スペインのナンバー1ラジオ局 ‘カデナ・セール’ と、組曲‘マリア・ルイサの城’

ギタリストにとってスペインは永遠のあこがれの国です。
マドリード公演の前に、最大手ラジオの‘カデナ・セール’が、一時間の生放送番組に私を招待してくれたのは嬉しい経験でした。
“スペインは私が子どもの頃から夢みた国。ここにいて、歩いて、ここの空気を吸い込んで、そして私はいまこの国にいるのだという喜びをかみしめているのです。”と、正直な気持ちを言うと、聞き手の人もたいへん喜んでくれました。私は一時間ほぼ出ずっぱりでしたが、途中何人かの有名人ゲストも現れ、そのなかに、その週に戦う予定のスター闘牛士がいて、なんだかよくわからないままに彼と対談したのも、スペインらしい、楽しい思い出になりました。

スペインの日本語による情報紙

スペインの日本語による情報紙

アランフェス宮殿にて

アランフェス宮殿にて

スペインは光と影の国です。宮殿の裏の林のなかを歩いていると、目の見えないロドリーゴがどうしてあの‘アランフェス協奏曲’を作ることができたのかわかったような気がしました。
スペインの芸術家はみな、この光から霊感を得ていたに違いありません。
この後、ここからいくらも離れていないチンチョンの町で、‘マリア・ルイサの城’との出会いがありました。


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私がスケッチした、チンチョンの‘マリア・ルイサの城 (伯爵の城)’

このオリジナル曲の組曲‘マリア・ルイサの城’は、‘伯爵の’城’と現在呼ばれる、ほぼその半分が廃虚と化した古城でおきた、かつてその城に住んでいた王妃との不思議な出会いをもとに作ったナンバーです。

“あそこは観光名所ではないし、行っても石がごろごろしているただの瓦礫の山です”と、言われたにもかかわらず、私はなにか不思議な力に誘われるように、その城のある丘を上ってゆきました。
城はたしかに遠くから見るといまだ美しい城壁を残しているものの、そばに来てみると、おそらくなんのメインテナンスも受けている様子もない、なんとも哀れな状態です。しかし、丘の上からの景色は素晴らしく、私はしばし城のまわりをゆっくりと散策していたのですが、その次の瞬間のおこったことは、生涯忘れることはできないでしょう。強い炎につつまれたかのように、身動きかできなくなった私の前に、かつてその城にいた王妃が現れたのです。
“Que estas haciendo aqui (あなたはここで何をしているの)?”と聞く王妃に連れられ、瓦礫の城になかへと導かれた私。そこは光まばゆい宮殿のなかでした。
おそらく一瞬の白日夢だったのでしょう。しかしまるでそれは永遠の時間のようでした。

もともとは組曲中、第二楽章として現在アルバムにおさめられている、そのときの経験を音にした短いギターソロによるナンバーでしたが、その後、さんざん試行錯誤をくり返し、結局9年がかりでいまのアルバムのかたちになりました。
2001年には、この物語が広島市でファミリーミュージカル化され、私も演技で引っ張り出されるなどとても楽しい想い出になりましたが、あのときの王妃との出会いがよみがえり、なんだか胸があつくなりました。

マリア・ルイサの城’のプログラム

マリア・ルイサの城’のプログラム

ミュージカル ‘マリア・ルイサの城’のプログラム

実際、城のある丘を登ったとき同行してくださったのは、現在マドリードの日本大使館にいらっしゃる古賀京子さんですが、なんとこの舞台に実名で登場。チンチョンの丘での彼女と私の会話がそのまま台本化され、古賀さんの役は、カンパニー代表の松原美江さんによって演じられました(もちろん後で大笑い)。
古賀さんは、1996年暮れにおきたトウパク・アマルによるペルー大使館占拠事件の際、フジモリ前大統領と外務省相の通訳を務め、大活躍なさいました。
どこから聞いてもスペイン人が話しているとしか思えない素晴らしいスペイン語の古賀さん。
彼女との出会いがなければ、マリア・ルイサに会うこともなかったでしょう。