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García Lorca: San Gabriel -Sevilla- ガルシア・ロルカの真髄:ジプシーたちの守護神「大天使・聖ガブリエル」に捧げるギターソロ

Un solo de guitarra inspirado por ‘San Gabriel -Sevilla-(Romancero Gitano)‘ del gran poeta español, gravado en vivo durante mi recital en la sala principal de Yamaha Hall Tokio (18. IV 2014.)

A guitar solo inspired by García Lorca’s ‘San Gabriel -Sevilla- (Gypsy ballads),’ recorded live during my recital at Yamaha Hall Tokyo in April 18th, 2014.

ガルシア・ロルカ「聖ガブリエル 〜セビリア(セビージャ)〜」に寄せる二部構成ギターソロ
J.S.バッハ・インプロヴィゼーション第3番

第一楽章:アダージョ/ヨハン・セバスティアン・バッハ
第二楽章:アレグロ/大竹史朗

2014年4月18日、東京銀座ヤマハホールにおけるライヴ録音

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幅広い肩、
エレガントな腰つき、夜に実る林檎のような肌、
哀しげな口、大きな瞳、
熱い銀がつくる神経、
それは人気のない通りを彷徨う 美しい水草の坊や
そのエナメルの履き物が 
天空のふたつのリズムとともに 大気のなかのダリアを引き裂く
海辺の椰子にも 冠を戴く皇帝にも
道をゆく輝かしいカミナンテ(道ゆくもの)にも
それに勝るものはいない
胸の碧玉(へきぎょく)に その頭(こうべ)が傾くとき、
夜はひれ伏すために 平原を探す
そしてギターが歌い出す 
椰子の木のドマドール(調教師)、柳の木のエネーミゴ(仇)
大天使・聖ガブリエルのために
聖ガブリエル、母親の子宮で産声をあげる坊や
あなたに衣服を贈ったのは
ジプシーたちであることを忘れてはいけない

王たちのみ告げ
新月の輝きと 粗末なジプシーの装いが
通りをやってくる宵の明星のために扉をあける
大天使・聖ガブリエル
ユリと微笑みの血が混ざりあった
ラ・ヒラルダ(*)の末裔が
いま姿を現わす
その刺繍ヴェストのなかに縫いとられた
隠されたコオロギたちが 脈打ち踊り
夜の星たちは ハンドチャイムに姿を変える
私はここにいるよ! 聖ガブリエル!
三つの喜びの釘とともに
あなたの輝きが 私の燃え上がる顔のうえで ジャスミンを香らせる
あなたに神のみ救いあれ! 聖なるみ告げ!
神秘のモレーナ(黒髪の女)よ!
あなたが授かったのは そよ風のなかに揺れる どんなに若い茎よりも美しい坊や
聖ガブリエル!私の瞳のなかの光!
愛するガブリエル!私の人生の喜び!
私はあなたに カーネーションの王座を与える夢をみる
あなたに神のみ救いあれ!聖なるみ告げ!
新月の輝きと 粗末なジプシーの装い
モレーナのみ胸には 三つの傷をもった坊や
ああ!光り輝く聖ガブリエル!
愛するガブリエル!我が人生の喜び!
私の胸の奥で 暖かなミルクがいま生まれようとしている
あなたに神のみ救いあれ!聖なるみ告げ!
神秘のモレーナ!幾千の王朝の母よ!
乾いた砂丘が あなたの瞳のなかに 光り輝く騎士を映しだす

乳房に抱かれ 驚愕のみ告げを受け歌う坊や
三つの緑のアーモンドの銃弾が
その震えるささやき声のなかで 揺れている
聖ガブリエルは すでに天へとむかう梯子のうえ
夜の星たちは ’永遠’へと姿を変える

(*) セビリア(セビージャ)を象徴する、同市にある聖堂の名称

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大天使・聖ガブリエル」は、一見、僕が深く携わるユパンキの詩の世界とは特に共通点を持たないように見えるが、実はこれ、スペイン語の言語で読むと(本当に笑えるくらい)ユパンキがロルカの試作型式に影響を受けていたかが最もよくわかる作品。

セビリア(セビージャ)の守護神的存在の聖ガブリエルは(ちょうどイエス・キリストを授かった聖マリアのような)、褐色の肌のモレーナから人の子として生まれ、ジプシーたちによって育まれたのち、天界へと旅立っていったのだろうか?
また、”三つの喜びの釘”とは、十字架に打ち付けたられたイエス・キリストの復活を意味するものなのか?
僕の解釈と翻訳は決してベストではないが、ロルカの無限の詩的発想には、全くもって舌をまく思いだ。

