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Retrato de Silverio Franconetti
1. Café cantante (Singer’s cafe)
2. Retrato de Silverio Franconetti (Portrait of Silverio Franconetti)
Mi nueva obra para solo de guitarra inspirada por un destacado poema de Federico García Lorca, que voy a estrenar en Tokio (Sala de recital de Tokyo Opera City en 17 de marzo de 2023.)
My newest work inspired by Garcia Lorca‘s stunning poem which I’ll premier in Tokyo (Recital Hall at Tokyo Opera City on the 17th of March, 2023.
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シルヴェリオ・フランコネッティの肖像
1 カフェ・カンタンテ
2 シルヴェリオ・フランコネッティの肖像
来春3月17日金曜日に予定している、東京オペラシティ、リサイタルホール公演の第二部オープニングナンバーとして初演予定の新しいギターソロ。
シルヴェリオ・フランコネッティというのは、1831年、イタリア人の父親とスペイン人の母親の間に、セビージャ(セビリア)で生まれたフラメンコの大歌手で、彼の歌がどのように凄かったかというのが、今も、ガルシア・ロルカの残した一篇の詩から覗うことができる。
シルヴェリオは、かのブラームスが史上初のレコーディングを行った1889年に他界しているので、もちろん録音は残っていない。
ロルカ自身(1898年生まれ)も彼の歌声を聴いたことはなかった。
彼は、19世紀当時のことをよく知る年配者たちに取材を行い、この優れた詩を書いたのだろう。
下記のロルカの言葉は、録音された音よりもダイレクトに胸に伝わってくる。
動画にある僕の作曲は、傑作詩集「カンテホンド詩集のなかにある、三篇の詩から構成された「ビニェータス・フラメンカス(フラメンコの歴史漫画集)」の二篇に霊感を受けている。
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「カフェ・カンタンテ」
クリスタルのランプと 緑色の鏡
暗い 板張りの店のなかで 死との会話が続いている
死を呼ぶ…
死は やってこない
再び呼ぶ
人々は すすり泣く
長い絹のドレスの裾の尾が
緑色の鏡のなかで うごめいている
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「シルヴェリオ・フランコネッティの肖像」
イタリア人とフラメンコの狭間
なぜ あのシルヴェリオは あのように歌えたのだろう?
イタリアの濃厚なハチミツと
我々(アンダルシア)のレモンが混ざり合い
シギリジェーロ(フラメンコ歌い)の嘆きの極地まで
彼を運んだのだ
その叫びは すさまじく
年寄りたちは
その歌声を聴くと 髪が凍りつくようだったと語った
彼の歌は 鏡の内側にある水銀を開き
ひとつのの狂いもなく 音の限界をはるかに超越していった
彼はクレアドール(創造者)、そしてハルディネーロ(庭師)
静寂のグロリエータ(四阿‐あずまや‐)のクレアドール
いま その歌声は 響きとともに眠りにつく
究極の清らかさ 最後の響きとともに!
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「カフェ・カンタンテ」というのは、’歌い手のカフェ’という意味の、当時人気のあったタブラオ(フラメンコ酒場)の名で、シルヴェリオ・フランコネッティは、この店の花形シンガーだった。
この人物は、1864年に歌手として本格的活動をする前に、ウルグアイのモンテビデオに暮らした経験がある。
ロルカの詩にはその表記がないが、僕は、このシルヴェリオが、フラメンコの原点といわれる「カンテホンド(深い歌)」の歌手として、なぜそこまで圧倒的な深みを持っていたのかという秘密のひとつに、イタリアのハチミツとスペインのレモン以外に、彼が「南米の深さ」を知っていたからということが挙げられると確信している。
このギターソロは、そのあたりをサウンド表現した作品。
これからいよいよ「カンテホンド・イベロアメリカーノ(南米の深い歌)」のクリエイションに全精力を傾ける僕にとって、「シルヴェリオ・フランコネッティの肖像」は、これ以上のモティーフは考えられない、恰好のインスピレーションを与えてくれるものと言える。
今回のビデオは(初演前なので)、全体の四分の三を収めてあり、あとは’乞うご期待!’というエンディングになっている。
ロルカは生前、あるインタビューで、”現在タブラオなどで歌い踊られているフラメンコは、カンテホンドの退化でしかない”という発言をした。
死との会話が続けられる、暗い板張りの店(タブラオ)。
いま、シルヴェリオ・フランコネッティの歌がどんなに凄かったのかは、このスペインの国民詩人の言葉から十分判断できるが、聴くものの髪を凍らせたという大歌手の死後、20世紀に入ってすでに見世物化したフラメンコに対して、ロルカは決してハッピーではなかったのだろう。
このギターソロは、決してフラメンコではない、しかし、死との会話が続けられていたタブラオにかつて存在した、過ぎ去った昔日の真のフラメンコへの挽歌と言える、僕が現在、最も気に入っている作品だ。
日本語字幕。