10月13日からまる一週間、北カリフォルニアでオフを過ごしました。
前半は、ネヴァダ州とカリフォルニア州にまたがる、海抜1,900メートルに位置する美しいリゾート、レイク・タホに滞在。素晴らしい大自然を心ゆくまで満喫しました。
それでは快晴のもと、今回の旅の愛馬、Dodge Grand Caravanに乗って、Let’s hit the roadとゆきましょう!
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California Dreamin’ Part 1
白熱ライヴ@NYインターナショナル・センター
10月12日の夜、ニューヨークシティーにあるインターナショナル・センターで公演を行いました。
オープニングの「兄弟たち」から、ラストの「テノチティトラン-永遠の詩アステカ」まで、会場を埋めたみなさんの熱烈な歓迎を受け、最後は場内大合唱。たいへん気持ちのいいライヴができたと思っています。
俺の庭(?)、ニューヨークにおいての、エクセレントな仕事でした。
写真)ライヴの開催を報じたインターナショナル・センターの月刊情報紙、センター・ニュース10月号
大竹史朗が奏でNY公演熱気に
9.22 ニューヨーク日系人会ホール公演成功
JAA(NY日系人会)でのリサイタルが、成功裡に無事終了しました。
昨年のハンターカレッジ公演から数えて、この一年で3度目のニューヨーク公演。
いくら住んでいるとはいえ、ここで一年の間に3回ものワンマン公演をし、そのすべてがいずれも成功を収めることができたというのは、本当に嬉しいことです。
集まっていただいた多くの皆様に、心から感謝申し上げます。
写真)組曲”ナンブ”第三楽章「南部幻想曲」を演奏中
Southern Landへの想い Final Chapter
1988年に単身ニューヨークに渡り、ユパンキと出会い、そしてギタリストとしていろいろな国で活動をなどと聞けば、すべてがトントン拍子で進んだようですが、実際は決してそうではありません。
いろいろなことがとにかく最悪であった年1991年、私は、知り合いをたよってニューメキシコ州に移り、観光牧場の住みこみ乗馬ガイドとして働き半年を過ごしたのです。
そのとき知り合った数多くの素晴らしい人々。音楽はカントリーしかしらないカウボーイに、素朴で可憐なチカーナ(アメリカ生まれのメキシコ女性)たち。
なんだか開拓民のムードをそのまま残しているような彼らと過ごした時間は、私にとって、多くのことを学んだかけがえのない体験となりました。
そして、アミーゴになった、ナバホの血をひく青年がくれた一冊の本、”ネイティヴ・アメリカン・ウイズダム”。
誇り高き北米先住民の英雄たちの語録集が、ふたたび私に、ニューヨークへ戻るエナジーを与えてくれたのです。
その後私は、ニューヨークのスラム街のバーやクラブでギターを弾きだし、やがて人生を決定づけることになるユパンキの詩、”ヒロシマ 忘れえぬ町”と出会うことになります。
写真)1991年に、New World Libraryから出版された Native American Wisdom。
頭のうしろからコツンとたたかれたようなハッとする言葉の数々に、当時の私はどれだけ勇気を与えられたかわかりません。
彼らのものの考え方は、その後の私に大きな影響を及ぼしました。