組曲「SONOKO 園子(仮面の告白)」三島由紀夫へのオマージュ初演と、イタリア人から学ぶこと

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今年の4月の東京二公演において、目下いちばん気に入っているオリジナル・ギター独奏曲を初演した。

今も我が国が世界に誇る文豪・三島由紀夫の長編小説「仮面の告白」のヒロイン・園子の類い稀なる美しさ、そして崩壊を迎える悲痛な心の叫びを描いた三部形式組曲「SONOKO 園子」である。

現在、僕の音楽の一番の大ファンは、あるイタリア人男性で、会ったことはないが、僕がFacebookに投稿すると、必ずそれについてコメントをくれ、このところ僕は、そこから多くの、特にヨーロッパの歴史について学んでいる。

自分で楽器はプレイしないが、音楽芸術を愛し、若い頃、かなり放浪したようで、ユパンキに触発され、彼のルーツを探るためにスペインのバスクまでさすらい歩いたそうだ。

僕は本来ローンナーで社交性を欠き、とりあえずSNSはFacebookのみやっているが、あまり大勢の面識のない人々とコミュニケーションを取るのは苦手。
だが、この彼はすでに一ファンではなく、僕の「アミーコ(友だち)」と言っていい。

なぜ南米のユパンキが、ヨーロッパで受け入れられたかの大きな理由についても、僕は彼から学んだ。

僕は、三島由紀夫については簡単な略歴以外特に知識があるわけではない。が、「近代能楽集」や、作曲にまで至った「仮面の告白」は、心酔と言っていいほど素晴らしいと思っている。
世界でこれだけ、特にヨーロッパにおいて未だに人気を博しているのは、やはり彼らにはない、きわめて優れた日本的な感覚によるものだと思っていた。

このジョールジオという名のイタリア人は、言葉の端々から、やはり自分たちイタリア人(特に中世末期あたりまで)が最も優れているということがうかがえるが、そのイタリア人が絶対作れないもの二つとして、ペルシャ絨毯と、僕の組曲「SONOKO 園子」をあげるくらい、僕のこの新作ギター曲を愛してくれている…

ジョールジオによると、三島由紀夫という人は、ただ単に日本的感覚に優れていただけでなく、偏見の強いヨーロッパ人にとっても全く文句のつけようのないくらい、欧州世界の歴史や細かい文化にまで精通していたようで、そのあたりの(僕たちが決して気づくことのない)オーセンティックな裏付けが、死して50年以上経っても、すでにその名も過去のものになりつつある本国よりも、未だ愛読者を多く産んでいる最も大きな理由らしい。

三島由紀夫のような人は、もう我が国には現れないだろう

生粋のヨーロピアン、ジョールジオの「お墨付き」新作ギター曲をお楽しみいただければ嬉しい。
ライヴ一発撮りによる、弾きっぱなしの全三楽章12分。
もちろん勢い余ったミストーンもあるが、僕はこのプレイをたいへん気に入っている。

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これは、約一月ほど前に、Facebookに投稿した、早朝午前7時前の、ニューヨーク・ミッドタウン、近代美術館(MOMA)で撮影された2枚のスナップ。

この写真に対してジョールジオからきたコメントをご紹介したい。

僕にとって作曲というのは「滑走路」のようなものであり、それを聴いたリスナーが、それぞれの解釈によってイマジネーションの翼を広げたところでひとつの作品として完成する。

ジョールジオは僕にとって、願ってもない「リスナー」のひとり。こういうファンがヨーロッパにいてくれるというのは、実に嬉しいことだ。

僕のイタリア語からの翻訳は、決して完全ではないが、以下どうぞ😊

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“ (写真のビル群には)曲線がなく、すべてのエッジが直角で、90 年代のビデオ ゲームのグラフィックのように見えます。なぜ三角形の部屋がないのか、なぜ古代には柱が円筒形だったのかを考えたことはありますか?
よかった、この写真にシロがいてくれてよかった、そうでなかったらすべてがエッジだった…

年老いて病気になっているので、私はイタリアの敵、教会の敵、芸術の敵と戦うことにすべての時間を費やしています……

キリストよりも古い古代のグノーシス派の異端から始めていますが、それは過去5世紀の歴史が、すべてを非神聖化し、啓蒙主義の無神論とフリーメーソンにつながるプロテスタントの異端が、神を認めないことで魂を否定し、芸術は何の役にも立たず、美しさすらなくなってしまったことをより鮮明にしています。

それらの言葉は……主義モダニズム、共産主義、機能主義……で終わると私は思うのです……

大きなガラスの箱(ビル)は進歩の象徴としてクリエイトされてきました。が、それは誤った近代性の象徴であり、外部にスペースのない檻、強迫的なモジュール性、そしてそれは単一所有権であるため、資本の独占者にとってのみ理想的なものです….

ある建物はすべてが合成であり、これらのものはほとんどすべてがナチュラルではありません。自然な素材が使われ、人間のための空間が作られていたときとは明らかに一線を画すものです…
たとえこのこととは関係がなかったとしても、私は今の世の中で、シロとの出会いで自然と調和する機会を得ました。シロのギターは木製で、エッジのないすべての曲線です。“