シロ・オオタケ-日本の’牛追い’
アルゼンチン誌 ユパンキ生誕100年記念記事
アルゼンチンの最大手紙、’クラリン’が発行する、質の高いアート&カルチャー誌、Revista Ñが、1月26日付でユパンキ生誕100年を記念する大きな特集記事をリリースしました。
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アルゼンチンの最大手紙、’クラリン’が発行する、質の高いアート&カルチャー誌、Revista Ñが、1月26日付でユパンキ生誕100年を記念する大きな特集記事をリリースしました。
ジョイントコンサート ティエラ・エテルナ15日銀座王子ホール
南米のフォルクローレを演奏するギタリストで、米ニューヨークを拠点に活動するシロ・エル・アリエーロ(本名・大竹史朗)さんとポルトガルの民族歌謡、ファドの歌い手、はらだじゅんさんとのジョイントコンサート「ティエラ・エテルナ」が15日午後2時、中央区銀座4の王子ホールで開かれる。
ポルトガルの国民的歌手で、「ファドの女王」と呼ばれた故アマリア・ロドリゲスが2人を引き寄せた。
もとはシャンソンを歌っていたはらださんは結婚、出産で音楽活動から一時離れ、長女の成人を機に01年元旦にデビュー。その大きな目標が「アマリアの歌に挑戦すること」で、「彼女の歌には人間の運命、宿命が込められている」。
一方のシロさんも、その歌声に魅せられた一人で、「ファドには興味があった」と話す。
「ティエラ・エテルナ」(永遠の地の意)の名でデュオを組むことになり昨年12月、レストラン「ヌキテパ」(品川区)でのステージを経て今回のコンサートにこぎつけた。当日はファドの名曲やシロさんの新作「南米舞曲」などが披露され、哀愁に満ちた調べが漂う。
6000円。事務局(03・3501・1301)。
<明珍美紀>
毎日新聞 2007年(平成19年)4月5日(木)朝刊
“Stage・聴く” 欄
東北ツアーのパート2(実際は皮切りの10日でした)は、岩手沼宮内で行った私の新作「寄寿(よりじゅ)」お披露目公演。現地の最大手紙である岩手日報が大きく報じてくれました。私と寄寿との出会いが簡潔に書かれてありますので、その記事をご紹介したいと思います。
米国・ニューヨークを拠点に活動するギタリストの大竹史朗さんは十日、岩手町でコンサートを開く。同町の伝説に登場する「寄寿姫」をモチーフにした新曲「よりじゅ」を発表する。
大竹さんが五月に同町を訪れた際に、街の駅よりーじゅ前に設置されている寄寿姫のブロンズ像を見たり、伝説を聞くなどして「新曲が浮かんだ」という。
コンサートは同町沼宮内のコミュニティースペース「山見の里 かきくけこう」で開かれる。大竹さんは築100年余りの旧家の母屋を改築した重厚な趣を気に入ったという。
大竹さんはフォルクローレ・ギターの巨匠とされるアルゼンチンのアタワルパ・ユパンキに指導を受け、シロ・エル・アリエーロの名前で世界的に活躍している。
国内でも毎年ツアーを行っている。岩手の自然に愛着を深め、八幡平市にある友人の宿泊施設に立ち寄るようになった。本県にちなんだ歌曲も数曲ある。
寄寿姫は沼宮内の知名の由来の伝説に登場し「自らいけにえに名乗り出て大蛇を鎮め、地域に平和をもたらした」と語り継がれている。
新曲「よりじゅ」の歌詞には、「石神」「寄寿」と地名がなどが盛り込まれ、風景を歌いつつ、恋愛の切なさを感じさせる静かな曲調という。
コンサートなどを企画している」ひょうえもんの主催。柴田和子社長は「地域のシンボルに光があたってうれしい。新曲を町の文化活動にどう生かしていけるか、今後の展開が楽しみ」とPRする。
(岩手日報 2006年12月9日)
フォルクローレ大竹史朗奏でる 22日に日系人会で公演
南米の民族音楽フォルクローレを演奏するニューヨーク在住のギタリスト、大竹史朗が9月22日(金)、午後7時からニューヨーク日系人会館ホールで、「郷愁を奏でる孤高の騎士、大竹史朗の夕べ」を行う。
大竹は、昨年9月のハンターカレッジでのソロ公演成功後、年末にペルーのリマで1200人の聴衆を前に演奏、さらに今年春には、京都大覚寺を舞台に久々の日本公演を行うなど精力的に演奏活動を続けている。
ニューヨーク日系人会では、6月に一度ゲスト出演して演奏したことがあるが、今回は、大竹が13歳の時に始めてラジオで耳にした師と仰ぐアタウアルパ・ユパンキの「栗毛の馬」を当時聴いたままのオリジナル奏法によって再現、本格的なアルゼンチンのフォルクローレの音を披露するという。
大竹は、「ユパンキの継承者などという人もいますが、自分ではそんなことは意識したことはなく、オーセンティックな域にようやく足を踏み入れることができたということをようやく自覚している段階です」と話す。
当日は、日本の郷愁に影響を受けて作った南部組曲も演奏し、日本人の心を通してアルゼンチンやペルーなどの、南米の旋律を演奏する。一曲のメロディーがひとりの少年の人生を決めたその証を歌い上げ、奏でる夕べとなる。
(週間NY生活 2006年9月9日)