ユパンキは、こういったロルカの天空的広がりを持つ力強い、そして自然界とのつながりを描写した作風を心から愛し敬い、「ティエンポ・デル・オンブレ(人の時間)」や、「ギターラ」といった、きわめて優れた南米風アダプテーションを作り上げたといって間違いない。

ロルカ・インスピレーションをクリエイトすること。
僕にとってそれは、同時にユパンキへの最大のオマージュになることは言うまでもない

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「大天使・聖ガブリエル」は、1924年から1927年の間に書かれたロルカの傑作詩集「ロマンセーロ・ヒターノ(ジプシー歌集)」のなかにおさめられた作品。

すでに書かれて約100年が経過するが、この発想と感覚は、我々現代人がどうあがいても真似することのできない”きわめて斬新なモダニズム”と言っていい。

ロルカに限らず、音楽や文学、そして視覚芸術などでも、いまの文化やアートなどというものは、この時代に匹敵しないどころか、到底追いつくことのできない遅れをとってしまっている。
進んだのは電気による発明だけだ。

僕は何の才能も持たないミュージシャンだが、ロルカ・インスピレーションの作品を作るとき、間違いなく先を進んでいることだけは、自信を持って言い切ることができる。

¡Feliz cumple Atahualpa Yupanqui! ハッピーバースデー、アタウアルパ・ユパンキ!

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Para commemorar 114º cumpleaños del gran maestro argentino, junto a una interpretación privada en mi casa en Nueva York.

To commemorate 114th birthday of the greatest Argentine maestro, with a private performance at my New York home.

今日、1月31日は、アタウアルパ・ユパンキ114回めの生誕記念日

風が歌う地 〜ユパンキへのオマージュ〜」の前半部分のオマージュ演奏(前半部のみ)をお楽しみください。

これは、ニューヨークの自宅において、アイフォンで録画したものを、なんの処理もせず、ただそのままアップした映像。

アイフォンで録った音に嘘はない。
鏡のように正直で、一切のごまかしがきかない、清流のようにクリアーなサウンドだ。

アップルの製品は、疑うことなく21世紀初頭における最大の発明と言えるだろう。

僕はいつも、作曲をすると、こうして必ずアイフォンで何度も何度も録画しては弱点を探し出し、音色とプレイのクオリティーを上げる作業をしている。

¡Feliz cumple Don Ata!

Yerma (García Lorca) La Romería 能舞台におけるガルシア・ロルカ バッハ・インプロヴィゼーション・ギターソロ(日本語字幕)

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Una interpretación en vivo de mi obra (una improvisación sobre ‘Prelude’ de violoncello solo Suite BWV. 1008‘)para solo de guitarra inspirado por la estupenda escena del Acto III de ‘Yerma.’
Ya tuvimos un éxito de ‘Muerto de amor.’ Mi próxima función sera una obra centrada de este magnifico arte escénico del gran español.
La interpretación de ‘Shodo (caligrafía japonesa)’ por Masako Inkyo.
Grabado en vivo en el teatro ‘Noh’ en Tokio.

A live performance for my solo guitar work (an improvisation over ‘Prelude of violoncello solo suite II BWV. 1008‘)inspired by the stunning ‘Act III’ opener of ‘Yerma.’
We already had a success on ‘Dead from love.’ My next performance will be the one I put this ultra Spanish phenomenon in the axis.
The stunning ‘Shodo (Japanese calligraphy)’performance by Masako Inkyo.
Recorded live at Traditional ‘Noh’ theater in Tokyo.

12月8日に銀座ヤマハホールで行われた「愛の死〜レクイエム〜」公演を終えてニューヨークに戻り、休む間もなくすでに新作の作曲に着手している。
次回作は、ガルシア・ロルカの傑作戯曲「イェルマ」を主軸に置く作品になるだろう。

と言っても、三幕戯曲をそのまま上演するのではない。
朗誦、歌唱、舞踊、そしてギターによって表現する、きわめて斬新なロルカ・トリビュートにしたい考えでいる。

「イェルマ」は、およそ100年前のアンダルシアの村を舞台に、子供を宿さない石女(うまずめ)イェルマが、クライマックスで狂気と化して夫をナイフで刺殺するというストーリー。

