「Knight’s NY diaries」カテゴリーアーカイブ

ニューヨーク日記

J’irai peut-être au paradis mais dans un train d’enfer 地獄発・天国行きの電車 ”ハーレィ・デイヴィッドソン”

***

Je n’ai besoin de personne en Harley Davidson
Je n’reconnais plus personne en Harley Davidson
J’appuie sur le starter
Et voici que je quitte la Terre
J’irai peut-être au paradis mais dans un train d’enfer

Je n’ai besoin de personne en Harley Davidson
Je ne reconnais plus personne en Harley Davidson
Et si je meurs demain
C’est que tel était mon destin
Je tiens bien moins à la vie qu’à mon terrible engin

Quand je sens en chemin
Les trépidations de ma machine
Il me monte des désirs dans le creux de mes reins
Je n’ai besoin de personne en Harley Davidson
Je n’reconnais plus personne en Harley Davidson

Je vais à plus de 100
Et je me sens à feu et à sang
Que m’importe de mourir les cheveux dans le vent
Que m’importe de mourir les cheveux dans le vent

***

***

My ‘HANDMADE’ birthday card to my mom in 1971.

***

Kawasaki Valcan 500cc, My first mortorcycle in New York back in 1991.

‘Guitarra Dímelo Tú’ de Atahualpa Yupanqui ユパンキ不滅の名曲「ギターよ、教えておくれ」

***

アルゼンチン日本国交樹立125年を記念する、今秋11月26日の東京公演は、僕にとってはじめてアストル・ピアソラの名前を前面に出すものになるが、もちろんユパンキの作品を全く演奏しないわけではない。

人間と楽器がひとつとなって、”お互いの言葉で対話する”ような作風の「ギターよ、教えておくれ」は、当日のレパートリーのひとつ。

ギターの無限の機能性、そして音色の美しさを知り尽くしていたユパンキならではの、まさにギター音楽の極致と言ってよい作品だろう。

青年時代、反政府活動メンバーとしてゲリラ活動を行っていたユパンキは、ある日、信頼していた同胞に裏切られ、投獄される。

獄中の暗がりのなか、ほのかな人間不信に陥ったユパンキが、自身の分身であるギターに静かに問いかけた心のうちが、そのまま音楽となったのが、この作品だ。

ビデオには、歌詞の対訳日本語字幕を入れてある。

***

中学生の時、「中南米音楽」という、たいへんクオリティーの高い雑誌に、この「ギターよ、教えておくれ」の楽譜が掲載されているという話をどこかで聞き、慌てて書店に走ったことがあるが、見るとその楽譜は、キーは間違いないものの、決して100パーセント正しいものではなく、僕自身がレコードから「耳コピー(採譜)」したもののほうが、より正確だったことをよく覚えている。

ただし、そういった楽曲の楽譜が雑誌に掲載されること自体、今では考えられないことで、当時の日本の音楽文化の高さがよく理解できる。

僕は、本当に良い時代に生まれ育ち、そして良い音楽に出会えたことを感謝している。

ビデオの撮影および演出は、日本を代表するドキュメンタリー映像作家・羽田澄子さん。

My Jazz feeling for Piazzolla ピアソラに捧げる、僕のジャズ・フィーリング

***

今年の4月にニューヨークに戻ってから、僕はすでに5曲のピアソラ・インスピレーション・ギターソロを作曲しているが、これはそのなかでも、僕の中にあるジャズのフィーリングが最も出ている、いちばん気に入っている作品。

タイトルにある「ホセ・ヤコピ」というのは、アルゼンチンがいまも世界に誇る名ギター製作家の名前で、’1511’というのは、ビデオにも写真を出してある、11月の東京公演で、縁あってはじめてプレイする、1976年に作られた優れた楽器につけられた番号。
これは、僕が最も影響を受けた、ピアソラの「ドブレ’アー’の哀しみ」に向こうを張ったものだ。

ただ、この曲はソロでもいけるが、できれば後半、セカンド・ギターやフルートなどのメロディ楽器を入れて、グループでプレイしたい考えでいる。

HOPE U NJOY!

Piazzolla por J.S. Bach  ピアソラに捧げるアルゼンチン風バッハ「ブエノスアイレスの雨傘」

***

11月~12月の日本での、すべての公演においてオープニング・ナンバーとしてプレイする曲をご紹介したい。

傑作ミニ・オペラ「ブエノスアイレスのマリア」のクリエイター、オラシオ・フェレールが詩を書き、ピアソラが曲を担当、そして名歌手、アメリータ・バルタルが素晴らしい名唱による録音を残した「ブエノスアイレスの雨傘」を、バッハの名曲「サラバンド(BWV.997)」に融合アレンジを試みたオリジナル・ギターソロ。

ピアソラは、その音楽に対する、一切の妥協を許さない姿勢や、きわめて先を進んでいた斬新な発想によって、72年の生涯のほとんどの歳月を、保守派や無理解者との闘いに明け暮れなければならなかったミュージシャンだ。

同じような状況によって、現在のドイツ国内を、生涯にわたって転々とせざるを得なかったバッハと、まさに同じような人生を歩んだ人と言ってよいだろう。

これは、そんな20世紀最高の音楽革新者のひとりへの、僕からのささやかなオマージュ

ふたつの、まったく異なる時代に作られた音楽を一つに編曲し、効果的なイントロ、アウトロ、そしてトランジッションを付け足したしたものだが、おそらくどちらも知らないで聴くと、どこがピアソラで、どこがバッハなのか全くお分かりにならないと思う。

このふたつの作品は、僕にとって全く同じエモーションを持つものだ。

・・・空には雨が生まれる岸辺があって、そこは晴れている。しかしその場所に行き着くには、荒々しい空の道をたどり、あまりに多くの雨を浴びるので、あなたもあたしもからだがとけてしまう。でも、そうすれば、あたしとあなたは永遠にひとつに結ばれるはず・・・

と、泣かせるオラシオ・フェレールの詩も圧巻だ。
僕の訳はあまり良くないが、ビデオには、スペイン語による原詩と、日本語字幕をつけてある。

そして、アメリータ・バルタルの、ねっとりとした情感を湛えた声。

僕は今でも、一番好きな女性シンガーはと問われたら。迷うことなく彼女の名前を口に出すだろう。
このギターソロは、アメリータ・バルタルの声を、ギターで模倣して表現している

HOPE U NJOY!!!