公益財団法人日韓文化交流基金の創立30年を記念して、東京四谷ハンマダンホールで開催されたスペシャルイベント、「縁 演 宴」が大成功をおさめました。
トップ写真はフィナーレ。ステージにむかっていちばん左にいるのが私です。
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以下、取り急ぎのお知らせです。
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「ハンアの舞」の成功は、ひとえにこの素晴らしいフルート奏者、キム・ヒスクさんの才能によるものです。
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当夜の司会を担当なさった大桃美代子さん(むかって右)と。
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私は好物の日本のチョコレートを山のようにもらい、言うことなし!
この深紅のシャツは、クラフト美和の平野美和子さんが、私のために特別にデザインしてくださった世界にただ一つの製品です。
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10月23日夕刻、今回の日本における日程をすべて滞りなく終了し、無事ニューヨークに戻りました。
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写真は、離日前日22日の午後、実に38年ぶりに母校青山学院中等部を公式に訪れた際のスナップ(来校者タグをぶらさげています)。
ここは私が、事情あって一年二学期を最後に退学するまで勉強していた教室。
おそらくこのあたりの机に座っていた記憶があります。
私はこの日、ふたりの初等部時代からの仲良しにアテンドされながら、感無量で学校の中を歩き回りました。
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私は青山学院退学後もずっと、初等部の卒業アルバムを大切にしていました。が、それは1988年、ニューヨークに渡る際にどこかに紛れてなくなってしまいました。
それを知った当時の私の仲良しは、彼女の持っていたアルバムを(写真のように)特殊コピーで同じサイズでよみがえらせ、明日ニューヨークに戻る私にプレゼントしてくれました。
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テクノロジーに優しい心がこめられて美しく生まれ変わった卒業アルバム。
私にとってもっとも楽しく幸せだった青山学院時代の思い出が、いつでもページを開けばそこに輝いている、これはオリジナルの卒業アルバムより価値のある、私の永遠の宝物です。
Mちゃん、ありがとう!!!
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私は高校時代、空手部部員として、日本空手界の先駆者のおひとりである大師範、故久保田招山(くぼたしょうざん)先生に、二年間に渡って松濤館流空手の指南を受けました。
当時、久保田先生の恩師であった大総帥、船越義珍(ふなこしぎちん)さんのお孫さんが偶然私たちの仲間にいたこと、そして久保田先生の実のご子息である廣美さん(写真/私のむかって右の男性)が私たちの英語の先生であったことなどから、このような素晴らしい大師範に直接武道の心を学べる機会を得られたのは、いま思えば本当に幸運なことだったと思います。
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久保田招山先生は(確か高校三年のときだったと思いますが)ある稽古のあと私のそばに歩み寄り、「大竹君は体がとても柔軟だ。まるでネコのようなので、おそらく二階から突き落としても怪我をしないだろう。ダンスに適しているかもしれないよ。」と、おっしゃってくださいました。
私はこの言葉を受け止めてダンスの道へと進路を定め、そしてその8年後にニューヨークに単身渡ったのでした。
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10月19日午後、当時の仲間であり、現在も後援会会員として私を支えてくれている頼もしい武士たちとともに久保田招山先生が眠る八王子の墓地を訪れ、33年ぶりにみなでご挨拶をしました。
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(写真提供:久保田廣美先生)
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10月18日金曜日の夜、銀座ヤマハにおいて、恩師鈴木巌先生をスペシャルゲストにお迎えして行ったコンサートが無事成功裡に終了しました。
満場を埋めてくださったお客様、スタッフの皆様、そして後援会長、大根田勝美さんにこの場を借りて心からの感謝を申し上げます。
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今回の初企画。
チケットお申し込み一番乗りの女性を第一部の終わりにステージ上にご招待。
アルゼンチン製のガウチョススカーフをプレゼントし、「風が歌う地」をそばで聴いていただきました。
銀座ヤマハ公演二日前、朝鮮の伝統音楽と伝説をモチーフに、フルートとギターのために書き下ろした最新作、「ハンアの舞」を初演予定(今年12月17日)のハンマダンホール(東京四谷、韓国文化院内)を視察、関係者の皆様と打ち合わせを行いました。
「ハンアの舞」は全三部構成。
ハンマダンホールは、このナンバー初演にうってつけの会場と思っています。
アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界