並みの作家なら、ただの痴話沙汰で終わってしまうようなこの物語が、「血の婚礼」同様、現在でも世界中で愛され、新しい解釈によって上演され続けているのは、”戯曲も書くことができた詩人”では決してない、”戯曲を書くために生まれてきた詩人”ロルカの、類まれなる”詩と歌”の暗示による、きわめて優れた芸術的構成力によるものだ。

このギターソロは、そういったロルカの傑出した能力が最高峰的に炸裂する「イェルマ」第三幕のオープニング。

主人公のイェルマが、悲劇的結末に向かって狂気化してゆくさまを、仮面をつけた’雄(オス)’、’雌(メス)’、’男たち’、’女たち’、そして’子どもたち’の声と動きによって暗示する、幻想とサディスティックなまでのデカダンス感覚に満ち溢れた、まさに”真の美の極致”といった、僕が心酔する”ロメリーア(屋外で行われる参詣の祭りを指すので、日本に置き換えると”神楽”)”の場面を表現したもの。

前衛的で、少々エロティックな内容だが、日本語字幕でお楽しみいただける

まだこのあと、どれだけの曲を作曲することになるかわからないが、ロルカ芸術は、今自分にとって最も自分を表現できるものだと思う。
自分はこれからも、納得がゆくまでロルカ・インスピレーション・ワークのクリエイションに全力を注ぐ。

「愛と死」では、狂言と日舞の要素を入れたが、次回作ではさらに踏み込み(まだアイディアを練っている段階ではあるけれど)、’’の要素を入れたいと思っているが、それはただ、ありきたりに能の舞い手に出演してもらうということではなく、なにか他の手段での表現のほうがいい。

ロルカを追求すること、それは僕のゴールである「カンテホンド・イベロアメリカーノ(南米の深い歌)」の追求に他ならない。
決して容易なことではないが、僕が深く携わるユパンキ、そしてアルゼンチンの伝統音楽は、まぎれもなくこのカンテホンドが母体であり、フラメンコ以上に正統的にそれを継承しているということを、自分自身の音楽で表現してゆきたい。

この動画は、東京青山・鐵仙会能楽堂におけるライヴ。

曲は、自分でアレンジした、僕が大変好きなバッハの無伴奏チェロ組曲第2番プレリュードを、後半インプロヴィゼーション展開させたオリジナルギターソロ。
このバッハ作品は、まさに’深淵’ともいえる美しさだが、良いアレンジがなく、ほとんどギターで弾かれることはない。
このアレンジは、変則調弦によってチェロのダイナミック感を出したもので、とても気に入っている。

深みに満ちた、美しい書道のパフォーマンスは、ニューヨーク在住の書道家・院京昌子さん。

Tribute LIVE to Astor Piazzolla & Anibal Triolo アストル・ピアソラとアニバル・トロイロへのトリビュート

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Durante mi concierto en Tokio (12.8.21,) hice una interpretación homenajeada a los dos grandes bandoneonistas argentinos.
Aunque no soy fanático de Tango, tengo gran influencia de aquellos maestros como un creador de la música.

During my concerto in Tokyo(8. XII 21,) I gave an homage performance dedicated to the two greatest bandoneon players.
Although I’m not a Tango crazy, I have so many influence from these Argentine giants.

昨年12月8日、東京銀座ヤマハホールで行った公演の第一部で、ぼくはアストル・ピアソラアニバル・トロイロという、ふたりの偉大なるバンドネオン・プレイヤーに敬意を表し、その代表曲をギターソロ・メドレーでプレイした。

一曲目がピアソラの「忘却(オブリヴィオン)」、そして二曲目がトロイロの「最後の酔い(ラ・ウルティマ・クルダ)」。
どちらも広く愛されているナンバーだが、特にトロイロの「最後の酔い」は、ブエノスアイレスの”市歌”といえるくらい万人に親しまれている

ぼくはタンゴ・クレイジーではないが、ひとりの音楽クリエイターとして、このふたりのタンゲーロに大きな影響を受けている。

この録音は、ヤマハホールのステージ上方に設置されたマイクによって録られた全く無修正の音源だが、ぼくのプレイも、第二の故郷アルゼンチンに対する万感の思いが込められ、おそらく現時点でこれ以上はできないかなというライヴ・パフォーマンスになっていると思う。

一切PAを使用しない完全アンプラグド(生音)。
よって、聴衆の咳やクシャミもそのまま収録されているが、当夜の音そのままの、臨場感あふれるライヴサウンドだ。

日本滞在時の写真アルバムも混じえてお楽しみください。
二年ぶりの母国滞在は、応援者の皆様のおかげで本当に楽しいものでした。