私はいろいろな国の人たちから素敵な贈物をもらいます。
こういうものは、普段ハードな日程で旅をしている自分にとって、かけがえのない心のよりどころなのです。
パナマの、ダヴィーとペギーという20歳くらいの可愛いカップルが作ってくれた、糸でできたギターのピン。
‘あなたの素敵な音楽を忘れない。あなたもパナマを忘れないで。’と書いてあります。
ギターについているのは、パナマの国旗の色に塗られたクリップで作られた‘パナマ’の絵文字。
グアテマラの、世界遺産に指定されている美しい町アンティグアに住むレベッカ・ラクエルという7歳の女の子からのイラスト。
三枚目は、ぼくのオリジナル曲の主人公の美女‘アミアス’でぼくのお気に入り。
4枚目は圧巻。レベッカが描いたデザインを、彼女のママが刺繍して額にして誕生日プレゼントしてくれたものです。
同じくグアテマラの首都に住む、スサーナという25歳の女性からのイラスト。
スサーナは、イタリア領事館の名誉領事令嬢で、日本のアニメ大ファン。
この絵を、孔雀の羽根につつんでプレゼントしてくれたときには恐れ入りました。
‘マリア・ルイサの城’のある風景にたたずむぼくだそうですが、いくらなんでも美化しすぎですね!
ワッシュバーン EA 220 (アメリカ)
12弦と6弦によるアコースティック・ダブルネックギター。
組曲「マリア・ルイサの城」のライヴ・パフォーマンスのため2000年に購入。
限定制作品で、現在は生産中止。
1990年から数え切れないほど出演してきた、ニューヨークのラテンアメリカコミュニティーによるコンサートのポスター。
これらの経験が、どれだけいまの自分を支えてくれているかわかりません。
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アルゼンチンフォルクローレは、もともとアンデスの先住民であるインディヘナの文化に、スペインのギター音楽をはじめとするヨーロッパの香りがミックスされ、それが広大なアルゼンチンの土の上で育まれた魅惑的な民族音楽ですが、ギター音楽のひとつのカテゴリーとして、巨匠アタワルパ・ユパンキの手により世界的芸術の位置にまで高められました。
ここではその代表的なリズム形式についてふれてみました。
続きを読む アルゼンチンフォルクローレについて →
Atahualpa Yupanqui
(アタワルパ・ユパンキ / アタウアルパ・ユパンキ)
1908年1月30日アルゼンチンのブエノス・アイレス州カンボ・デ・ラ・クルースに生まれる。
ギタリスト・歌手・作曲家・詩人・随筆家…と幅広く活躍していた。
父は鉄道関係の役人で、ケチュア族インディオの血をひき、母はバスク人移民の家系の出。
6、7歳の頃から聞き覚えでギターを弾き始める。9歳の夏にトゥクマンに移り、以後農業の人夫、牛追い、きこり、新聞記者などをしながら学校生活を送り、その間放浪の旅を繰り返す。
この頃から作曲や詩作を開始し、1929年インディオの魂をうたった曲「インディオの道」を発表。以来、アルゼンチンの人々やインディオの生活、風物を独自のスタイルでうたい続ける。
著作も多く手がけ、’39年に処女詩集「EL CAMINO(道)」を、’45年に随想集「Aires Indios(インディオのしらべ)」などを出版したほか、レコードも出すなど、多岐にわたって活躍。
’43年には郷土音楽舞踊団を率いて初めてカルナバリートの音楽と踊りを紹介し、今日の盛んな民族音楽芸術の先がけとなる。
’48年亡命の形で渡仏。エディット・ピアフに師事し、ピカソとも親交があった。
また、パリの国際民謡祭で大賞を獲得したほか、講演も行い、ハンガリー民族学会の名誉会員に推挙された。
さらに映画「石の地平線」の音楽によりベネツィア国際映画祭大賞を得るなど、国際的な活躍をみせ、中南米音楽の新しい道を拓いたフォルクローレの父として広く知られる。
3回にわたって来日したことがあり、各地のステージからその至芸が伝えられた。
1992年5月23日(84歳)フランス南部ニース没。
ギターは空洞の木の箱である。
それを弾くものは、澄んだ清らかな魂を満たさなければならない。
アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界