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Beautiful Lake George NY & Palomino Pal ‘O Mine

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A la orilla de un lindo lago, cerca del límite de la canada, disfrutando en un restaurante después de 3 meses.

Enjoying ‘restaurant food’ after three month at ‘Lake George,’ a beautiful northern NY lakeside village 163km away from the Canadian border.

カナダ国境に近い、”レイク・ジョージ”と呼ばれる、ニューヨーク州北部の美しい湖のほとりにて。
3か月ぶりのレストランでの食事は感慨無量。

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Se bañó “mi caballo” después de 3 meses.
Nueva York ha estado reabriendo poco a poco.

Taking bath ‘palomino pal ‘o mine,’ after three month.
New York has been reopening little by little.

愛馬、三カ月ぶりに入浴。ニューヨークは、こうして徐々にリオープンのときを迎えている。

Una guitarra que llora, Ignacio M. Rozas

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En mayo, 1995, me enamore con una hermosa guitarra en Madrid.
Modelo F1 hecha por Maestro Ignacio M. Rozas. Ella ha sido conmigo, y me ayudando que hacer la creación artística por 25 años.

In May, 1995, I fell in love with a beautiful guitar in Madrid.
Modelo F1 by Maestro Ignacio M. Rozas. She has been with me helping my music creation for 25 years.

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1995年5月、マドリードのあるギター製作家の工房において、自分は美しいギターと恋に落ちた。

イグナシオ・M. ローサス。この楽器は、それ以来四半世紀に渡って自分とともに世界中を旅し、そして独自の音楽のクリエイションを助けてくれている。

これらの動画は、いずれもオリジナル・ギターソロ曲。

2本がライヴ(日本の世界一周豪華クルーズ飛鳥II・ギャラクシーラウンジ)で、もうひとつは自宅で撮ったものだが、クオリティーの高いPAによる響きはもちろん、ふたつめの携帯電話の録画機能を使って、まったく音の響かない部屋での撮りっぱなしのサラサラの音質でも、この楽器がいかに優れているかをよくお分かり頂けると思う。

ローサスの楽器は、少々握りが硬いため、日本ではあまり人気がないという話を聞いたが、このサステインの効いた硬質なサウンド、そして他の楽器ではまず得ることのできない”泣き”のフィーリングこそが、自分を25年もの間インスパイアーし続けているものだ。
基本的にはフラメンコモデルだが、この美しいギターが、フラメンコだのクラシックだのといった狭い次元を超越したサウンドバランスを持つことを、自分は最初のひと弾きで確信した。

弦は、クラシックのダダリオ・プロアルテのノーマルテンションを使用している。

ただ近年、さすがにアクションが高くなってきたり、ボディーに痛みも見えてきたので、一昨年、マサチューセッツ州に暮らす、ある優れたアメリカ人のリペアマンの手によってオーバーホールをしてもらった。
この飛鳥におけるライヴ二本は、修理後、最初のパフォーマンスだが、自分は彼の仕事に対し、100パーセント満足している。

ローサス氏のマドリードの店は広く、奥が工房で、ガラス窓ごしに彼の作業が見られるようになっていた。
マエストロは、自分が試し弾きしていると、工房の外に出てきて、仕事の手を休めてその音をずっと聴いていたが、”それはアルゼンチンの音楽だね?”と、まず尋ねたあと、”それはあんたのギターだね。”と言って、大幅な値引きによる「もってけドロボー」価格で譲ってくれた。

彼の言葉通り、このギターは今後も自分をずっと助けてくれるだろう。

¡Muchas gracias Maestro Rozas!

Un mensaje yupanquiano 心からのメッセージ

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Hace unos días, un argentino (parece un artista) se publicó un comentario que me emocionó mucho, a mi canal de YouTube.
Así que quisiera compartirlo contigo.

