
私にとってかけがえのない町、それは広島です。
14年前、ユパンキが書いた詩「ヒロシマ 忘れえぬ町」に作曲。
その精神状態は、ひたむきなまでにピュアではありましたが、キャリアといえばニューヨークのスラム街のバーやレストランで、ただかき鳴らすようにギターを弾いていただけ。
そんな私を日本に呼び戻して、最良のかたちで世に送りだしてくださったのが広島の皆様なのです。
今回、5年半ぶりに故郷(?)に帰った私の希望もあって、ごくごく親しい皆さんだけをお招きしてのスペシャル・ライヴを、10日の夜に行いました。
写真)私のCDアルバム「マリーア・ルイサ」のジャケットを描いてくれた芙似原由吏さん(右)。
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
ユパンキの詩「ヒロシマ 忘れえぬ町」に作曲したことから、1992年、広島の皆様の力によって実現した私のはじめての日本での正式公演。
その際にいただいた最上のプレゼントが、この、皆様が心をこめて折ってくださった千羽鶴です。
先日、広島の渡部朋子さんから、新刊書の「ヒロシマと音楽」が送られてきたとき、私は、ユパンキの、“きみが忘れてしまった故郷の木は いつでもきみをおぼえている そして夜ごとに問いかける 幸せでいるかい それとも...” と、歌われる「El Arbol Que Tu Olvidaste (郷愁の老木)」という歌を思い出し、ひとりニューヨークで涙を流しました。
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東京に生まれ育った私が、いま、音楽を通じていま世界中にふるさとをもてるようになったのは、そもそもこの広島の皆様が作ってくださったご縁があったからにほかなりません。
8月6日の今日、私はもう一度、「ヒロシマ 忘れえぬ町」の詩をかみしめ、あらためて広島の皆様に感謝をし、そしてまた、戦いが生み出す恐ろしい惨劇が、世界のいたるところで二度とくり返されることのないよう、祈りを捧げたいと思います。
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広島の市民団体「ヒロシマと音楽」委員会(委員長・原田宏司広島大学名誉教授)が、東京の汐文社から、原爆や平和をテーマに収集した国内外の1867曲のデータや、活動の歩みを記した本「ヒロシマと音楽」を出版しました。
私にとって、日本での音楽家としてのキャリアの第一歩ともいえる公演は、広島の皆様によって作られたものです。
その後、日本だけでなく、世界中のいろいろな土地を訪れるようになり、いろいろなオリジナルの作品を創るようになりましたが、ユパンキが作ってくれた、この広島との縁がなければ、おそらく何も生まれなかった、そう言っても過言ではありません。
ユパンキが広島を、「忘れえぬ町」と言ったように、 私もこのときの、広島の皆様が私に対して送ってくださった愛情を、生涯忘れることはないでしょう。
本のなかでは、“ラテン系アーティストにみるヒロシマ”、および“「ヒロシマと音楽」と私”のチャプターのところに、私とユパンキのこと、そして「ヒロシマ 忘れえぬ町」のことが、12ページにわたって書いてあり、私もこれを読み当時のことを思い出して感無量でした。
この素晴らしい本を、多くの皆様に読んでいた だきたいと思っています。
(お問い合わせは 汐文社 03-3815-8421)
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
ユパンキの詩 ‘ヒロシマ ー 忘れえぬ町’ に曲をつけたことがきっかけで行われた私の最初の広島公演の際、NHKが制作した‘メッセージひろしま’。
スタジオでのインタビューにライヴ映像をまじえた、30分にわたる本格的なものでしたが、いまこのとき録画してもらったものを見ると、公演のためにアメリカから4年ぶりに日本に帰国した私は、非常に落ち着き払った態度で用意された椅子に座り、身動きひとつせず、眉ひとつ動かさずにインタビュアーをじっと見つめて質問に答えていて、それはまるで、あたかも森の奥からでてきた若い狼のような雰囲気さえたたえています。
頼る人間もいないまったくの未知の世界で、4年の間に若い目が見た数々の事柄はストレートに心臓に達し、そしてそれが血液となって指先へと流れた結果、私はこの頃、本当に純粋な気持ちでギターを弾いていました。
このところ、演奏技術が進歩した反面、はたしていまの自分は、そのときのピュアリティーをそのまま保っていることができているのだろうかなどと時折思うことがあります。
“ギターの音色は、そのからだを抱くふたつの腕が翼となって、満天の星空の下、いくたびもいくたびも生まれかわりながら遠くへ遠くへと飛び立ってゆく”
ずっと本棚の奥にしまってあった、ユパンキのこの ‘ギター’ という美しい詩集を取り出して、最近私はこの言葉をもう一度かみしめながら、そしてこの ‘心臓に押しあてられて演奏される唯一の楽器’ との一体感を深めながらステージに向かっています。13年前の自分を思い起こしながら。
このNHKが作ってくれた番組に、いまの私がもう一度ふりかえらなくてならない、かけがえのない原点があるのです。

アメリカから4年ぶりに帰国した、1992年の私。
荒野のようなNYで、生活の大半を英語とスペイン語で暮し、つきあっていい人間と、進んでいい道のりを常に模索しながらただひたむきにギターをかき鳴らしていました。
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1960年版のユパンキの詩集 ‘ギター’
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ヒロシマの力強さに感動
共同通信による全国記事
1994年
アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界