shiro のすべての投稿

Chaconne a la Piazzolla ピアソラに捧げる「ブエノスアイレスのシャコンヌ」初演

***

1. The Dreams / Astor Piazzolla (arranged by Shiro Otake)
2. Chaconne of Buenos Aires / Shiro Otake
(14 variations inspired by ‘Vuelvo al sur’)

Will be premiering on Sunday, 26th of November, 2023, at the Setagaya church of Christ in Tokyo.

1.夢 (アストル・ピアソラ、編曲:大竹史朗)
2.ブエノスアイレスのシャコンヌ 
  ~「南に帰ろう」による14の変奏~(大竹史朗r)

2023年11月26日(日)14時40分
東京世田谷キリスト教会礼拝堂にて初演予定

***

1992年のアストル・ピアソラの死後、その至高の音楽は、どうしたわけか、あまり感心できないようなカクテルミュージック風アレンジによって散乱し、特にクラシック系の奏者衆の間に狂信的に広まり、まさに「猫も杓子も」状態となっていたが、やがて失速、「いったいなんだったのか?」というように下火化した。

ピアソラ本来のエネルギーとエモーションが本当に浸透したかといえば、大いに疑問が残る。

僕は中学時代、ユパンキホセ・フェリシアーノ、そしてバート・ヤンシュ(ペンタングル)やスティーヴ・ハウ(イエス)といったギタープレイヤーのレコードを「耳コピー」し尽くしていたが、高校に進学するころにはすでに、当時まだ一般には知られていなかったピアソラの音楽を、まず原調で音を取り、それをギターで弾きやすいキーに移し替える作業などして楽しんでいた。

不夜城ブエノスアイレスのエモーショナルな情景が目に浮かぶような、湧き出る泉のように、そして怒涛のように展開する「上質のサウンド」を、楽譜を一切使わずに行った「独自のアレンジ」。
それは僕に、無意味な音大などに行く手間なく、きわめて高度で、そして自由な音楽理論と作曲理論を学ぶことをごく自然にプレゼントしてくれたのだった。

ピアソラの本来持つエネルギーとエモーションを、自分自身のギターで伝えてゆくのは、「”猫も杓子も”ブームが去りつつある」今が、おそらく最高の時期だと思っている。

これは、ピアソラが1988年にサウンドトラックを担当したアルゼンチン映画「スール(南)」のなかの、僕がとても好きな短いバンドネオンソロ「」をまず冒頭でプレリュードとしてプレイ、そしてそのあと、映画の主題歌的作品「南へ帰ろう」を主題として14変奏を加えた、僕自身長きにわたって取り組んできた「シャコンヌ」をつなげるピアソラ・オマージュ。

シャコンヌ(原語:チャッコーナ)は、ヨーロッパ・バロック時代を代表する舞曲のひとつだが、サラバンド同様、その起源を、中米マヤの土着舞踊に持つ。
この史実が、ミュージシャンとしての僕を長きにわたって支え続けてきたのは、今更言うまでもない。

僕はそのラテンアメリカのエネルギーを、はるか南(スール)の地、ブエノスアイレスに置き換えて表現する。

初演は、11月18日の盛岡、そして続く26日の東京になる予定。

Spectacle Federico Garcia Lorca in Japan 東京オペラシティに響く白熱の「ガルシア・ロルカ」ギタースペクタクル

***

Ballad for Federico Garcia Lorca

1. Adagio BWV. 1001 (Johann Sebastian Bach)
2. Absente soul from “Lament for the death of a Bullfighter” / Shiro Otake
3. Yerma ~La Romeria~ / Shiro Otake (an improvisation on Sarabande BWV. 1002)
3. Yerma ~La romeria~
4. First elegy for Federico Garcia Lorca (by Miguel Hernandez) / Shiro Otake

An homage performance recorded live during the special concert to commeorate the 125 years of friendship between Argentina and Japan (at Tokyo Opera City, 17 MAR 2023)

ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ

1.アダージョ / ヨハン・セバスティアン・バッハ)
2.不在の魂 ~ある闘牛士の死に捧げる哀歌~ / 大竹史朗
3.イェルマ / 大竹史朗 (バッハのサラバンドによるインプロヴィゼーション)
4.ガルシア・ロルカに捧げるエレジー(悲歌)/ 大竹史朗

