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Tribute to Atahualpa Yupanqui 3月17日(金)ユパンキに捧げる東京オペラシティ公演前売開始

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「風が歌う地 ~アタウアルパ・ユパンキへのオマージュ~」
大竹史朗ギターリサイタル

後援:アルゼンチン共和国大使館

2023年3月17日金曜日 18時30分開演
於:東京オペラシティ・リサイタルホール

料金:5,000円(全席自由)
チケットは、イープラスにて現在発売中

お問い合わせは;
mail@shiro-otake.com

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一人のギタープレイヤーとして、これまで培ってきたことすべてを注ぐことになる東京公演。

1989年1月、アルゼンチン、コルドバ州のセロコロラドのユパンキの別荘で、僕が弾く「バッハのブーレ」を聴いて心を開いてくれた大巨匠が、その魔法のような演奏法を伝授してくれた瞬間から始まった、本当に長い探求の旅路。

僕は今回のコンサートで、それを「完成した音」として表現する覚悟でいる。

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以前、ニューヨークのFMクラシックステーション「WQXR」の著名コメンテーター、ロバート・シャーマン氏が突然電話をかけてきて、ユパンキについて聞かれ、ビックリしたことがある。

彼はそのあとで、僕のことを、”ユパンキ芸術のチーフ・プロパゲーター”と評してCDを紹介してくれた。

プロパゲーターというのは、あまり耳になじみのない言葉だが、ある粒子が別の(さらに大きな)粒子へと移行するための数式のようなもののことで、シャーマン氏はこの言葉をもって、僕を”ユパンキ音楽の最大の広め手、後継者’”と評してくれたのだろう。

これは、間違いなく僕がアメリカで受けた最高のレビューだと思うが、僕は長い間、この言葉を宣伝に使うことはなかった。
しかし今回、上記のPRビデオでは、最後にこのシャーマン氏の言葉をはじめて使用している。

ユパンキ芸術のチーフ・プロパゲーター”。

いよいよ僕は、自分が真にその時期に来ていると感じている。

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コンサートでは、もちろんユパンキ作品もプレイするが、これは、ただ故人の作品をズラズラとバック・トゥー・バックで弾くだけの、よくありがちなトリビュート公演ではない。

アルゼンチンの巨匠が目の前で聞かせてくれた音が、いかに僕の体の中に入り、そしてそれが長い年月をかけて自分の肉となり、血となったかを、自分自身の音楽でみせるもの。

東京のアルゼンチン大使館の後援を受け、そして、このために、これまで歩いてきたと言っても決して過言ではない、僕にとっての最大のユパンキへのオマージュ公演
皆様のご来場を心からお待ちしています。

Bodas de Sangre: Luna (García Lorca) ガルシア・ロルカ「血の婚礼」霊感ギターソロと、素晴らしい田村正和さん

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来る3月17日金曜日、東京オペラシティ・リサイタルホールで行うコンサートのクライマックスは、「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ」とタイトルした、日本舞踊を基調としたモダンダンスと朗誦を伴う全四楽章組曲。

このビデオは、そのオープニングを飾る、ロルカの傑作戯曲「血の婚礼」第三幕第一場で、人間の姿とともに登場する’’の(婚礼の日に、かつての恋人とともに馬で逃げ去った花嫁に対する)、僕が心から心酔する幻想的な独白シーンに霊感を受けたギターソロのイメージビデオ。

月といえば、”ただ光り輝くからっていうことで俺はあんたに歌うんじゃない 俺はあんたが、俺の歩いた道のりすべてご存じだからあんたに歌うんだ”と、歌ったユパンキの「トゥクマンの月」も素晴らしいが、この、スペインの国民詩人が、神秘的に、そしてエロティックに月を擬人化したモノローグは、夜、何気なく見上げる月に対する感覚が、根本的に変わってしまうような、まさに圧巻といえるだろう。

このギターソロは、そのあたりの感じをよく出せたのではと、とても気に入っているもの。
ビデオには、日本語字幕を入れてわかりやすくしてある。

なお、当ビデオで使用した絵画は、他の一連のロルカ・ビデオで使用している、僕の大変好きな画家、フリオ・ロメロ・デ・トーレスによる、「ラ・コプラ(民謡)」と、「カンテホンド(深い歌)」と呼ばれる作品。

