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Live at Tokyo Opera City 1 東京オペラシティに響く「ガルシア・ロルカ」霊感ギターソロ

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An homage performance recorded live during the special concert (at Tokyo Opera City, 17 MAR 2023) to commemorate the 125 yeras of the friendship between Argentina and Japan.
This performance is dedicated to Edmundo Guibourg (1892-1986,) one of the finest filmmakers in Argentina, known as ‘Blood weddings‘ which he directed in 1938.

アルゼンチン日本国交樹立125年を記念して、去る3月17日に東京オペラシティ・リサイタルホールにおいて行ったコンサートからのライヴ録音の第一弾は、ガルシア・ロルカの傑作詩「シルヴェリオ・フランコネッティの肖像」に霊感を得たギターソロ。

このパフォーマンスは、ガルシア・ロルカの傑作戯曲「血の婚礼(1938)」をアルゼンチンで映画化した、同国を代表する名映画監督、エドムンド・ギボルグに捧げている。

1936年8月、武力蜂起したフランコ政権によって、ほとんど理由もなく銃殺処刑されたロルカの作品は、当時スペインで、危険要素をはらむものとして、その存在が絶滅の危機に瀕していた。

そんななか、名女優、マルガリータ・シルグはじめ、優れた俳優と映画スタッフをスペインからアルゼンチンに招き、このイベリア半島直系の高度な文化を誇る南の大地とのコラボレーションによってロルカ作品を守ったのがエドムンド・ギボルグだった。

また、アルゼンチンの芸術家たちは、1945年、やはり行き場を失っていたロルカの遺作戯曲「ベルナルダ・アルバの家」を、再びマルガリータ・シルグを招き、ブエノスアイレスの劇場で初演させる。

この時代、もしアルゼンチンがなかったら、ロルカの作品はこの世から消えていたといっても過言ではない。

PAを使わない、一切のごまかしの利かない生音、そして、やり直しの利かないライヴ録音。

このライヴのあと、「ギター一台が、あんなに凄い音量と、オーケストラのような表現力を持てることを初めて知りました」と、多くの人々から感想を受けた。

これは、もちろん嬉しいことだが、その反面、ちょっと残念に思う部分もある。

それはなぜかというと、ギターという楽器は、本当に優れた機能性と可能性を秘めているのに、現在、あらゆるカテゴリーのギター音楽において、その本来の魅力は半分も表現されていないからだ。

多くの人々は、いまギター音楽に全く関心を持っていない…
ギターはいま、ただ非常に狭い範囲の狂信的なマニアの間だけで愛好される、50年、いや100年前から全く進化を遂げていない、世界でも最もつまらない音楽分野のひとつになりさがってしまったのだ。

細かいミストーンもあり、決して100パーセントの出来だとは思わないが、僕はこのパフォーマンスが、僕がようやく到達した、「アンダルシアのレモンと、南米の静寂のグロリエータ(四阿)」が融けあった、これから打ち出してゆく「ギタールネッサンス」を支えるギターの音になったと信じている。

最後に、このところ知り合ったイタリア人の大ファンが、このビデオを観たあとで、書き贈ってくれた言葉を紹介したい。

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このようにプレイするには、よほどスペインをよく知る必要があったのでしょうね。

あなたはきっと、午後いっぱい続く長い夕日、黄色と赤、パティオ、教会、広大な空間にいる温かい人々を見てきたのでしょう。都市と田舎…..非常に小さい村々… しかし決して消えないアイデンティティ、500年間攻撃されたがにもかかわらず、そのたびに強さを増す….

アタワルパ・ユパンキの母親はバスク人でしたが、彼のギターからは、その歴史が積み上げたプレパレーションのレベルを感じることができる…

私はアルゼンチンを知りませんが、私はそれを、青白い灰色とスペイン語、インディオたちの言語に、さらにイタリア語が合成されたものと想像しています…

私が愛するものは、すべて彼らが何世紀にもわたってそれを排除したいと思ってきた力の十字線であり、最後の戦争の後、彼らはオーセンティックなものが私たちに来ることを望んでおらず、そこには、私たちがあまり知らない日本もありました….

私は三島由紀夫がそれについて多くの興味深いことを強調したと信じています..

私は芸術のない、魂のない、神のないガラスの箱に魅了されることはありません。”

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これは、僕がなぜいま三島由紀夫のエッセンスを音楽に取り入れているか、とても説明がむずかしいところを、まさに僕に代わって答えてくれているものだ。

世界は広く素晴らしい。
こういう感性を持つ同じ惑星人に出会った時の感動ほど素晴らしいものはない。

アーティストは、つねにファンから学ぶ

Luna Brumosa 朧月…

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Luna brumosa (Oborozuki),’ un bello vídeo-regalo de Masako Inkyo, gran amiga mía, y la preeminente maestra de la caligrafía japonesa.

Hazy moom (Obarozuki),’ a stunning video-gift by Masako Inkyo, a preeminent master of the Japanese caligraphy.

