「Knight’s NY diaries」カテゴリーアーカイブ

ニューヨーク日記

Soledad Montoya ソレダー・モントヤの黒い哀しみ

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“Soledad y el mar,” la parte cuarta, y “Dos trenzas gitanas,” la parte segunda de “Soledad Montoya,” mi obra nueva inspirada por la “Romance de la pena negra” de Federico Garcia Lorca.

“Soledad and the sea,” the 4th movement, and “Two gypsy braids,” the second movement of “Soledad Montoya,” my newest composition inspired by Federico Garcia Lorca’s “Ballad of the black pain.”

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これは、「ソレダー・モントヤの黒い哀しみ」とタイトルした、クラシック、ロック、ジャズ、フラメンコなどの魅惑的なギターの奏法を駆使した5曲構成による新作オリジナル組曲中のなかから、最も短くシンプルな構成を持つ2曲、第4楽章、アダージョの「ソレダーと海」と、第2楽章、フラメンコを代表するアレグロのリズム、”ブレリーアス”を使った「黒髪のジプシー」の、一般には公開していない自宅練習動画。

ガルシア・ロルカの傑作詩集、「ロマンセーロ・ヒターノ(ジプシー歌集)」におさめられた、著者自身のイラストによる、若いジプシーの女性が主人公の「黒い哀しみのロマンセ」という詩にインスピレーションを受けたものだ。

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黒い哀しみのロマンセ (大竹史朗訳)

”ニワトリたちが大地をつつきはじめる オーロラの夜明け
ソレダー・モントヤが 暗い山をおりてくる

銅色のからだ 馬の匂い 豊かな胸
そして嘆きの歌

ソレダー あんた なんだってこんな夜明けにたった一人で歩いているの
あんたには関係ないでしょ あたしはただ あたしが探すものを探しているんだから

木の葉がさざめく オリーブの大地が広がる

ああ ソレダー!あんたの哀しみはなんて深いんだろう!

あんたのからだと服には 黒い哀しみがしみこんでいる
糸で編んだブラウス そしてアマポーラのような脚にも
そして 台所からベッドの部屋までとどいてしまう あんたの地をはうような黒い長いおさげ髪 

まるで暴れ馬のように やがてソレダーは海にたどり着く
そして波が 彼女を呑みこんでしまう

私は狂った女のように 家へ走り帰る
レモン汁の酸っぱみのように 希望が泣きながら口を濡らす
もう私に 海を思い出させないでおくれ!

ソレダー・モントヤ アロンドラの水であんたのからだを洗ってしまうんだよ
そして あんたの心が安らかであるように
ソレダー・モントヤ!

空を舞う木の葉 川が歌う
カラバーサの花とともに 新たな光が燃え上がる

ああ ジプシーの哀しみは とってもきれいでいつもひとりぼっち
川底で泣いている 遠い夜明けのように

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この詩の日本語訳はとてもむずかしく、決して完全だとは思わないが、ソレダー・モントヤという女性は、ガルシア・ロルカにとって、アンダルシアに暮らす全てののジプシーのプエブロ(民衆、町、集落、そして国までを意味する広域スペイン語)を表す代名詞を言ってよいだろう。

この優れた文学者はかつて、あるインタビューでこんなことを言っている。

”私はアンダルシア人だ。ジプシーではない。よくこの二つは混同される。しかし、アンダルシアに生まれたものが、みなどこかジプシーらしさを持っていることは否めない。では私にとってのジプシーらしさとは何か? それは本と文学だ。” 

(「ガルシア・ロルカ全作品集」より 大竹史朗訳)

