4月20日のニューヨーク公演とアップデートが前後してしまいましたが、シャンソン、ファドを歌う歌手、はらだじゅんさんとのジョイント・コンサート、“ティエラ・エテルナ”“を、4月15日、東京銀座の王子ホールで行いました。
私はこの日、一演奏家として自分のパフォーマンスに対し、かなり満足のゆく結果を残せたのではないかと思っています。
おそらく会場に足を運んでくださった、すべての皆様に喜んでいただけるパフォーマンスになったことと信じて疑いません。
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ツアー & ライブ
NY Immigrant History Week 2007 大成功
ニューヨークを作り上げてきた移民たちの歴史を祝う“Immigrant History Week”最終日の4月20日、クロージング・プログラムとなる私のコンサートが、無事成功をおさめました。
15日の東京銀座王子ホール公演の直後、17日に東京-ニューヨークを移動しての、かなりタイトな日程での大一番でしたが、会場となった、ニューヨーク・インターナショナル・センターの満場のお客様を前に、ユパンキの「栗毛の馬」、自作の「ラ・サンティアゲーニャ(南米舞曲第一番)」、「ダヒュ」、「南部幻想曲」、「パンパ前奏曲(南米舞曲第一番)」、「ペペのサンバ(南米舞曲第一番)」、「パチャママの踊り(南米舞曲第一番)」、そしてラストにユパンキの「牛追い」、アンコールに「コンドルは飛んでゆく-花祭り」を、ニューヨーク独特の熱気につつまれて演奏。アメリカにはじめて渡ってからはやくも20年近くの歳月が流れたことをかみしめながらのパフォーマンスは、おそらく今後、私にとっても忘れられない公演となることでしょう。
今回、このイヴェント開催にあたって、ニューヨーク市に対して私の出演を強力にプッシュしてくださった、インターナショナル・センターのショーン・ムーリンさん、キャスリン・ボンさんにこの場を借りて深く感謝を申し上げます。
また、今回のこのイヴェントでは、多くのボランティアーの方々が毎日スタッフとして運営に携わってくださいました。
その方々へのお礼として、私のCDアルバム30枚をプレゼント用にとりはからってくださったニューヨーク市およびスポンサーの皆様、そしてなかにはいってプロセスを進めてくださったメアリー・べス・ホルマンさんに心より御礼申し上げます。
この意義あるイヴェントのオープニング・ナンバーは、やはり私にとってなににもかえられないユパンキの「栗毛の馬」でした。
一番弟子(?)、岩田邦裕さんをサイド・ギターに加え、「ダヒュ」をNY初演。
彼は今日、安定した素晴らしいギターワークとバウロン(ボーラン)を聴かせてくれました。
時差をもなんのその!ヴィラ=ロボスに捧ぐ「南米舞曲第一番」。
会場と一体となっての「コンドルは飛んでゆく」。
これまでニューヨークは私に数多くのプレゼントをしてくれました。今回、そのニューヨークのために、私の南米音楽が役に立てたことを本当に嬉しく思います。
公演後、関係者の皆さんと。むかって一番左が、センターのプログラム・コーディネーターのショーンさんとキャスリンさん(右から3人目)、そして一番右が岩田邦裕さん。 また、バウロン(ボーラン)をもつ私の左は、駆けつけてくれた私の恩人、アタウアルパ・ユパンキ基金のファニータ・サロッシさん。
皆さん、ありがとう!!!
マチュピチュ・ツアー正式発表
4月9日の午後、東京渋谷のペルー大使館において、同国が誇る世界遺産であるインカの空中都市「マチュピチュ」で今秋行われる、グローバルユ−スビューロー社による私のコンサートツアーの発表説明会が行われました。
駐日ペルー大使のごあいさつに続いて、ペルー大使館の外交官によるペルー観光の魅力のお話、そしてグローバルのスタッフによるツアーの説明のあと、満場のお客様を前に私は、ユパンキの「栗毛の馬」、そして、ブラジルの大作曲家、エイトル・ヴィラ=ロボスに捧げたオリジナルの新作ギター組曲、「南米舞曲第一番」を全曲披露。さらにその後は、大使館シェフによるペルー料理のランチがつくなど、なんとも豪華な午後のひとときでした。
グローバルの旅行パンフレットにもあるように、私にとってマチピチュで演奏をするということは、文字どおり原点回帰を意味し、神秘的なかの地の空気を感じながらのコンサートでは、自分でもいったいなにがどうなることか、はじめてみるまではまったくわからない期待感のようなものでいっぱいというのが正直なところです。
ツアーは、11月26日成田出発の9日間コース、同じく26日出発の12日間コース、そして11月20日出発の14日間コースがあり、いずれも11月29日に、マチピチュの最高級ホテル、「サンクチュアリ・ロッジ」にご宿泊、そして私のコンサートを聴いていただくという内容です。
このツアーに関するお問い合わせは、グローバルユ−スビューローまでどうぞ。
(写真 パワーポイントによるマチュピチュの映像の前で、「南米舞曲第一番」を演奏する私。
えっ、スリー・アミ−ゴス(サボテン・ブラザース)?!
左から、ニューヨーク最大の日本人セレブリティーといえばこの方、連日予約で満席の和食レストラン「NOBU」のシェフ、松久”ノブ”信幸さん、ウ−ゴ・パルマ駐日ペルー大使、そして私。ノブさんは私の演奏を、一番前の席、私と1メートルとはなれていない場所で聴いてくださっていました。
ヒロシマ・モナム−ル
今回の日本滞在における最初の公式日程が、去る3月17日に広島市に今度新しく発足した「広島スペイン協会」の設立記念セレモニーでのゲスト演奏でした。
午後7時からはじまった懇親会の席で、私はユパンキの「兄弟たち」、ユパンキと、スペインのマヌエル・ベニーテス・カラスコの共作による「微笑みながら坊やは眠る」、そして、私にとってかけがえのないナンバー「ヒロシマ 忘れえぬ町」を演奏。さらにアンコールでは、なにかスペインのものをということで、マヌエル・デ・ファリャの「七つのスペイン民謡」から”エル・パーニョ・モルーノ”のソプラノ・パートをギターの弾き語り(!)にて披露。これは世界でもやる人はかなり少ないはずです。お集りいただいた皆さんはとても珍しいものを聴いていただいたのだと思っています。
東京生まれで現在ニューヨークに暮らす私ですが、ユパンキの詩が縁となって、私を世に出してくれることになった広島は故郷も同然です。
その広島で今回こうしてスペイン協会が発足することになったのは大きな喜びです。
広島スペイン協会の今後のご発展を心よりお祈りいたします。
写真)広島スペイン協会設立記念式典懇親会にて。
シロ in 見前中!
10日からはじまった東北での連続ライヴ。少々前後しますがこれはパート1。11日の午後、盛岡市立見前(みるまえ)中学校にご招待を受けました。子どもたちのキラキラしている瞳を前に演奏するのは本当に素晴らしいことです。
私は13歳のときにユパンキの音楽を聴いて感激し、音楽の道へと進みました。この日、私の演奏を聴いた子供たちのなかで、もし誰かが私のように思ってくれたとしたら、こんなに素晴らしいことはありません。
(写真 見前中学の吹奏楽クラブの女の子たちとコンサート後に校長室で。みんなかわいいですね...。)