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南米人気誌にトップ記事

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先週11月26日付けで、パラグアイの人気女性誌「カネーラ」が、私をトップ記事として大きく報じました。

同国公演大成功のインパクトは未だ冷めやらずといった感。
とても嬉しく思っています。

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女性たちと一緒の写真で手に持っているのは、皆さんからプレゼントされた、私の名前が金文字で刺繍されたテーブルクロス。

この他にも、パラグアイでいただいた心のこもった贈り物は、冗談ではなく相当な量となり(国民的ギタープレイヤー、アグスティン•バリオスの、日本で買うと数万円する豪華書籍や、美しいレリーフの木箱に収められた”大竹史朗”人形etc.etc….)、無事ニューヨークまで持ち帰るために、現地でもうひとつ大きなスポーツバッグを購入せざるを得ない事態となりました。

(いちばん左のビッグガイは、現地でたいへんお世話になった、パラグアイ日本大使館の宮川雄一参事官兼領事です。)

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下記は、いかにも女性誌といったムードの写真。

上記にリンクした本文でも、最初の二枚の写真が「なにもそんなにデカくしなくても…」というくらい拡大表示され、少々ハズカシイ…

二枚目の写真で持っている「カネーラ」誌の表紙の女性は、ミス•パラグアイだそうです。

三枚目は、なにやらラテン版”花王奥様劇場”のキャスト風…???(^_^)

ローズマリーの丘

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ビジャ•デ•マリア•デル•リオセコの

ローズマリーの丘のふもとで 私は生まれた

私が 私について語れるのは ただそれだけ

なぜなら私は ここで歌われる調べの響きでしかないのだから

_レオポルド•ルゴーネス(1874-1938)

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アルゼンチンの国民詩人、レオポルド•ルゴーネスに公式献呈した組曲「神々の炎」

この写真は、その晩に記念公演を控えた午後、上記の詩にあるルゴーネスゆかりの地、「ローズマリーの丘(セロ•デ•ロメロ)」の頂上で、コンサートのビデオ収録にあわせた付帯映像として撮影されたものです。

(クリックすると拡大表示します。)

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アルゼンチンの少年少女たちに完全包囲!

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この動画は、ブエノスアイレス公演の際に受けたインタビュー映像。

コンサート•オープナー、アタウアルパ•ユパンキの傑作曲「栗毛の馬」のフルバージョンに始まり、次に私のスペイン語インタビュー、そして最後にほんの少しですが、合唱をともなった「神々の炎」の第4楽章’ビジャ•デ•マリア’のラストの部分が収録されています。

この第4楽章は、上記のルゴーネスの詩をそのまま歌詞として使い、メロディーを乗せました。

このコンサートの直前、ホテルの部屋で少々疲れが出たか、ヒゲを剃るカミソリの手元を狂わせアゴをザックリ(血まみれ!)。
インタビューで顔がアップになると、アゴに小さなバンソウコウをはっているのがわかります。

神々の炎 レオポルド•ルゴーネス生誕記念組曲

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大成功をおさめたブエノスアイレス公演のあと、いよいよツアーのクライマックスであるアルゼンチン、コルドバ州政府の正式招聘および、日本政府の公式スポンサーシップを受けて初演した、同国国民詩人レオポルド•ルゴーネス生誕140年(2014年6月13日)を祝う記念組曲「神々の炎」。

国民的英雄の生誕記念日前夜、ルゴーネスの故郷であるコルドバ州ビジャ•デ•マリア•デル•リオセコのヌエストラ•セニョーラ(ノートルダム)•デル•ロサリオ教会において、アルゼンチンのメディアの大きな報道とともに、私は万感の想いをこめて自作曲を演奏しました。

(写真はすべて、クリックすると拡大表示します。)

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この教会は、建立から100年以上が経過する由緒ある歴史的建造物。
しかし、これまでコンサート会場として使用されたことは一度もなく、今回、画期的な初の試みとなりました。

演奏前は、祭壇をさまざまなイルミネーションでライトアップし、コルドバ市から呼ばれたプロの人気DJによって電子音楽が流され、実にオシャレで荘厳なムード。

(神様もいきなりビックリ!!!)

この模様は、アルゼンチンの「アルガローボ•プロダクト」という映像制作会社によってすべて収録されました。
DVDとして、皆様にお目にかけられる日も遠くないでしょう。

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コンサート直前、関係者の皆さんといっしょにリラックス(しすぎ…)。

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一夜明けた6月13日、午前10時よりレオポルド•ルゴーネス生家(現記念館)において行われた生誕140年記念式典。

私はこの日、下記のようなスピーチを行いました。

”このような素晴らしい式典に招待を受け、オリジナルの音楽を演奏できたことを心から嬉しく、そして誇りに思います。これまでの長い間、どれだけアルゼンチンと、その国民の皆さんが私を助けてくれたかわかりません。アルゼンチンのことを思わない日は一日もありません。私は東京に生まれましたが、今日、アルゼンチンを本当の故国のように思っています。”