また彼は、別のインタビューで、”カント・ヒターノ(ジプシーの歌)”について尋ねられた後、下記のような興味深いことを語っている。

”カント・ヒターノ(ジプシーの歌)”を本当に知る人々は少ない。なぜなら、現在タブラオ(フラメンコのライヴ酒場)で頻繁に演奏されるのは”フラメンコ”と呼ばれるもので、それは(ジプシーの歌の)”退化”でしかないからだ。ただし、これはあまりにも広範囲にわたる話で、少々新聞記者的内容になってしまうため、このインタビューですべてを一言で答えられるようなことではないが、ジプシーの歌を理解するには、まず彼らの母親観について理解する必要がある。ジプシーたちは母権制の社会のなかで暮らしているので、彼らにとっての”両親”とは、我々の考える両親とは異る。すなわちジプシーたちは、つねに”女親の子孫”であるという意識のもとに暮らしているのだ。もちろん彼らの歌のなかにも、男親について歌われているものが全くないわけではないが、その数は極めて少ない。ジプシーたちが、その人生において最も大切におぼえていること、それは彼らの母親についてだけなのだ。 

(戯曲「ベルナルダ・アルバの家」巻末付録より 大竹史朗訳)

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ぼくにとって、アンダルシアの”ジプシーの歌”とは、まさにアルゼンチンの伝統音楽の”母”といってよいものだ。ぼくは数年前、そのことを、パコ・デ・ルシアの最後のアルバムとなった「アンダルシアの歌」のなかの、”あんたを愛してる 生きている限り”という歌をを聴いて確信した。

ぼくは生涯にわたって、心から愛するアンダルシア、そしてアルゼンチンの美しい芸術の”子どもたち”でありたい。

新作「ソレダー・モントヤの黒い哀しみ」は、その決意と覚悟を改めて皆様に示すことのできる作品だと信じている。

Mi destino con “Doña Guillerma” ギジェルマおばさんとの素晴らしい縁

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En 1989 el destino con “Doña Guillerma” y su hermosa familia me llevó al camino florecido hacia el Cerro Colorado y cambió mi vida para siempre.

In 1989, my fate with “Doña Guillerma” and her beautiful family took me to Argentina and changed my life forever.

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自分の人生を変えたユパンキの名曲「ギジェルマおばさんに捧げる歌」。中米ホンジュラスにおけるライヴより。

上の写真は、“ギジェルマおばさん”とその孫や曽孫たちと、アルゼンチン、コルドバ州北部のユパンキゆかりの土地、セロコロラドにて(1992年2月)。

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この歌は、「チャージャ」、もしくは「チャジータ」と呼ばれる、アルゼンチンのラ・リオーハ地方に伝わる伝承リズムを使って書かれた作品。

アクセントの位置が表や裏に複雑に入り組み、ギターのコードストロークとフィンガーピッキングが交差する、人が”慟哭”するようなさまを表現する高度な奏法が必要となるこの傑作曲は、たたみかけるような8分の6拍子の速いテンポを全編正確に刻みながら、そのうえにさらに自身の歌が乗るという、まさにアルゼンチン・フォルクローレの弾き語りの極致といって間違いないナンバー。

本来、ワインの産地として知られるラ・リオーハ地方で、ブドウの収穫のお祭りの際に賑やかに歌い踊られるリズムを、こうして親しかった老婆の死を悼む挽歌として用いたユパンキのセンスが光る。

プレイヤーは、その体に完全にメトロノームを埋め込み、リズムと一体化しなければ全く音楽として成り立たない。

ギジェルマおばさんは、ユパンキがアルゼンチン中で一番愛した土地、セロコロラドに暮らした女性で、山から摘んできた植物の根から不思議な色合いを調合し、”マンディル”と呼ばれた、馬の鞍の下に敷く毛織の敷物を縫い上げる名手だった。
ユパンキはこの女性が世を去った時、良き伝統文化を知る人々がこうして次々と死んでいってしまうことをたいそう悲しんでこの歌を作ったと言われている。

自分は1988年、ニューヨークで、ギジェルマおばさんの実の孫にあたるフォルクローレ奏者、エドワルド・マルティネスと運命的な出会いをしたことにより、翌89年、ユパンキに会うために、セロコロラドの彼の別荘を訪れることになった。

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ギジェルマおばさんに捧げる歌 / アタウアルパ・ユパンキ

グツグツ鍋と一緒に歌ってた 誰にも聞こえない調べを
山は秘密を語ってくれる その根っこを掘ろうとするものに

紫色のお月さん 蒼い空を彷徨ってる
そしてマンディルに縫いこまれたのは 真赤に染まったふたつの文字

ギジェルマおばさんが作ってくれたこのマンディル
四月の終わりの馬乗り大会には 俺たち里ものがおしゃれして勢ぞろい
なかでもいちばん おばさんのマンディル

作ってくれたのはギジェルマおばさん!
作ってくれたのはギジェルマおばさん!