***

アルゼンチン日本国交樹立125年を記念したコンサート(東京オペラシティ、2023年3月17日)のクライマックスを飾る、ギター、朗誦、そして舞によって繰り広げられたライヴパフォーマンス。

クラシックフラメンコ、そしてロックに至るありとあらゆるギターの奏法を駆使した19分は、当日ステージ上方のマイクで録音された全くそのままの音。
いきおいあまったミストーンや、(意図として)ほとんどリハーサルを行わずに本番に臨んだ朗誦と舞とのきっかけ違いなどのアクシデントによって、途中とっさにアドリブ作曲するハプニングなどもあったが、僕はこのパフォーマンスに100パーセント満足している。

朗誦と舞を担当したマリア・ラ・ジターヌは、本当によくやってくれた。
僕はこのライヴパフォーマンスを、「ガルシア・ロルカ・トリビュート作品」として、必ず後世に残るものと胸を張ることができる。

ライヴはいろいろな予期せぬことが起こるから楽しく、そしてやめられない。
多くのリハーサルを必要とする音楽は、自分はおそらくこれからも関与しない。

2017年から続けてきた「ロルカ・インスピレーション」作品のクリエイションは、この作品をもってしばらく終了。
これから僕は、いよいよ「真のギタールネッサンス」到達に向け、新たな道を歩くことになる。

A big project in Tokyo, autumn 2023 今秋11月の東京公演はビッグプロジェクト

***

Me veo lleno de expresión brillante en una playa de Brooklyn, esperando el gran proyecto en el otoño.

***

Sembro pieno di espressione luminosa su una spiaggia di Brooklyn, guardando avanti il ​​grande progetto in autunno.

***

I see myself full of bright expression at the Rockaway Beach, Brooklyn, looking forward the big project in Tokyo in November of this year.

***

一週間ほど前にニューヨークに戻ったが、はやくも今秋11月26日の東京公演にむけてクリエイションを行っている。

次回の東京公演は、存命の日本人として初めて大英博物館で個展を開いた現代美術の巨匠・吉田堅治(よしだけんじ 1924-2009)さんの巨大なアートをステージに設置して行うという、僕にとってこの上なく光栄な、そして初めての経験になる。

また、その一週間前の11月18日には、10年ぶりに盛岡を訪れて、願ってもない素敵な場所で公演を行う。

盛岡は、つい最近、ニューヨーク・タイムズ紙において、世界で最も訪れたい街部門で、ロンドンに次いで第2位に選出された❣

これ以外にも、すでに決まっているスケジュールもあるが、これらは改めて具体的に発表いたします。

関係者の皆様に、この場を借りて深く感謝するとともに、春先のブルックリンのビーチにて、ぼくの表情はとても明るい。

Live at Tokyo Opera City 2 東京オペラシティに響く「三島由紀夫」霊感ギターソロ

***

An homage perfromance of ‘Saint Sebastian,’ the final movement of the suite ‘Confessions of a mask‘ dedicated to Japanese phenomenon. Recorded live during the special concert to commemorate the 125 years of friendship between Argentina and Japan which took place at Tokyo Opera City (17 MAR 2023.)

去る3月17日に行った東京オペラシティ・リサイタルホール公演は、第二部すべて初演のギター曲という、僕にとっても全くはじめての経験となる内容だった。

第一曲めにプレイした「シルヴェリオ・フランコネッティの肖像」に続く、第二曲めは、日本が今も世界に誇る文豪・三島由紀夫の傑作小説「仮面の告白」のヒロインに霊感を受けた組曲「SONOKO ~園子~」の最終楽章。

崩壊的結末を迎える美しき令嬢・園子の心の叫びを、ギター一台で、ピアノとオーケストラのコンチェルト効果を狙った、全曲目のなかでも最もアヴァンギャルドなコンテンポラリー作品といえるだろう。

シルヴェリオ・フランコネッティの肖像」同様、今後の僕の活動を根底から支える、新しいギターの音楽だと信じている。

Live at Tokyo Opera City 1 東京オペラシティに響く「ガルシア・ロルカ」霊感ギターソロ

***

An homage performance recorded live during the special concert (at Tokyo Opera City, 17 MAR 2023) to commemorate the 125 yeras of the friendship between Argentina and Japan.
This performance is dedicated to Edmundo Guibourg (1892-1986,) one of the finest filmmakers in Argentina, known as ‘Blood weddings‘ which he directed in 1938.

