バッハ+ユパンキ=時空を超えた二大陸の融合
昨年から、アタウアルパ・ユパンキ生誕100年にあたる今年にむけていろいろなアイディアを練り、そして修練をかさね、コンサートや新しいCDなどで発表してきました。
そのなかにあって、おそらくファイナル・ショウダウンといえるのが、これから行うコンサートのオープニングを、J.S.バッハの’プレリュード’と、ユパンキの’栗毛の馬’でたて続けに飾るという試みです。
(写真は、昨年6月、シカゴにおける公演で、バッハのリュート組曲第一番BWV996’プレリュード’と、アタウアルパ・ユパンキの珠玉の名作’栗毛の馬’をコンサート・オープナーとして初披露した際のもの。 このときは、’プレリュード’にのみダブルネックギターを使用。 前半第一部の厳かなカデンツァ風パートを、12弦上でフラットピックを使って弾き、後半、プレストにテンポアップしたフーガになるところからを6弦にスイッチ。フィンガーピッキングで弾きまくるという、少々トリッキーなことをしました。 今後は、通常の6弦スパニッシュ・ギターを使って、この名曲を演奏することになります。)
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来る10月4日の、ニューヨークにおけるユパンキへのトリビュート・コンサートでは、この’プレリュード’にユパンキの傑作詩、’ティエンポ・デル・オンブレ’をスペイン語の朗読でのせてキックオフとします。
偉大なる巨人の誕生を告げる壮大な詩に対し、あたかも時空を超越したかのような、ミステリアスかつスタイリッシュ、そしてドラマティックなリュート組曲第一番のプレリュードが、まさに絶妙ともいえるレヴェルでフィットするのには、私自身、なんだか嬉しくてニコニコしてしまうほどです。
そして続く、’栗毛の馬’は、’プレリュード’と同じくホ短調。
イントロの際に詠まれる短い詩の部分の、ゆったりとした低音によるドスの利いたギターのコードワークは、プレリュードの厳かな前半部を彷彿とさせ、インテンポになってからの、曲のほぼ全体を支配するリズミックな6/8拍子は、後半、プレストのフーガの流れを汲む展開です。
ユパンキとバッハを続けて弾くなどと言うと、多くの人は驚いたような顔をしますが、ユパンキのギター音楽を深めてゆくと、この巨匠がいかに南米のバッハであったことを痛感するのは決して私だけではないでしょう。
バッハは、ヨーロッパに流行した多くの舞曲を使って数多くの優れた器楽曲を生み出しました。
それは、宮廷で流行していたものもあれば、農民たちのあいだで踊られていたものもあり、また、そのなかには、中米マヤの地から征服者たちによって持ち込まれたものもありました。
そして、それらがまったく同じレヴェルでひとつの精神性を貫いた芸術として完成しているのがバッハの音楽なのです。
いっぽう、それと同じことを南米でおこなったのが、ユパンキであり、ブラジルのヴィラ=ロボスでした。
ヴィラ=ロボスもユパンキも、自らが生を受けた大地に伝わる調べやリズムを深く愛し、理解したうえで、それらに対して敢然と新たな生命を与え、土着の民族舞曲であったラテンアメリカのフォークロアーを、芸術的に最大限に昇華させたのです。
彼らが生前、いかにバッハに傾倒していたということは、もはやここで述べる必要はないでしょう。
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ご紹介するのは、アメリカで、私の前作CD、’マリーア・ルイサ’のプロモーションとして作られたページです。
このサイトの一番下にあるリンクで、私が演奏した、とくにバッハの精神性を感じるふたつのユパンキ作品、’郷愁の老木’と、’こおろぎのサンバ’をお楽しみいただけます。
このふたつのナンバーをお聴きになれば、ユパンキをよくご存知でない方も、私が言わんとすることをきっと理解していただけるのではないでしょうか。
バッハとユパンキは、時空を超えたふたつの異なった大陸において、まったく同じクオリティーの芸術的作業をしていたのです。
したがって、このふたりの音楽をいっしょに演奏するということは、特に驚くようなことではなく、きわめて自然なことといえるでしょう。
もちろんこれらの作品を続けて弾くには、いくら共通性があるとはいえそこは格式高いバロックと土臭いフォルクローレ。
両者のあいだでは、ギターの弦をヒットするアプローチがかなり異なるため、終始一貫して安定した、なおかつ強靭で柔軟な左右の手首のコントロールが必要になります。
現在の私が、もっとも楽しみながら音を作っている作業、すなわち’音楽している’といっていいアクションが、このバッハとユパンキによるコンサート・キックオフにむけてのプレパラシオン(下準備)といえるでしょう。