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コルドバ州政府文化省長官、パブロ•カネーダさんと。

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式典後、ルゴーネス記念館中庭でなごやかにランチ。

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アルゼンチンは南米の中でも圧倒的な白人国。
自分たちの国以外のアーティスト、しかも日本人がやって来て国民的英雄を記念する音楽を歴史的建造物のなかで演奏するには、多くの人々の理解が必要だったと思います。

今回の大成功の立役者といえるのが、コルドバ州政府文化省理事のアンヘル•ディアスさん。

私はこの三年間で、きわめて先進的な考えを持つ二人の人物に出会いました。

そのひとりは、後援会長にして大恩人の在米投資家、大根田勝美さん、そしてもうひとりが、このアンヘルさんです。

この二人との出会いがあったからこそ、私のここ数年の創作活動は飛躍的に伸びたのだといってまちがいないでしょう。

芸術に携わる者ならば、もちろん誰よりも先進的でなければならない。

しかし、それを正確に理解してくれる人がまわりにいなければ、決してひとりで先に進むことはできないのです。

私は南北大陸において、この二人の人物に会えたことを何よりも感謝しています。

ニューヨークと「無花果の森」

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どんな土地を訪れても、私にとって必ず帰る場所はニューヨーク。

地の底から湧き上がってくるような震動とともに、アーティストにとって最も必要といえるインスピレーションを与えてくれるただひとつの土地であり、それでいて深い憩いと安らぎ、そして大いなる出会いを得ることのできる「かけがえのない’親友」。

今日はまず、ホリデーシーズンを迎えて一年でもっとも美しい「俺の庭」、ニューヨークの空気をお送りします。

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(写真はすべて、クリックすると拡大表示します。)

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この一年、私はニューヨークで、実に10曲以上の作曲を行いました。

そのなかのひとつが、今年6月に公開されたBS-TBS製作による日本映画「無花果の森(原作:小池真理子、監督:古厩智之、主演:ユナク&原田夏希)」のサウンドトラック。

昨年の12月、やはり新作曲である「ハンアの舞」初演のため日本に招待を受けた際、赤坂のTBS本社で行われた会議の場で、編集されたばかりの’音楽なし’DVDを受け取り、ニューヨークに持ち帰って数回観たあと作業開始、監督の古厩さんとオンラインでコミュニケーションをとりながら、年明けにマンハッタンのスタジオでレコーディングを敢行。
東京に音源を無事送付した直後、バタバタとアルゼンチンツアーに出発しました(慌ただしかった…)。

上記のビデオは、私のギターが効果的にフィーチュアーされた映画の予告編。
この映画のために作曲した「ソレダー(孤独)」、そして「ロマンセ(ロマンス)」の一部をお楽しみいただけます。

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この写真は、今年の4月、東京五反田のゆうぽうとホールで行われた「無花果の森」プレミア試写会に招待を受け、劇中音楽のライヴ演奏および舞台挨拶を行う直前の控え室でのスナップ。

演奏の前、ステージで準備をしていると、一人の女性がツカツカと近寄ってきました。

それは主演の原田夏希さんのマネージャーで、”本当によい音楽をありがとうございました。先日の関係者試写会でも、音楽の力に映画が助けられているとみんなで話していました。大竹さんのギターは、なにか音楽を聴いているというより、心のこもった「言葉」、そして「会話」を聞いているような、そんな気分になります。”と、丁寧にご挨拶を受けました。

この映画の音楽は、俳優としてこれからひとつひとつ将来を築き上げて行くだろうと思われる日韓の二人の若い才能を、耳に聞こえる’台詞以外の心の言葉’で補い、そして美しく映像に融合させることができればと願って作曲したもの。

それをしっかりと感じとり、そのあとEメイルでも同じ感想を丁寧に送ってくださった夏希さんのマネージャーの言葉に、私はたいそう感激しました。

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「ソレダー」と「ロマンセ」は、7月に発表した新作CD「イベロアメリカーナ」に、私自身かなりノッてプレイしているライヴバージョンを収録。

「イベロアメリカーナ」は現在、日本のアマゾンで輸入盤、そして東京のテイクオフ社で日本語解説付きの国内盤が販売されています。

大竹史朗 ユパンキの音色をパラグアイに贈る

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大成功をおさめた、今年6月のアルゼンチン、ブエノスアイレス公演の前に訪れたパラグアイ。
ここで私は、この国の素晴らしい人々に出会い、これからさらに歩んで行くための、大いなる新たな’心のガソリン’を得ました。

パラグアイで私が得たのは、単にコンサートを大成功させたという’経歴’だけではありません。

以下、パラグアイの首都アスンシオン公演の模様を、南米の最大手ネットワークメディア「ABC」が、”大竹史朗、ユパンキの音色を贈る”と大きく報じた記事の日本語訳です。

