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生まれてはじめてのTVインタビュー番組、‘メッセージひろしま’

メッセージひろしま

ユパンキの詩 ‘ヒロシマ ー 忘れえぬ町’ に曲をつけたことがきっかけで行われた私の最初の広島公演の際、NHKが制作した‘メッセージひろしま’。
スタジオでのインタビューにライヴ映像をまじえた、30分にわたる本格的なものでしたが、いまこのとき録画してもらったものを見ると、公演のためにアメリカから4年ぶりに日本に帰国した私は、非常に落ち着き払った態度で用意された椅子に座り、身動きひとつせず、眉ひとつ動かさずにインタビュアーをじっと見つめて質問に答えていて、それはまるで、あたかも森の奥からでてきた若い狼のような雰囲気さえたたえています。
頼る人間もいないまったくの未知の世界で、4年の間に若い目が見た数々の事柄はストレートに心臓に達し、そしてそれが血液となって指先へと流れた結果、私はこの頃、本当に純粋な気持ちでギターを弾いていました。
このところ、演奏技術が進歩した反面、はたしていまの自分は、そのときのピュアリティーをそのまま保っていることができているのだろうかなどと時折思うことがあります。

“ギターの音色は、そのからだを抱くふたつの腕が翼となって、満天の星空の下、いくたびもいくたびも生まれかわりながら遠くへ遠くへと飛び立ってゆく”

ずっと本棚の奥にしまってあった、ユパンキのこの ‘ギター’ という美しい詩集を取り出して、最近私はこの言葉をもう一度かみしめながら、そしてこの ‘心臓に押しあてられて演奏される唯一の楽器’ との一体感を深めながらステージに向かっています。13年前の自分を思い起こしながら。
このNHKが作ってくれた番組に、いまの私がもう一度ふりかえらなくてならない、かけがえのない原点があるのです。

1992年の私

アメリカから4年ぶりに帰国した、1992年の私。
荒野のようなNYで、生活の大半を英語とスペイン語で暮し、つきあっていい人間と、進んでいい道のりを常に模索しながらただひたむきにギターをかき鳴らしていました。

ユパンキの詩集 ‘ギター’

1960年版のユパンキの詩集 ‘ギター’

子供たちのための演奏 、音楽家としてかけがえのないの役目

学校を訪れてコンサートをするというのは大変やりがいのある仕事です。
子どもたちの感受性は湧き出でる泉の水のように清らかでそして豊かです。こちらも決して演奏に嘘があってはいけません。
思えば自分も、子どもの頃にたくさんのいい音楽を聴いたことで、いま素晴らしい道のりを歩むことができました。
いま、子供たちのためによい音楽を真摯な姿勢で弾いて聴かせてあげるということは、自分にとっての、音楽の素晴らしい大先輩たちへの恩返しになるのだと私は思っています。

成城学園

成城学園

成城学園にて ダブルネックギターと遊ぼう!

宿戸中学校

岩手県の宿戸(しゅくのへ)中学校の文化祭に招かれて生徒会長の立松真也(たちまつしんや)くんからの歓迎の辞

手紙

立松くんがNYに送ってくれた手紙

文化学院の案内記事

母校、文化学院の案内記事に私は同じ事を書きました。
(文芸春秋 2002年1月)

デイリー東北

デイリー東北 2003年11月

NHK FM ‘ポップスステーション’ 竹村淳さん

日本のNHK FM放送で、もう20年以上もラテン音楽の魅力を紹介していらっしゃるのが、音楽ジャーナリストの竹村淳さんです。

竹村さんは、日本のラテン音楽評論の第一人者のおひとりですが、ご本人は‘評論家’という肩書きをきらい、あえてジャーナリストとしてフットワークも軽く、気になる音があると世界中どこへでも出かけてゆくという素晴らしい方です。
竹村さんは、私がいままで発表したCD4枚をすべて放送で紹介してくださいました。
竹村さんの放送を聴いて私のコンサートにいらしたという方が日本全国どこに行っても必ずいらっしゃるのでたいへんありがたいのですが、それだけではなく、‘ルナ・トウクマナ’をのぞく3枚に、ご自身のペンからなる日本語の素晴らしい解説を入れて、現在やはりご自分のテイクオフ社から日本でディストリビュートをしてくださっている、文字どおり私の日本での大恩人です。

