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ピアソラに捧げる魂のギターソロ(東京公演ライヴ収録ビデオ)1

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大成功をおさめた東京二公演の、それぞれ第二部において、僕はアストル・ピアソラに捧げる三曲のオリジナル・オマージュ・ギターソロ曲の初演を行った。

これは、第二部において、そのラストを飾るナンバーとしてプレイした、コンサート・タイトル「ドブレ・アーの嘆き」のライヴ動画。

まったくの無修正によるライヴ一発どりは、もちろん勢い余ったミストーンもあるが、これは、ひとりのギタープレイヤーとしての現在の自分が、おそらくほぼ完全に近い状態でご覧いただける「ライヴドキュメント」だと思う。

お楽しみいただければ嬉しい。

超人気レストラン「富麗華」コンサート

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黒川泰子さんと行った東京二公演が、大成功をおさめ、すでに次回東京公演が、麻布十番のミシュラン2スター超人気レストラン「富麗華」におけるランチコンサート(2025年1月26日)に決定している。

「富麗華」は、とにかく料理が美味しく、雰囲気もバツグン。
内装と照明が、日本のレストランと一線を画していて、どこかニューヨークのレストランにいるような気分になってくる。

会場の下見ランチの際、初めてお食事をご一緒させていただいた、沢田亜矢子さんと。
僕は渡米前、「ルックルックこんにちは」などで彼女に憧れた世代だが、ニッコリされると当時の面影そのまま。
この笑顔通りの素敵な方だった。

亜矢子さんと泰子さんは、国立音楽大学の先輩後輩という間柄❤️

バック・トゥー・バックの良い出会いに、心から感謝しています。

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深刻な円安の影響か、ゴールデンウイークとは思えない羽田空港第3ターミナル。

13時間後、無事ニューヨークに戻りました🗽

アッパーウエストサイド、リバーサイドパークにて🩵

マンハセット、アップルストアにて🍎

プロジェクト・ガルシア・ロルカNYC

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去る4月8日、東京公演にむけて出発の3日前、皆既日食でにぎわうニューヨークのミッドタウンにおいて、親しい書道家・院京昌子さんとともに、これから力を入れてゆく、「書」とギターによって、アンダルシアの「カンテ・ホンド(深い歌)」を表現する、「プロジェクト・ガルシア・ロルカ」の第1弾、”ソレダー・モントーヤ ~黒い哀しみのバラード~”の撮影を行った。

「黒い哀しみのバラード」は、ひとりのジプシー娘の姿を通して、アンダルシアに暮らすジプシーたちの悲哀と宿命を謳いあげた、ガルシア・ロルカの傑作詩のひとつ。

アンダルシアを、ニューヨークのミッドタウンに置き換え、昌子さんが、主人公の”ソレダー・モントーヤ”を演じ、僕自身が、脚本、撮影、編集、演出、そして音楽とすべて担当した作品。

いま、ロルカと音楽といえば、猫も杓子も、ありきたりのフラメンコという感じだが、ロルカはフラメンコとカンテ・ホンドの違いを問われた際、”現在歌い踊られているフラメンコは、カンテ・ホンドの退化でしかない”という発言をした。

ロルカとフラメンコをひとつとして考えるのは、決して正しくない。

僕は今後も、この「カンテ・ホンド」を、決してフラメンコにせず、自分が感じる独自の方法で表現してゆきたい考えでいる。

東京公演のご予約は、こちらのリンクページよりお申し込みください。

4.25東京公演オープニングは、「悪魔のヴァイオリニスト」パガニーニへのオマージュ

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来る4月25日、東京渋谷セルリアンタワー東急ホテル二階「JZ Brat Sound of Tokyo」昼夜二公演は、いずれも19世紀のロッカー、ニコロ・パガニーニに捧げる新作「悪魔のロマンス/パガニーニ・ライヴ・イン・ロンドン1932」で幕を開ける。

パガニーニは、ギターを愛奏した恋人のために、多くのギター曲を書き残した(ほとんど消失したらしい)が、それらを自らステージでプレイすることは一度もなかった。

パガニーニにとって、ギターとは、彼の心を優しく、穏やかにできる唯一の楽器ではなかったのだろうかと僕は思っている。

そんなパガニーニが、彼の1931~1932英国ツアーのクロージングとして、一晩だけギターを抱えて聴衆の前に登場したら?

これは、そういったアイディアからクリエイトした、ギターファンタジー。

パガニーニが残したギター曲の中でも、僕が最も好きな「ロマンス」を(彼がプレイするギターの音を思い描いて)独自のアレンジを加えたものを最初に弾き、さらに後半、「19世紀のロッカー・パガニーニ」を強調する、少々技巧的で、華やかな展開をもつアレグロをクライマックスとしてつなげた

ビデオのなかでも見せているが、彼のツアーの日程たるや、移動が馬車しかなかった時代にして実に信じがたいもので、まさに70年代のハードロックバンドを彷彿とするような人気ぶりがうかがえる。

パガニーニは、クラシック音楽を「自作自演エンターテインメント」として推進させた、最初のアーティストだと僕は思っている。

最も当時の音楽家たちは、みながみな新しいことをやっているという意識で音楽をクリエイトしていたと思うので、いま”クラシック”と呼ばれていることを知ったら、きっといやな顔をするに違いない。

蛇足だが、この世には”クラシックしか聴かない”ということを言う人がいるが、そういう人々のほとんどは、クラシックと呼ばれる音楽を好きな自分が好きなだけ。
本当に音楽を理解しているとは言い難く、僕は信用しない。

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パガニーニは生前、その超人的テクニックを盗まれることを恐れ、一切楽譜の出版を行わなかった。

ゆえに、現在弾かれているものは、当時の弟子や、音楽家たちが「こんな感じだっただろう…」と勝手に想像したもので、おそらく(いま聴くことのできない)本物のパガニーニは、音にしてもテクニックにしても、どんな想像をもってしても到底及ばない、いま僕たちが聴かされているものの、まさに数億倍素晴らしいものだったに違いない。

もし現在、自分の音楽と称されて、録音されたりコンサートで弾かれているものをパガニーニ自身が聴いたら、彼は間違いなく、”これ何?”と聞くだろう

彼の奏でる音色と技巧は、(現代においても)人が練習して到達できるものではなかったと言って間違いない

その容姿や私生活などから、悪魔的印象の強いパガニーニだが、街角で(決してうまいとは言えない)ヴァイオリンを弾いて稼いでいる貧しい子供を見ると、横で自らの楽器でプレイして、往来の衆からしこたまお金をかき集めてあげたり、また、当時誰も理解できなかったベルリオーズを「ベートーヴェンの後継者」として誰よりも認め、多額の援助をして彼を助けるなど、正しい眼力と優しい心を持っていたことを、僕たちは決して忘れてはならない。

天使のギタープレイヤー」パガニーニを、2014年の東京に蘇らせるために、これから数百回のリハーサルを行わなければならないが、僕は今、ギターを弾くこと、そして自分の作品をクリエイトすることを、おそらく今まで生きてきて最も楽しいと感じている。

コンサートのご予約は、こちらのリンクページよりお申し込みください。