アルゼンチン日本国交樹立125年を記念して、去る3月17日に東京オペラシティ・リサイタルホールにおいて行ったコンサートからのライヴ録音の第一弾は、ガルシア・ロルカの傑作詩「シルヴェリオ・フランコネッティの肖像」に霊感を得たギターソロ。

このパフォーマンスは、ガルシア・ロルカの傑作戯曲「血の婚礼(1938)」をアルゼンチンで映画化した、同国を代表する名映画監督、エドムンド・ギボルグに捧げている。

1936年8月、武力蜂起したフランコ政権によって、ほとんど理由もなく銃殺処刑されたロルカの作品は、当時スペインで、危険要素をはらむものとして、その存在が絶滅の危機に瀕していた。

そんななか、名女優、マルガリータ・シルグはじめ、優れた俳優と映画スタッフをスペインからアルゼンチンに招き、このイベリア半島直系の高度な文化を誇る南の大地とのコラボレーションによってロルカ作品を守ったのがエドムンド・ギボルグだった。

また、アルゼンチンの芸術家たちは、1945年、やはり行き場を失っていたロルカの遺作戯曲「ベルナルダ・アルバの家」を、再びマルガリータ・シルグを招き、ブエノスアイレスの劇場で初演させる。

この時代、もしアルゼンチンがなかったら、ロルカの作品はこの世から消えていたといっても過言ではない。

PAを使わない、一切のごまかしの利かない生音、そして、やり直しの利かないライヴ録音。

このライヴのあと、「ギター一台が、あんなに凄い音量と、オーケストラのような表現力を持てることを初めて知りました」と、多くの人々から感想を受けた。

これは、もちろん嬉しいことだが、その反面、ちょっと残念に思う部分もある。

それはなぜかというと、ギターという楽器は、本当に優れた機能性と可能性を秘めているのに、現在、あらゆるカテゴリーのギター音楽において、その本来の魅力は半分も表現されていないからだ。

多くの人々は、いまギター音楽に全く関心を持っていない…
ギターはいま、ただ非常に狭い範囲の狂信的なマニアの間だけで愛好される、50年、いや100年前から全く進化を遂げていない、世界でも最もつまらない音楽分野のひとつになりさがってしまったのだ。

細かいミストーンもあり、決して100パーセントの出来だとは思わないが、僕はこのパフォーマンスが、僕がようやく到達した、「アンダルシアのレモンと、南米の静寂のグロリエータ(四阿)」が融けあった、これから打ち出してゆく「ギタールネッサンス」を支えるギターの音になったと信じている。

最後に、このところ知り合ったイタリア人の大ファンが、このビデオを観たあとで、書き贈ってくれた言葉を紹介したい。

***

このようにプレイするには、よほどスペインをよく知る必要があったのでしょうね。

あなたはきっと、午後いっぱい続く長い夕日、黄色と赤、パティオ、教会、広大な空間にいる温かい人々を見てきたのでしょう。都市と田舎…..非常に小さい村々… しかし決して消えないアイデンティティ、500年間攻撃されたがにもかかわらず、そのたびに強さを増す….

アタワルパ・ユパンキの母親はバスク人でしたが、彼のギターからは、その歴史が積み上げたプレパレーションのレベルを感じることができる…

私はアルゼンチンを知りませんが、私はそれを、青白い灰色とスペイン語、インディオたちの言語に、さらにイタリア語が合成されたものと想像しています…

私が愛するものは、すべて彼らが何世紀にもわたってそれを排除したいと思ってきた力の十字線であり、最後の戦争の後、彼らはオーセンティックなものが私たちに来ることを望んでおらず、そこには、私たちがあまり知らない日本もありました….

私は三島由紀夫がそれについて多くの興味深いことを強調したと信じています..

私は芸術のない、魂のない、神のないガラスの箱に魅了されることはありません。”

***

これは、僕がなぜいま三島由紀夫のエッセンスを音楽に取り入れているか、とても説明がむずかしいところを、まさに僕に代わって答えてくれているものだ。

世界は広く素晴らしい。
こういう感性を持つ同じ惑星人に出会った時の感動ほど素晴らしいものはない。

アーティストは、つねにファンから学ぶ