アメリカの皆様もかけつけてくださいました。

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日本人でありながら、ロイター通信の記者として多忙な日々を送り、さらにその傍ら映画監督として活躍なさる我謝京子さん(写真中央)。
私にしてみれば、彼女こそが真の国際人です。。
しかし我謝さんは今日、「とてもすばらしいコンサートでした。”音楽が目に見える”ということを、わたしも感じることができました。また、史朗さんが日本、アルゼンチン ニューヨークをなんなく行き来する様子が、真の国際人としての生き方だなとわかりました。ほんとうにすばらしい世界をみせてくださいまして感謝しています。」と、嬉しいメッセージを送ってくださいました。
私はまた、我謝さんがこの日、あでやかな着物姿でいらしてくださったことを、本当に嬉しく思いました。
写真左の女性は、作曲家のイェーツ容子さん。
我謝さんの映画の音楽を担当された、素晴らしいアーティストです。

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コンサート後、アルゼンチンの皆さんからいただいた素晴らしいプレゼントは、パジャドール(アルゼンチンの吟遊詩人)ご用達(?)、”コンフント・マテーロ・トリープレ(トリプル・マテ・コンボ)’と呼ばれる、’マテ茶三点セット’。
水筒のように持ち運びができ、(パジャドールたちはかつて、ポンチョに身を包み、ギターとこの三点セットを馬の鞍に吊るして旅をしていたのでしょう)これさえあればいつでもどこでもマテ茶が楽しめるという一品です。
いただいたお花も、すべて家にもって帰ってきました。

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はじめてニューヨークにやってきた1988年。
私は、アルゼンチンという国がどこにあるのかも知りませんでした。
しかし現在、私にとってこの国のことを思わない日は一日たりとてありません。
私はアルゼンチンとその国の人々によって、こんなに素晴らしい経験をさせてもらっているのです。
コンサート後、多くの人々から、「日本人のあなたが、私たちの国の文化を、こうして高いレヴェルで紹介してくれることを心から感謝しています。」と嬉しい言葉をいただきました。
しかし私の音楽は、まだまだ不完全です。
私はこれからも初心を忘れずに、この美しい音楽を独自の文化としてもつアルゼンチンの皆さんに恥じないような演奏をしてゆきたいと思っています。
¡Gracias Argentina!