この世にはまやかしがある どうして人生はこうなんだ?
年寄りばあさんたちは 決して死んではいけないのに!
俺たち里ものには もうマンディルたのめる人がいない!

作ってくれたのはギジェルマおばさん!
作ってくれたのはギジェルマおばさん!

Atahualpa Yupanqui, Hiroshima, & my music ユパンキ、ヒロシマ、そして自身の音楽

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Mi entrevista con un programa especial de la cadena de TV en Hiroshima, Japón. Hablo de Yupanqui, e mi primer encuentro con la música folclórica argentina.

My interview with the special program of the TV network in Hiroshima, Japan.

広島市におけるテレビ・インタビュー番組のパート1。
ユパンキ、アルゼンチン・フォルクローレ、そして「ヒロシマ」との出会いについて語っている。

ニューヨークに渡って以来、自分はレストランでウエイターやコック、そしてトラックの運転手などをしながら日銭を稼ぎ、スラム街のラテン系バーやレストランで演奏していたのが、1992年あたりから「ヒロシマ:忘れえぬ町」のおかげで急に音楽の仕事が増えて収入が増え、ちょっと気を抜いて太ってしまった。このようなナリで日本に演奏に行ったことをとても恥じている。

アーティストはつねに飢えていなければダメだ。

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Junto a una hermosa guitarra de Gregorio Cabral, canto un fragmento de “El Alazán,” durante mi entrevista.

My live interpretation (fragment) of “El Alazán(The Sorrel Horse),” during my interview.

パート2。
自分の運命を変えたユパンキの名曲、「栗毛の馬」のさわり部分を披露。

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Una entrevista con la cadena de TV argentina (fue grabado en NY.) Por supuesto que mi castellano no es perfecto… Mas lo hablo con el “ritmo” igual como de tocar mi música. Para mi ‘castellano’ es un idioma más bello y más rítmico en el mundo.

An interview with Argentine TV network (filmed in NYC,) talking about Yupanqui, his music, and my future.

数年後、アルゼンチンのテレビとのインタビュー(ニューヨークにて収録)。

もちろん自分のスペイン語は完全ではない。が、(音楽を奏でるように)”リズム”とともに話している。自分は、リズムの感じられないものは覚えることができないが、一度リズムを感じると、どんなことでもすぐ身体が反応する。
スペイン語は自分にとって、最もリズムに満ちた、世界で一番美しい言語だ。

ユパンキの音楽は、13歳のときに日本のラジオ番組で「栗毛の馬」を聴いたのが最初だった。正直言って、その時自分に何が起きたのかわからない。それは”天空の音楽”だった。誰もユパンキになることも凌ぐこともできないし、自分もそのようなつもりはない。アメリカでは残念ながらユパンキの名は殆ど知られていない。だからここでやる以上、自分の音楽が先に立つべきなんだ。大竹史朗(シロ・エル・アリエーロ)の音楽はなかなかいいが、誰の影響を受けているんだ?アタウアルパ・ユパンキだよ。へえ!じゃあユパンキってやつは素晴らしいんだな!っていうような具合にね。

このインタビューのなかで、「なぜ”牛追い(アリエーロ)”と名乗るのか?」という質問があるが、自分はこれに対し、1994年にアルゼンチンのユパンキの墓を訪れたとき、”お前は牛追いのようにギターを弾いて歩いてゆけ”という声を聞いて、その名を芸名とするに至ったというエピソードは語らず、ただ、「この名曲が好きだから。理由はそれだけだ。」と、なんのためらいもなくサラッと話している。