私はかつて、NHKのFM放送でユパンキを知りました。いま同じ電波に乗って私の音楽が流れ、もしそれをどこかで、少年時の私のように感激して聴いてくださっている方がいらっしゃるとすれば、私にとってこれ以上の喜びはありません。
! Muchisimas gracias, maestro Takemura-san !

 ‘マリア・ルイサ’フライヤー

竹村さんが出してくださっている、日本版 ‘マリア・ルイサ’ のDMフライヤー。

竹村淳さんと

竹村淳さん(右)と、宮城県気仙沼市で行われたトークコンサートを終えて。

このときもNHKの放送を聴いて、仙台から3時間半かけていらしたという方々がいらっしゃいました。
‘マリア・ルイサ’のさわりはこちら、米ミュジカレコードのサイトにて聴くことができます。

ウルグアイの‘ルックルックこんにちは’

uruguay1

南米ウルグアイの首都モンテビデオは、海に面したモダンな新市街と、黄昏時にたまらなくロマンティックな、ヨーロッパ風の旧市街からなる美しい町でした。
ここで出演した、いわば‘お茶の間の朝番組’。モンテビデオでも一番人気の朝の生番組ということで、コンサートの集客に追撃ちがかかりました。
ダブルネックギターを生で演奏しているところがはじめて放映されたテレビ番組です。
ただ、あまりに取材が立て込んだためバタバタと放送局にかけ込むことになり、この番組の名前を聞くのを忘れてしまいました。
ビデオをもらってあるのですが、ヨーロッパ同様南米はパル方式なので、残念ながらいまだに見ていません。

取材! 取材!! 取材の嵐!!!

フー、つかれた...。

愛犬から得たインスピレーション ’ぺぺのサンバ’、’風とプッチー’

ぺぺ

考えてみますともうずいぶんオリジナルによるギター曲を作ったものですが、そのなかでもコンサートで一番人気のあるナンバーが、2枚目の‘コンドルビウエラ’に収められた‘ぺぺのサンバ’です。

94年に惜しくも死んでしまった愛犬ポメラニアンの‘ぺぺ’との楽しい想い出を、フォルクローレのサンバのリズムを使ってギターのうえに綴ったものですが、動物を愛する心というのは世界中どこへ行っても同じなのでしょう。
この曲のおかげで決まったラジオやテレビ出演も少なくありません。
ニューヨークの自宅のソファでギターを弾いているといつも隣に来て聴いていたぺぺ、いまでも私は毎日のように彼を思い出しては、演奏のないときでもこのナンバーを家で弾いています。
ぺぺ(1983ー1994)

ぺぺと私

ぺぺと私(1993年、ニューヨーク州、レイク・ジョージにて)

ぺぺの死後、しばらくは犬を飼おうとは思いませんでしたが、99年の春、たまたま立ち寄ったペットショップで息をのんでしまいました。
生まれたばかりの赤ん坊ポメラニアンはまるでぺぺの生まれ変わりのようで、もうどうしてもこのまま手放して帰ることができなくなり、結局その日、‘コンドル’ならぬ、‘1000ドル’が飛んでゆきました。

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ぺぺのお墓の前にて

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プッチー(1999ー)

このプッチーは現在6歳になり、ニューヨークシティーから車で2時間の、のどかな田園地帯にあるぺぺのお墓に連れてゆくと風のように走り回ります。
その光景を模して作ったのが、チャカレラのリズムによる‘風とプッチー’です。
2002年に、グアテマラシティーのカミノ・レアルホテルで演奏したものが、とてもよい状態で録れているので、次作アルバムにはこのナンバーをライヴ音源で入れようかなどと考えています。

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