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日本人ギタリスト&シンガーの大竹史朗が、去る水曜日の夜、アスンシオンのアグスティン•バリオス劇場につめかけた大観衆を前に公演を行った。
”エル•アリエーロ”として知られる大竹は、アタウアルパ•ユパンキの作品および、自らのオリジナル曲を披露した。

ユパンキの「栗毛の馬」、「ギターよ、教えておくれ」で幕をあけたコンサートは、大竹のオリジナル作品「ペペのサンバ」へと続く。
いつも大竹といっしょにいて、彼の奏でるギターの音色をそばで聞いていたという(1994年に死んだ)愛犬ペペの姿を素敵に謳いあげた曲だ。
そしてコンサートの前半は、やはり大竹の作曲による「風が歌う地」でラストを飾る。

第二部、アーティストはステージに戻ると、曲の演奏をはじめる前に、自身のヒストリーを聴衆に語った。

”13歳のとき、私は東京で(ラジオのプログラム)ユパンキの音楽をはじめて聴きました。そしてその深いエッセンスに魅了されたのです。
ニューヨークに渡ったのはそのあとですが、実はギターを弾くためではなく、私の本来の夢はブロードウエイの俳優になるためでした。
しかし、下宿していた部屋の大家がアルゼンチン人で、私がたまたま弾いたユパンキの曲に感激したことから縁が広がり、1989年、私はアルゼンチンのユパンキを訪ね、直接ギターの指導を受けました。そのとき私は、彼の奏でるギターの音色に真の大地の感動を味わい、運命が変わったのです。”

大竹は、聴衆の喝采をところどころで受けながらそう語った。

そしてコンサートは、アルゼンチンの国民詩人レオポルド•ルゴーネスに献呈した組曲「神々の炎」へと続く。
曲のラスト、大竹は鳴り止まぬ大喝采に感極まり涙を流し、ライヴは一時中断する。喝采は鳴り止まない。

”これまで歩んできた長い道のりを、あななたち素晴らしいパラグアイのみなさんに囲まれて思い出しました。”

大竹はそう語り、今年サウンドトラックを担当した日本映画「無花果の森」から「ロマンセ」、そしてユパンキの傑作「牛車にゆられて」、「トゥクマンの月」を演奏。
そしてユパンキの詩に大竹が作曲した「ヒロシマ〜忘れえぬ町」でフィナーレを迎え、さらに聴衆のアンコールに応え、「アランフェス(協奏曲第二楽章をアレンジしたソロ)」、メドレーで「コンドルは飛んでゆく」を披露。
終わることのない大喝采を浴びながら、大竹はパラグアイの観客に別れを告げた。

(’ABC’記事より全文)

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新聞記事の公演前日、ニューヨークからの’ナイトフライト’で、朝8時30分にパラグアイの首都アスンシオンに到着。
ホテルに護送後(!)、サッとシャワーを浴びて、休む間もなく午前11時から生出演のため人気ラジオ局「FMコンサート」を訪問。

これは、実際ライヴの放送が行われているところを撮影されたビデオ(一般には非公開のYouTube画像)です。

パーソナリティーのベトさんはブラジル人。

パラグアイ生活が長く、すでにこの番組を23年に渡って続け、自身のステーション「FMコンサート」を「カサ•デ•ロス•ムシコス(ミュージシャンの家)」と呼び、同国を訪れるアーティストを必ずラジオに招待して質の高いインタビューを行うミュージックラヴァー。

ベトさんの心地よいポルトガル語アクセントのスペイン語と、私のアルゼンチンアクセント丸出しのスペイン語によるインタビュー。
残念ながら字幕はありませんが、ギターではなく’そもそもブロードウエイのアクトール(俳優)を目指してニューヨークへ渡った’と私が話すくだりに、ベトさんがビックリして笑うところなどはおわかりになると思います。

世界でも最も音楽的な言語のひとつ、「スペイン語」による会話の響きをお楽しみください。
音楽を心から愛する、お互い専門職同士のブラジル人とニューヨークに暮らす日本人が、故国をはなれた土地でこうして第二外国語でコミュニケーションできるということが、どんなに素敵なことかわかっていただければ嬉しく思います。

放送中も、ピコピコとひっきりなしに入ってくる「フェースブック」の反響もまた一興。
「いまドイツにいるので悔しいけれどコンサートに行けないワ。」というメッセージが送られてくる一幕も。
インターネットの普及により、いまラジオ番組は世界中どこにいても楽しめるようになりました。

ビデオの6分20秒のところから、ユパンキの「牛車にゆられて」をライヴで演奏しますが、その前に私は、”いま何時?今朝8時30分に着いたばかりだからネ。もしかしたらベストの演奏にならないかもよ。でも明日(アスンシオン公演)はバッチリ決めるからね。”と言うと、「え、今朝着いたの?!?!」と驚くベトさんの表情も面白いと思います。

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今日はここまで!

パラグアイの思い出アルバムは、またあらためてアップデートします。

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