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10月18日金曜日の夜、銀座ヤマハにおいて、恩師鈴木巌先生をスペシャルゲストにお迎えして行ったコンサートが無事成功裡に終了しました。
満場を埋めてくださったお客様、スタッフの皆様、そして後援会長、大根田勝美さんにこの場を借りて心からの感謝を申し上げます。
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今回の初企画。
チケットお申し込み一番乗りの女性を第一部の終わりにステージ上にご招待。
アルゼンチン製のガウチョススカーフをプレゼントし、「風が歌う地」をそばで聴いていただきました。
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二週間にわたる今回の日本滞在中、唯一の完全オフ日であった10月13日の夜、青山学院時代のクラスメート8名が、私を都内の新名所「サンダーバード・カフェ」に招待してくれました。
素晴らしい8名の友人たちは、事前に私をどこへ連れて行くかを全く明かさず、さらに現地まではエスコートが付き添うという徹底した極秘ぶり。
いまもサンダーバードの大ファンである私は、この旧友たちによるプレゼントに心から感激しました。
私は青山学院初等部を卒業後、同中等部に入学しましたが、事情により一年生の二学期を最後に同校を退学、その後二度と青山学院の学びやに戻ることはありませんでした。
しかし、いまでもこうして私を大切に思ってくれる当時の仲間たちは、私にとって本当にかけがえのない存在なのです。
(写真提供/Ms. M.T.)
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ユパンキが詩を書き、私が作曲をした「ヒロシマ〜忘れえぬ町」を世に出し、そしてさらには、ニューヨークで活動こそしていたものの、当時まだまだこれからという状況にあった「風来坊」同然の私を、正式に南米音楽の奏者としてデビューさせる機会までをも作ってくださったのが、広島の故山崎克洋(やまさきかつひろ)さんです。
恩人である山崎さんが生前、「ヒロシマの歌」への思いを込めてしたためた、「ラテン系アーティストにみるヒロシマ」とタイトルされたエッセイ(汐文社”ヒロシマと音楽”に掲載)が、最近オンラインでも読めるようになりました。
ぜひ、こちらをクリックしてお読みいただければと思います。
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「ヒロシマ〜忘れえぬ町」は私とユパンキの共作曲ではなく、天国の山崎さんとユパンキが、時空と国境を超えて力を合わせてできたものだと私はいつも思っています。
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(写真上)山崎克洋さんと私、1993年7月、広島市において
(写真下)山崎克洋さん、1966年4月、広島を訪れたアタウアルパ・ユパンキと
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In Memory of Katsuhiro Yamasaki (1934-2008)