これについては、自分もこのインタビューを久しぶりに観てちょっと驚いたのだが、おそらくこの時期あたりから、ただユパンキの音楽ばかりを前面に出してコンサートをするのではなく、あくまでもこれからは自分の音楽が中心で、ユパンキのものはチェンジアップとして演奏するくらいでなくては、本物のユパンキアーノ(ユパンキ野郎)とはいえないだろうという気持ちが強く出始めているように思える。

¡Hiroshima! La Ciudad Que No Olvido ヒロシマ-忘れえぬ町

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Mi interpretación en vivo de ‘¡Hiroshima! La Ciudad Que No Olvido (letra / Atahualpa Yupanqui, música / Shiro Otake)’ fue grabado en el junio, 2018, durante el concierto especial en ‘Asuka II,’ el mejor crucero en Japón.

My interpretation for ‘Hiroshima! The City I Shall Never Forget (lyric by Atahualpa Yupanqui, music by Shiro Otake)’ which was recorded live on June, 2018 during the special concert at ‘Asuka II,’ the best cruise ship in Japan.

アタウアルパ・ユパンキ詞、そしてぼく大竹史朗作曲による「ヒロシマ-忘れえぬ町」のライヴ録画。
昨年6月、日本の豪華客船クルーズ「飛鳥II」におけるコンサートのクライマックスとして演奏を行った。

自分は少年時、クラシックギターを鈴木巌先生に習っていた時代から、わりあい’トレモロ’を得意としていたが、ある日、ユパンキが、”俺はトレモロなんかやらないよ。俺はお百姓が弾くようにギターを弾くのさ。”と、語ったという話を聞き、それ以来、このギター独自の美しいテクニックを自分の音楽に使用するのをやめてしまった。

が、やはりトレモロはなんといっても他の楽器では表現できない、きわめて高い演奏効果があり、また、最近、自身の音楽がアラブとスペイン南部のほうに近寄っていることもあり(巨匠には失礼して)、昨年から自分の音楽に再び組み込み始めた。

この動画は、そのトレモロを20数年ぶりにステージで弾いたもので、軽快なサンバのリズムが4拍子にスローダウンする中間部、「中国地方の子守歌」にそれが聞かれる。
きれいに音は出ているが、そっちに集中しすぎたのか、イントロをどうしたことかスカーンといきなり忘れてしまい、最初の部分、うまくごまかしてはいるが、ちょっと指がもたついている。

ライヴではいろいろなことが起こる。だからやめられない。

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La poesía de ‘Hiroshima! La ciudad que no olvido’ que escribió Atahualpa Yupanqui con su pluma (original.) Es que este tesoro del mundo no está en mi casa en Nueva York. Está en un lugar más seguro en Tokio.

The original of ‘Hiroshima! The City I Shall Never Forget’ which Atahualpa Yupanqui wrote with his pen. As matter of fact, this historical treasure is not at my home in NYC. It’s in much safer place in Tokyo.

ユパンキの直筆による「ヒロシマ 忘れえぬ町」。
本来ぼくがニューヨークで保管すべきだが、実はぼくは、アルゼンチンの人々から(親しみを込めて)「グラン・オルビダリッソ(大忘れもの野郎)」との愛称まで頂戴したくらい、よくものを置き忘れたり紛失したりするので、こうした、決して自分のものだけとは言えない世界の宝をニューヨークの自宅に置いておくわけにはいかない。

この詩は現在、下記の公式の演奏許可状とともに東京のある場所に大切に保管されている。

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El febrero, 1992, en la villa de maria del rio seco, junto a (de izquierda) Don Francisco Benchetrit, mi papá argentino😊, y Sr. Roberto ‘Kolla’ Chavero, el hijo de Atahualpa Yupanqui.
Era un día más importante de mi vida…. El momento que nació ‘Hiroshima! La Ciudad que No Olvido’ oficialmente.

In February, 1992, Villa de Maria del Rio Seco, (from left) with Dr.Francisco Benchetrit (left,) my Argentine daddy😊, and Mr. Roberto ‘Kolla’ Chavero, the son of Atahualpa Yupanqui.
It was most important day in my life…. The moment of the birth of ‘Hiroshima! The City I Shall Never Forget’ officially.

