De Tanto Dir y Venir

‘夢見ながら歩くものたち’とともに

ギターラ

‘栗毛の馬’や’牛追い’、’牛車にゆられて’、’眠れるインディオの子’、そして’トゥクマンの月’などの名曲の数々を、決してコンサートにおいて欠かすことのできないたいへん重要なレパートリーとして持ち、これまで数多くのユパンキ作品の研鑽、演奏を続けてきた私ですが、実はこのところ、2005年春の東京オペラシティーでの二回公演の際に演奏した、’微笑みながら坊やは眠る’のそれ以来、新たなユパンキ作品をレパートリーにとりいれる作業から二年半ほど遠ざかっていました。


そんな私がいま、万感の思いをこめて取り組もうとしているものが、アタウアルパ・ユパンキの傑作詩集’ギターラ’におさめられた、’Mi Huella (俺の轍-わだち-)’というタイトルの、それはあたかも彼の歩んだ道程を追うものたちに残されたメッセージのような、たいへん深い内容をもつナンバーです。

Mi Huella (俺の轍-わだち-)

長い旅路の果てに 俺のポンチョはずたずたになり
俺はアザミのとげで傷をおった
だが 俺の足元には轍がある
夢とむせび泣きに満ち溢れる夜明けに 旅を続ける
荒れた砂地を吹く風は 俺の轍を消してしまう
きれいだった道も イバラと泥と化してしまう
見わたせば 雑然とした草むら
だが 俺の足元には轍がある
今日も イバラをふみつけ傷をおった
だが その下 俺の足元には轍がある
いつか夢見ながら歩くものたちが それを見つけるだろう
俺がおき残した心とともに
そして俺は それを遠くで見ていることだろう

こういった内容が歌われるこのナンバーは、私がもっとも愛聴する、ユパンキ晩年の録音によるアルバム、’El Canto Del Viento -風の歌-‘の一曲めに、’De Tanto Dir y Venir’というタイトルで収録されています。
ここに録音されたユパンキのギターは、もはや人が弾いているという感じはなく、まるで生きているかのように呼吸をし、ともに旅を続けて歩いてきた生涯の伴侶が、長かったいままでの道程を思い、そして語っているのを傍らでしずかに見守っている、そんな音色です。
私のようなまだ経験の浅い音楽家がいまこのナンバーを演奏すれば、ただただきれいにまとまって終わるだけの演唱となってしまうことは言うまでもありません。
これは、次のコンサートとか録音のために準備するものではなく、おそらく私のライフワークとして長い年月をかけ、これから私が年を重ねてゆくとともに、この人と楽器が一体となる、ギター音楽芸術の極致ともいえるこの作品の深みに、一歩一歩近づいてゆければと思っています。
私をふくめ、世界中に多くいる、ユパンキを愛し、彼の音楽を演奏する’夢見ながら歩くものたち’を、ユパンキはきっとどこかで見守ってくれていることでしょう。

ユパンキCD