特に、ビデオのラストで全景を見ることのできる「カンテホンド」は、アンダルシアという土地の霊と因襲がもたらす宿命的な業に苦悩しながらも、ほかならぬその苦悩によって浄化されている女性たちの姿が、一枚の絵画に集約された傑作だと思っている。

使用ギターは、現在、クロサワ楽器日本総本店クラシックギターフロアとのご縁で使用させていただいている、スペインのホアン・エルナンデス(コンシエルトS)
ボリューム感あふれる突き抜ける高音、そしてバランスの良いソリッドサウンドは、今後も僕を支え続けてくれるだろう。
3月17日東京オペラシティ公演も、もちろんこの楽器一台でプレイ予定。

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蛇足だが、僕は10代の頃から、俳優の故田村正和さんに雰囲気がそっくりと言われ続けており、いまでも初対面の日本人には必ずといっていいほどそう言われる。

実は、前回の東京公演の際に乗ったエアラインの、とてもチャーミングなスチュワーデスおふたりにも、そういう理由で(機内で)声をかけられ、コンサートにまで足を運んでもらったのだが、さらに公演後、こちらに戻る際にやはり機内で会った、もうひとりの別の(負けずにチャーミングな)スチュワーデスの女性にも、まったく同じ理由でニューヨークで呼び出されて会うことに...。

なんだか正和さんのオショウバンにあずかっているようで、喜んでいいのかわからないが、その三名のセニョリータのうちのおひとりの名字が、あまり聞くことのない、とても印象的で綺麗な響きをもつもので、僕はそこから「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ」の第二楽章のギターパートを作曲することができた。

これは、「血の婚礼」同様、ロルカの代表作である「イェルマ」最終幕の、幻想と倒錯が交差する’劇中神楽’のシーンを朗誦と舞踊で表現するものだが、この女性の名字は、その雰囲気を連想させる、本当に美しいもので、僕はその響きをモティーフに、この部分のギターソロを、東京滞在中に作り上げた。

霊感というものは常に、どこからともなく突然やってくる

それにしても、若い時にいくら美男子でも、60歳70歳も過ぎれば、いったい昔日の面影どこへやらという雰囲気の衆が多いなか、年齢を重ねても、きちんと最後まで二枚目ぶりをキープし、こうして多くの女性たちを魅了し続けた田村正和さんは、ひとりのエンターテイナーとして本当に素晴らしいと思う。

天国の田村正和さんにサルー!

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これは、もっとも最近(1月20日)の僕です。
言われてみれば髪の毛とかも、なんとなく雰囲気似てるかな?
もちろん意識しているわけではありません。

僕はアメリカでは、もっぱらジョン・レノンと言われます。
本人に会ったことのある知り合いの話を聞くと(ワシ鼻の)顔もさることながら、背丈や体つきから感じられるムードが似ているらしい。

García Lorca: Llanto por Ignacio Sánchez Mejías ガルシア・ロルカの「ある闘牛士の死に捧げる哀歌」霊感ギターソロ

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From Suite ‘Lament for the death of a bullfighter

1. Cogida and death (Sarabande BWV. 1011)
4. Soul absent / Shiro Otake

An homage guitar solo (w/ poem reading) work inspired by ‘Lament for the death of a bullfighter (Federico García Lorca),’ which I’ll premier as an opener for my recital at Tokyo Opera City on Friday, the 17th of March, 2023.

1891年、セビリア(セビージャ)の上流家庭に生まれ、20世紀前半、その勇猛なファイトと、生来持って生まれたエレガンスと優しい人柄で、スペインの多くの民衆に愛された美男闘牛士、イグナシオ・サンチェス・メヒーアス
マタドールとしての輝かしいキャリアのあと、1928年に一度リタイアするが、1934年8月13日、43歳という年齢でカムバックした試合中、猛牛の角による、右太ももへの強烈な一撃が引き起こした出血多量、そして壊疽(えそ)にむしばまれ、惜しまれながら43歳でこの世を去った。

それは、スペイン全土が影と化した、衝撃的惨事だった。
そして、それを誰よりも悲しんだガルシア・ロルカは、きわめて高度な文学手法による、四部構成の、痛切かつ、天空的美しさに満ちた素晴らしい追悼の詩を彼に贈った。

