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青山学院・イン・サンダーバード基地!

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二週間にわたる今回の日本滞在中、唯一の完全オフ日であった10月13日の夜、青山学院時代のクラスメート8名が、私を都内の新名所「サンダーバード・カフェ」に招待してくれました。
素晴らしい8名の友人たちは、事前に私をどこへ連れて行くかを全く明かさず、さらに現地まではエスコートが付き添うという徹底した極秘ぶり。
いまもサンダーバードの大ファンである私は、この旧友たちによるプレゼントに心から感激しました。
私は青山学院初等部を卒業後、同中等部に入学しましたが、事情により一年生の二学期を最後に同校を退学、その後二度と青山学院の学びやに戻ることはありませんでした。
しかし、いまでもこうして私を大切に思ってくれる当時の仲間たちは、私にとって本当にかけがえのない存在なのです。

(写真提供/Ms. M.T.)

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Ciaccona

Ciaccona

〜バッハのシャコンヌBWV.1004によるマヤ幻想〜

シャコンヌ

2013年10月 release

Special live DVD for fan club members only. Not for sale.

(ファンクラブ会員の皆様を対象にした非売品ライヴDVD)

ラテン系アーティストにみるヒロシマ

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ユパンキが詩を書き、私が作曲をした「ヒロシマ〜忘れえぬ町」を世に出し、そしてさらには、ニューヨークで活動こそしていたものの、当時まだまだこれからという状況にあった「風来坊」同然の私を、正式に南米音楽の奏者としてデビューさせる機会までをも作ってくださったのが、広島の故山崎克洋(やまさきかつひろ)さんです。
恩人である山崎さんが生前、「ヒロシマの歌」への思いを込めてしたためた、「ラテン系アーティストにみるヒロシマ」とタイトルされたエッセイ(汐文社”ヒロシマと音楽”に掲載)が、最近オンラインでも読めるようになりました。
ぜひ、こちらをクリックしてお読みいただければと思います。

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「ヒロシマ〜忘れえぬ町」は私とユパンキの共作曲ではなく、天国の山崎さんとユパンキが、時空と国境を超えて力を合わせてできたものだと私はいつも思っています。

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(写真上)山崎克洋さんと私、1993年7月、広島市において
(写真下)山崎克洋さん、1966年4月、広島を訪れたアタウアルパ・ユパンキと

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In Memory of Katsuhiro Yamasaki (1934-2008)

インタビュー 大竹史朗のNY25年

週間NY生活

•この人に聞きたい•
ギタリスト/作曲家 大竹史朗のNY25年 
(週間NY生活 2013年9月21号掲載記事)

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アルゼンチンの国民的フォルクローレギタリスト、ユパンキの精神性を反映する弾き手と評され、近年は作曲家としても活躍する。
ブロードウエー大舞台を目指して渡米、ダンサーとして仕事が入り始めた頃、ユパンキの指導を仰ぐ機会に恵まれて進むべき道が決まったという大竹さん。
ニューヨークの地を踏んで25年を迎えた8月の昼下がり、新たな抱負を聞いた。
(聞き手・小味かおる、写真も)

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★ユパンキの後継者と言われますね。
そういう意識はなくて、フォローワーの一人です。弾き方も歌唱法も何もかも違う。
これからはユパンキをさらに突き詰める10年だと考えています。いろいろなエッセンスがこの5年の間に備わったんです。
★どんなエッセンスですか。
ユパンキの音楽、特に詩想の世界は素晴らしいものがある。でも今、さらに翼を与えて輝かせるには、違うアプローチが必要になってくる。
そこで、バッハやブラジルの作曲家ヴィラ=ロボスを取り入れて。
ユパンキもバッハも宇宙からのエネルギーやメッセージを聞いていた。ヴィラ=ロボスもそうです。
この三者が三本の絵の具の筆となって、僕がイメージする南米が描けたんです。
★具体的には。
ユパンキ生誕100年に、ヴィラ=ロボスのギター協奏曲という難曲中の難曲を1年かけて練習して演奏しました。続いて、カーネギーホールで2年続けて、自分の音楽を支えるバッハ、ユパンキ、ヴィラ=ロボス、自作と4大エッセンスを演奏したんです。
バッハのシャコンヌはマヤ文明が起源だという話を聞いたときは本当に感動しました。
研鑽してきたバッハを取り入れて、一昨年は日本で「ユパンキに捧げるバッハ」、去年はバッハのシャコンヌをマヤの土着のリズムを強調して日本のパーカッショニストと一緒にやりました。
★今後の活動は?
ここ数年、朝鮮の音楽に傾倒しているんです。朝鮮の葬列で歌う歌が、アメリカン・インディアンの歌とまったく同じで、自分がなぜ朝鮮の伝統音楽に惹かれていたか実証された。それで「ハンアの舞」という曲を作曲して、12月17日、東京が初演です。その前に10月18日に東京で演奏会、また日本の映画音楽を作曲する計画もあります。
★来年はアルゼンチン公演もありますね。
レオポルド・ルゴーネスという詩人の生誕140周年で、その関連です。
彼の出身地リオ・セコという町は、僕が武者修行したときに、当時の町長さんが宿と食事を提供してくれたり、これを聞けと勧めてくれたりして、僕を育ててくれたんです。
その彼がルゴーネスの詩に作曲してくれないかと言ってきて。今、詩を読んでいるんです。
★今後もニューヨーク拠点ですか。
こんなにエネルギーを感じる町は世界にないんです。いつも好機をくれる。弱肉強食的なところがあって、怖い町なんですね。でも心から愛して、いつでも一つのことをやるときに地面をまず叩くんです、「おい、頼むぜ」と。そうするとニューヨークは答えてくれる。

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(写真提供:週間NY生活 小味かおるさん)

エドワルドに捧ぐ「ギジェルマおばさんに捧げる歌」

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先日のNHK「ラジオ深夜便/明日へのことば」の電波に乗って、日本でもその存在が多くの方々に知られた私の恩人、エドワルド・マルティネス・グワジャーネス(本名:ラモン・エドワルド・マルティネス)。
私は、このユパンキの傑作曲に歌われた”ギジェルマおばさん”の実の孫にあたる素晴らしいフォルクロリスタを、友として、そしてフォルクローレ演奏の師として誰よりも慕っていましたが、彼は残念ながら1998年、病のために42歳の若さでこの世を去ってしまいました。
今年はエドワルドの15回忌になります。
私は、来たる10月18日の銀座ヤマハ公演において「ギジェルマおばさんに捧げる歌」を、かつて私をアルゼンチンのユパンキのもとへと導いてくれたエドワルドへの感謝を込めて、万感の思いとともに披露する所存です。

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(写真上)
1991年、ニューヨーク、ジャクソンハイツ(ラテンアメリカ系移民の多く住む地域)の教会サロンにて行ったコンサートのあとのスナップ。
この頃私は長髪が背中まであり(まるでナバホ族…)、レストランのウエイターや、トラックの運転手などをしながらエドワルドとともに活動をしていました。

(写真下)
1992年、エドワルドがニューヨークで主宰していたミニコミ誌「ビダ・イ・エコロヒーア(ライフ&エコロジー)」のパーティーにて、デュオによる「栗毛の馬」を披露。

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In memory of Eduardo Martinez Guayanes (1956-1998)