“Guau… hermoso, realmente hermoso trabajo Shiro, de corazón digo que tu interpretación fué excelente y me sorprendió enormemente que cantaras los versos en tan buen español hasta que leí un poco mas de tu vida y entendí todo, el maravilloso trabajo del “Arriero”. Realmente admirable y emocionante, me encantó, disfruto escuchar las obras de Ata en manos y bocas de diferentes artistas en diferentes partes del mundo, es algo increíble a veces, pero cuando vos las cantas realmente se sienten vivas las letras y la guitarra, una cosa es tocar, otra sentir y otra vivir, y tengo la certeza de que vos vivís las letras y la música. En fin, te aplaudo y felicito de todo corazón y te deseo lo mejor, un abrazo Arriero.”

自分のユーチューブ・チャンネルには、日々、アルゼンチンをはじめ多くのスペイン語圏の方々から、とてもありがたいコメントをいただくが、数日前、あるアルゼンチンのアーティストが、こんなコメントを公開投稿した。
ユパンキを心から愛する人物だろう。ちょっと照れくさいが、本場の南米人が自分の演奏をこのように感じてくれたことを心から嬉しく思ったので、日本語に訳したものを皆さんにご紹介したい。

“ああ…美しい、本当に美しい演奏に私は心から感動し、大きな驚きを受けました。その最良のスペイン語による歌唱、そしてあなたのストーリーを(オンライン記事で)知るに至り、まさに素晴らしい、真に情感豊かで褒め称えられるべき「アリエーロ(牛追い)」による演奏だと納得しています。
私はいろいろな国の、いろいろなアーティストの指と声で演奏されるユパンキ作品を聴くのが好きですが、それは時に本当に信じがたいことですけれど、あなたの演奏を聴くと、ギターと詩が本当に命を持って生きているように感じます。弾くこと、感じること、そして生きること。私はあなたが音楽と詩とともに生きていることを確信しています。
最後になりますが、あなたに心からの賞賛と祝福、そして「アリエーロ」の抱擁を送ります。”

Homenaje a una flor 岡江久美子さん追悼

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Mi homenaje a Kumiko Okae (1956-2020,) una actriz japonesa que falleció de la pandémica ayer en Tokio.
Es que antes que mudarme a Nueva York, me fui invitado a una producción del teatro se llamaba “1+1,” que organizado por el hermano politico de ella, el marzo 1988 en Japón como un artista, y tube una oportunidad para actuar con ella por una semana en un teatro en Shibuya, Tokio.
Era una muchacha muy simpática, y es todavía una memoria muy buena para mi.

My homage to Kumiko Okae (1956-2020,) a Japanese actress who passed away from COVID-19 yesterday in Tokyo.
In fact, before I decided to move to NYC, I was invited to a theater called “1+1,” produced by her brother in law in Japan in March 1988, and I performed with her at the same stage in Tokyo for one week as an actor.
She was a very nice person, and it’s still a good memory for me.

女優の岡江久美子さんがパンデミック感染によって亡くなった。

自分は1988年3月、岡江さんの義兄、大和田伸也さんが旗揚げした「1➕1」という劇団に参加し、渋谷の劇場で一週間岡江さんと同じ舞台に立ち、ダンスや空手、ギターからベース演奏に至るまで披露する機会をいただいたのだが、その際、本番前の稽古の取材にやってきた、大和田さんと懇意の東京新聞の森さんという芸能記者が、“この劇団には、とても有望な若い俳優が二人いて、その一人は大竹史朗君だ」と言ってくださったことが、その直後の渡米への自信を高める起爆剤となった。

岡江さんはとても気さくで明るく、いつも真剣に稽古に励んでおられた。また、年は自分よりずっと上だったが、花のようにチャーミングな方だった。
心からご冥福をお祈りしたい。

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Febrero 1988, durante el ensayo para “1+1.”

February 1988, during the rehearsal for “1+1.”

1988年2月、劇団「1+1」東京公演本番直前の自分。