およそ前衛的なものや、技巧的なもの意外ならありとあらゆる音楽を楽しみますが、アメリカの南部に起こったブルースは(ユパンキのフォルクローレは別として)、私がもっとも愛してやまない音楽です。
これだけ単純な構成にもかかわらず、その奥の深さはまさに無限で、かつこれだけ心地よく人の心にエモーショナルに訴えてくるものはありません。
それぞれが短い三部構成からなる私の新作「ダヒュ」は、第一部では、静かなブルターニュの海の彼方から聴こえてくる、美しいダヒュの歌声を模した純然たるクラシカル・ギターのソロで幕をあけますが、続く第二部では、がらりと雰囲気をかえ水底に沈んだ王女の恨み悲しみを表現するために、サイド・ギターを加えて、はじめてブルースのギター・テクニックを導入しました。
もちろんいままでステージで、ブルース奏法を披露したことはありません。
しかし少年時代、クラシカル・ギターの勉強と平行して、私はかなりの時間をブルースのレコードを聴くことにあて、自分でもいろいろとその奏法を研究したものでした。
ここでようやくそのときの経験が役にたちそうです。
さらにファイナル・パートではテンポアップして、ジプシーのフォーク・ダンス風ギターへと展開する私の「ダヒュ」。
目下のところ「ダヒュ」は、自分の創るギター音楽の集大成といってよいと思っています。
写真)「ダヒュ」第二部で使用する、ブルース・ギターに欠かせないボトルネック・スライドバー。
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1月の末から一週間、カリブ海(西インド諸島)にある、まるでひとつぶの真珠のような美しい島、アルーバ(Aruba)で休暇を過ごしました。
ありがたいことに、世界の有名な観光地へは仕事で行けることが多いので、個人的なヴァケーションは、のんびり裸足かぞうりで過ごせる美しいビーチ一辺倒となります。
今回はじめて訪れたアルーバは、数あるカリブの島々のなかでもかなり南に位置しているため、他の島にあるハリケーンの心配がなく、一年中いつ行っても青く澄み渡った空とコバルトブルーの海が楽しめ、さらに水が良質なため食べ物がとにかくおいしく、人は親切で、もうすっかりこの島のとりこになってしまいました。
数年前までオランダ領であったことから、現在も公用語はオランダ語ですが、スペイン語、英語も多く話され、さらにそれらがまぜこぜになったパピアメント語というかわいい言語が飛び交っており、なんとも魅力でいっぱいのハッピーアイランドです。
ニューヨークから直行で5時間のアルーバ。
日本の皆様、今年のゴールデンウイークはNYとこのアルーバのセット旅行はいかがですか?
写真)プールもビーチもほぼ貸切状態
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ブエノスアイレスの中心地から少し離れた、パレルモと呼ばれる地区に中南米最大の日本庭園があります。
広く美しい庭園は実に立派なもので、ただ散策して歩くだけでも心地よいのですが、園内には日本の民芸品を売るお店や、庭園をながめながら日本料理を楽しめるレストランなどもあり、この地球のまったく反対側の異国情緒を味わうために、休日には家族連れの人々でいっぱいになります。
この日本庭園で、私はいままで何度か公演をしています。
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ブラジル同様、アルゼンチンでも日系人たちははや3世、4世の時代を迎え、政界をはじめとする各分野での彼らの活躍は目覚しいものがありますが、そのアルゼンチンの日系人たちで構成されるのが、今回ご紹介するセントロ・ニッケイ・アルヘンティーノです。
写真)彼ら日系人の読む新聞 らぷらた報知 2004年 7月15日 ー 私の亜国訪問を報じたものです
セントロ・ニッケイ・アルヘンティーノは、今年発足20年を迎えますが、私が彼らと知り合ったのはちょうど10年前、彼らが10周年を祝うイヴェントに私を招待してくれたのが縁のはじまりでした。
その時私は、この同じ血を体の中に持つ遠い国の兄弟たちにすっかり魅せられ、それ以来ずっと親しくさせてもらっています。
昨年のアルゼンチン公演のとき、彼らがどんなに喜んで私を迎えてくれたかは言葉では言い表せません。
“俺には兄弟がたくさいいいる 野に山に海に 数え切れないほどいる そして それらのすべてがそれぞれの職をもち 想い出を後に 希望を先において生きている”
という出だしで歌われるユパンキの名曲‘兄弟たち’
私はこのナンバーを演奏するとき、いつも彼らのことを想って歌い出すのです。
セントロ・ニッケイの素晴らしい兄弟たちと ブエノスアイレスにて
大好物のパリジャーダ(BBQグリル)でにっこり!
考えてみますともうずいぶんオリジナルによるギター曲を作ったものですが、そのなかでもコンサートで一番人気のあるナンバーが、2枚目の‘コンドルビウエラ’に収められた‘ぺぺのサンバ’です。
94年に惜しくも死んでしまった愛犬ポメラニアンの‘ぺぺ’との楽しい想い出を、フォルクローレのサンバのリズムを使ってギターのうえに綴ったものですが、動物を愛する心というのは世界中どこへ行っても同じなのでしょう。
この曲のおかげで決まったラジオやテレビ出演も少なくありません。
ニューヨークの自宅のソファでギターを弾いているといつも隣に来て聴いていたぺぺ、いまでも私は毎日のように彼を思い出しては、演奏のないときでもこのナンバーを家で弾いています。
ぺぺ(1983ー1994)
ぺぺと私(1993年、ニューヨーク州、レイク・ジョージにて)
ぺぺの死後、しばらくは犬を飼おうとは思いませんでしたが、99年の春、たまたま立ち寄ったペットショップで息をのんでしまいました。
生まれたばかりの赤ん坊ポメラニアンはまるでぺぺの生まれ変わりのようで、もうどうしてもこのまま手放して帰ることができなくなり、結局その日、‘コンドル’ならぬ、‘1000ドル’が飛んでゆきました。
ぺぺのお墓の前にて
プッチー(1999ー)
このプッチーは現在6歳になり、ニューヨークシティーから車で2時間の、のどかな田園地帯にあるぺぺのお墓に連れてゆくと風のように走り回ります。
その光景を模して作ったのが、チャカレラのリズムによる‘風とプッチー’です。
2002年に、グアテマラシティーのカミノ・レアルホテルで演奏したものが、とてもよい状態で録れているので、次作アルバムにはこのナンバーをライヴ音源で入れようかなどと考えています。
»» puccie’s room
アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界