3月17日、東京オペラシティ公演へのはなむけに、ニューヨーク在住の書道家・院京昌子(雅香)さんが贈ってくださった、美しい筆さばきによる、春の夜風に流れる月がイメージされた「朧月(おぼろづき)」。

公演前、僕はこの動画を見て心を落ちつかせることだろう。
そしてステージ上で、この流れる書体を思い浮かべながら、実に清らかな気持ちとともにギターをプレイできるに違いない。

彼女は、左手にアイフォンを持って撮影しながら筆を滑らせているが、全く画像がブレないのが凄い。
これは、筆を持った際の、並外れた精神統一によるものだろう。

見習わなければ…

院京昌子さんと、Metropolitan Museum New York にて

Yukio Mishima para los 125 años de Argentina y Japón  アルゼンチン日本友好125年に捧げる三島由紀夫

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来る3月17日金曜日、アルゼンチン大使館の後援を受け、アタウアルパ・ユパンキの名のもとに行う、アルゼンチン日本友好125年記念東京オペラシティ公演では、二曲の公式記念曲を初演する。

ひとつは、20世紀前半のアルゼンチンの先人芸術家たちに敬意を表してプレイする、ギター、舞踊、そして朗誦のための「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ

そしてもうひとつが、わが国を代表する文学者・三島由紀夫の長編小説「仮面の告白」に霊感を得た、全三楽章によるギターソナタ「SONOKO ~園子~」。

ピアノが趣味の令嬢・園子の、息をのむような美しさと悲劇的結末をギター一台で表現する、目下一番気に入っているギターソロだが、ここではその、「」と園子の出会いを、トレモロとダブルストップ、そしてシングルノートの組み合わせで描いた第一楽章の一部をと使い、コンサートの告知動画とした。

日本への出発にむけて10日前。ニューヨーク、ロングアイランド、ヘンプ・レイク州立公園にて。

この林の奥には美しい湖があり、訪れる人々の心を和ませてくれる。

それでは皆様、日本で!

García Lorca para los 125 años de Argentina y Japón アルゼンチン日本友好125年に捧げるガルシア・ロルカ

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En 1938, Edmundo Guibourg, el gran cineasta argentino se realizó ‘Bodas de sangre,’ junto a Margarita Xirgu, la legendaria actriz catalana.

En esa época, las obras de Federico García Lorca verdaderamente habían perdido sus rumbos en su tierra natal por la culpa de la horrible incidente de su autor.

En 1945, de nuevo los artistas argentinos invitaron Margarita Xirgu, y estrenaron ‘La casa de Bernarda Alba’ en el Teatro Avenida de Buenos Aires.

Para mi, no es mucho decir; Sin Argentina, no podían sobrevivir las obras del gran poeta andaluz.

Mi nueva obra ‘Yerma’ para guitarra, danza moderna y recitación, es la que fuertemente creo que se merecía ser llamada como ‘la (nunca antes) obra conmemorativa para la amistad entre Argentina y Japón,’ con mi más respeto y amor a esta gran tierra sureña de las Américas.

Cuando visitó a Buenos Aires García Lorca, se conoció el joven Atahualpa Yupanqui, y lo regaló su autógrafo, y dijo;
Mientras haya tabernas en los caminos, todos los que caminan serán amigos.”

Esa gran histórica reunión tuvo lugar en un pequeño comedor de la avenida mayo, junto a ‘arroz con pollo’ me dijo.

Federico García Lorca ante el micrófono de Radio Stentor, Buenos Aires, 26 de marzo de 1934, y Joven Atahualpa Yupanqui.

1934年3月26日、ブエノスアイレスのラジオ局のマイクに向かうガルシア・ロルカと、憧れのスペインの大詩人に会うことがかなった、二十代のアタウアルパ・ユパンキ。
「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ」を、アルゼンチン日本友好125年公式記念曲として初演する「東京オペラシティ公演」は3月17日。この時からちょうど99年を数えることになる

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アルゼンチン大使館の後援を受けて行う3/17、東京オペラシティ公演で、僕は2曲の「アルゼンチン日本友好125年公式記念曲」を初演します。

そのひとつが、ギター、日本舞踊を基調としたモダンダンス、そして朗誦のための「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ」。

アルゼンチンとの友好記念なのに何故ロルカ?と思われるかもしれません。

1930年代末、ロルカが悍ましいフランコ独裁政権によって銃殺処刑されたあと、彼の作品は、スペインでは「危険分子的内容を含むもの」として、まさに行き場を失っていました。

そんな中、アルゼンチンの優れた映画監督、エドムンド・ギブルグが、スペインから大女優マルガリータ・シルグを招聘し、傑作戯曲「血の婚礼」をアルゼンチンで映画化しました。

さらに1945年、アルゼンチンの芸術家たちは、再びマルガリータ・シルグを招き、ロルカの遺作戯曲「ベルナルダ・アルバの家」をブエノスアイレスの劇場で初演します。

この時代、もしアルゼンチンがなければ、ロルカ作品は絶滅していたかもしれないと言っても決して過言ではありません。

ロルカも、自分たちの文化を正統的に受け継ぐ南の大地を心から愛し、ブエノスアイレスを訪れた際には、当時、首都の詩人グループに属していた若いユパンキにも会っていました。

ロルカは、この、やがて南米民俗音楽の最高峰に君臨することになる、バスクと南米インディオの血を引く若者に対し、”道に居酒屋がある限り、道ゆくものはみな友だちだよ“と言って、サインをプレゼントしたそうです。

この歴史的出会いは、ブエノスアイレスの小さな食堂で、やはりスペインからロルカとともにアルゼンチンを訪れていたスペインの大詩人、ホセ・ベルガミン、そしてブエノスアイレスの詩人たちのグループの間で、「アロス・コン・ポージョ (チキンライス -南米の最も庶民的料理-)」を食べながら行われました。

僕にとって「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ」は、現在あまり知られていない、20世紀前半のアルゼンチンの素晴らしい先人たちに対する最大の愛とリスペクト、そしてこの国の伝統音楽に携わることができた大きな誇りとともに初演する、これまでになかった、新しい「アルゼンチン日本の友好記念のパフォーマンス」になると信じています。