1992年2月、アルゼンチン、コルドバ州北部の町、ビジャ・デ・マリア・デル・リオ・セコ。ぼくにとってまさに“アルゼンチンの父”であった、同町町長で医師の故フランシスコさん(左)と、ユパンキのご長男、ロベルト(愛称コージャ)さんと。
このおふたりのご理解とご尽力によって、この日、「ヒロシマ 忘れえぬ町」が公式に誕生した。
2枚目の写真にある文書は、ユパンキの書いた詩の原本とともに、いままで一度もインターネット上で公開したことのなかったもので、以下のようなことがスペイン語で記されている。

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コルドバ 1992年2月17日

大竹史朗様

敬意をこめて、

本状で大竹史朗氏に対し、アタウアルパ・ユパンキとして世に知られている私の父エクトル・ロベルト・チャベーロの書いた広島に捧げる詩を、曲とともに公式に演奏することを許可します。
1985年、父が私ロベルト・エクトル・チャベーロに委任した権限をここに行使します。

ロベルト・エクトル・チャベーロ

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音楽家として自分が優れているのではない。ただただ、自分を理解し、いまも見守ってくれているアルゼンチンの人々が、こうしていかにあたたかく、そして素晴らしいのかということに尽きる。

Yupanqui Tab! ユパンキのタブ譜

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La nueva pagina que podemos disfrutar la tablatura de Atahualpa Yupanqui con mi interpretación en directo como una de las instrucciones entre las del gran maestro.
Es una cosa presuntuosa, pero es un honor.

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The new online page which you can enjoy the tablature of Atahualpa Yupanqui’s “The Sorrel horse” with my live interpretation as one of the video instructions among all those by great maestro as well.
It’s a truly presumptuous thing, but it’s an honor for me.

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楽譜を読めないギタープレイヤーのために、ユパンキの名曲「栗毛の馬」のタブ(タブラチュアー)譜がアメリカのインターネットに登場して驚いた。
そしてさらに、ユパンキの演奏に混じり、本家本元以外では唯一ぼくのライヴ演奏が「お手本ビデオ」として恐れ多くも紹介されている。
全くもっておこがましい話だが、光栄なことだ。

もともとタブ譜は(リュートなどの)弦を張った古楽器の楽譜表記法として何世紀も前にヨーロッパで考案されたものだが、20世紀後半、ロックやフォークをはじめとするポピュラーギターのソロや伴奏の表記法として飛躍的に発展し、それによって世界中のギター野郎たちが、エリック・クラプトンの”レイラ”や、ジミー・ペイジの”天国の階段”などのロックの金字塔を、五線譜なしで楽しむことが可能になった。タブ譜の普及は、ロックギターの発展に大きく貢献したといっても決して言い過ぎではない。

蛇足だが、ロックの世界では、楽譜など使わないアーティストがほとんどで、あのエリック・クラプトンでさえも楽譜を読んだり書いたりすることはできない。また、フラメンコなどの民俗音楽などにも楽譜を読めないプレイヤーは多く、パコ・デ・ルシアも例外ではなかった。
ロックは、奴隷として連れてこられたアフリカ移民のブルースと,(ヒルビリー、カントリーミュージックに発展した)ヨーロッパ移民のケルト系の調べが新大陸で結合して生まれた、世界最大最高の民俗音楽だ。

「栗下の馬」は、アルゼンチンの厳しいまでに美しい大自然、そしてそこに暮らす美しい一頭の馬の姿と悲しい運命を、一本のギターと人の歌声で表現した素晴らしい調べ。それは、クラシックやロックなどのカテゴリーを超えて、多くのギターファンに愛されるものだと思う。
残念ながら、肝心のフィンガリング表記は「あれっ?」という感じのところが多いが、それでもアイディアは得ることはできる。ユパンキの道を行くもののひとりとして、まずはグッドニュースと言ってよいだろう。