これは、その冒頭部とラストの部分に霊感を得た、朗誦を伴う四部構成の「バッハ・インプロヴィゼーション」ギター組曲から、今春3月17日(金)に予定されている東京オペラシティ・リサイタルホール公演のオープナーとしてプレイするふたつの楽章のイメージ動画。

第一楽章の「無伴奏チェロ組曲第5番サラバンド」は、オリジナルアレンジだが、チェロの深みのある、ダイナミックなボウイング感を、新たなスタイルのギター音楽として完全に投影できたと自負している。

また、、後半アレグロ・インプロヴィゼーション展開させた第四楽章は、このロルカの優れた詩によくフィットするものとして、とても気に入っている。

HOPE U NJOY!!!

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これは、僕がニューヨークの自宅でとても大切にしている、フランスの音楽クリエイター、モーリス・オアナが、コーラス、朗誦、バリトンソリスト、およびハープシコードを伴うオーケストラ曲として作曲した「ある闘牛士の死に捧げる哀歌」の、アメリカでリリースされたLPレコード(オメガOML1033)。

指揮は、1958年、44歳の若さで世を去ったスペインの天才芸術家、アタウルフォ・アルヘンタ。そして演奏は、セント・ソリ管弦楽団および合唱団。

全編を通して極度の緊迫感を伴う、まさに現代音楽の王道を行く作品だが、特にアルバムの最後におさめられた、ハープシコードとオーケストラのための「サラバンド」は、「ある闘牛士…」のエピローグ的雰囲気を漂わせるナンバーで、内容のない、陳腐なアヴァンギャルドで固められた、見せかけだけの現代作品とは完全に一線を画す、すべてにおいて永劫の詩情にあふれた、疑うことなく20世紀コンテンポラリーミュージックの最高峰に位置するもののひとつだと思っている。

このLPは、アタウルフォ・アルヘンタのショッキングな死後、劇的なタイミングで発売されたもので、まさに、闘牛士と指揮者のための「ダブル追悼盤」といったムード。
モノーラル録音とは思えない完成度の高さで、ただただマラヴィジョーソ(すばらしい)❣

3月17日東京オペラシティ公演フィナーレ

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今春3月17日金曜日に予定されている東京オペラシティ・リサイタルホール公演のラストナンバーとして、僕は、日本舞踊を基調としたモダンダンスを伴う、舞と朗誦のための組曲「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ」を初演する。

この一般非公開の動画は、組曲のフィナーレを飾る第3楽章の部分で、スペインの田園詩人、ミゲル・エルナンデスの傑作詩、「ガルシア・ロルカに捧げるエレジー(悲歌)」の日本語翻訳の朗誦とともにプレイする、短い構成(アダージョ、ラルゴ、アレグロ)をそれぞれ持つ、3パートに分かれたギター曲。

ミゲル・エルナンデスは、ロルカよりひとまわり若かったが、ロルカを兄のように慕い、そして尊敬していた。ロルカがフランコ独裁政権の犠牲となって銃殺されたとき、彼がどんなにショックを受け、深い哀しみにつつまれたか計り知れない。

この数年後、エルナンデスもまた、ロルカ同様フランコの犠牲となって捕らわれ、獄死した。

このところアメリカでは、連日のように銃器による大量虐殺事件が報道される。

人間にとってときに戦いは避けられない。が、人の命を「まるで小鳩のように奪ってしまう」銃器は絶対に使用されてはならない。
爆弾やミサイルを含む銃火器は、天によって決して許されることのない、残忍かつ卑劣な道具だ。

この新作には、盟友ガルシア・ロルカに対する、ミゲル・エルナンデスの悲痛な追悼の言葉とともに、銃火器の永久追放の願いが込められている。

ここ数年、僕のコンサートというのは、2017年のNY国連公演を除いて、すべてなんらかの実験要素を持つものだった。

しかし、今回の東京オペラシティ公演は、一切そういった要素を持たない、これこそが長きにわたって自分が追い続けてきたギターの音と呼べるものだと信じている。

僕の生まれた街の素晴らしい会場で、いま現在の僕のすべてを聴いていただけるコンサートができることを、ここに改めて、関係の皆様に深く感謝申し上げます。