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ニューヨーク日記

Yukio Mishima para los 125 años de Argentina y Japón  アルゼンチン日本友好125年に捧げる三島由紀夫

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来る3月17日金曜日、アルゼンチン大使館の後援を受け、アタウアルパ・ユパンキの名のもとに行う、アルゼンチン日本友好125年記念東京オペラシティ公演では、二曲の公式記念曲を初演する。

ひとつは、20世紀前半のアルゼンチンの先人芸術家たちに敬意を表してプレイする、ギター、舞踊、そして朗誦のための「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ

そしてもうひとつが、わが国を代表する文学者・三島由紀夫の長編小説「仮面の告白」に霊感を得た、全三楽章によるギターソナタ「SONOKO ~園子~」。

ピアノが趣味の令嬢・園子の、息をのむような美しさと悲劇的結末をギター一台で表現する、目下一番気に入っているギターソロだが、ここではその、「」と園子の出会いを、トレモロとダブルストップ、そしてシングルノートの組み合わせで描いた第一楽章の一部をと使い、コンサートの告知動画とした。

日本への出発にむけて10日前。ニューヨーク、ロングアイランド、ヘンプ・レイク州立公園にて。

この林の奥には美しい湖があり、訪れる人々の心を和ませてくれる。

それでは皆様、日本で!

García Lorca para los 125 años de Argentina y Japón アルゼンチン日本友好125年に捧げるガルシア・ロルカ

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En 1938, Edmundo Guibourg, el gran cineasta argentino se realizó ‘Bodas de sangre,’ junto a Margarita Xirgu, la legendaria actriz catalana.

En esa época, las obras de Federico García Lorca verdaderamente habían perdido sus rumbos en su tierra natal por la culpa de la horrible incidente de su autor.

En 1945, de nuevo los artistas argentinos invitaron Margarita Xirgu, y estrenaron ‘La casa de Bernarda Alba’ en el Teatro Avenida de Buenos Aires.

Para mi, no es mucho decir; Sin Argentina, no podían sobrevivir las obras del gran poeta andaluz.

Mi nueva obra ‘Yerma’ para guitarra, danza moderna y recitación, es la que fuertemente creo que se merecía ser llamada como ‘la (nunca antes) obra conmemorativa para la amistad entre Argentina y Japón,’ con mi más respeto y amor a esta gran tierra sureña de las Américas.

Cuando visitó a Buenos Aires García Lorca, se conoció el joven Atahualpa Yupanqui, y lo regaló su autógrafo, y dijo;
Mientras haya tabernas en los caminos, todos los que caminan serán amigos.”

Esa gran histórica reunión tuvo lugar en un pequeño comedor de la avenida mayo, junto a ‘arroz con pollo’ me dijo.

Federico García Lorca ante el micrófono de Radio Stentor, Buenos Aires, 26 de marzo de 1934, y Joven Atahualpa Yupanqui.

1934年3月26日、ブエノスアイレスのラジオ局のマイクに向かうガルシア・ロルカと、憧れのスペインの大詩人に会うことがかなった、二十代のアタウアルパ・ユパンキ。
「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ」を、アルゼンチン日本友好125年公式記念曲として初演する「東京オペラシティ公演」は3月17日。この時からちょうど99年を数えることになる

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アルゼンチン大使館の後援を受けて行う3/17、東京オペラシティ公演で、僕は2曲の「アルゼンチン日本友好125年公式記念曲」を初演します。

そのひとつが、ギター、日本舞踊を基調としたモダンダンス、そして朗誦のための「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ」。

アルゼンチンとの友好記念なのに何故ロルカ?と思われるかもしれません。

1930年代末、ロルカが悍ましいフランコ独裁政権によって銃殺処刑されたあと、彼の作品は、スペインでは「危険分子的内容を含むもの」として、まさに行き場を失っていました。

そんな中、アルゼンチンの優れた映画監督、エドムンド・ギブルグが、スペインから大女優マルガリータ・シルグを招聘し、傑作戯曲「血の婚礼」をアルゼンチンで映画化しました。

さらに1945年、アルゼンチンの芸術家たちは、再びマルガリータ・シルグを招き、ロルカの遺作戯曲「ベルナルダ・アルバの家」をブエノスアイレスの劇場で初演します。

この時代、もしアルゼンチンがなければ、ロルカ作品は絶滅していたかもしれないと言っても決して過言ではありません。

ロルカも、自分たちの文化を正統的に受け継ぐ南の大地を心から愛し、ブエノスアイレスを訪れた際には、当時、首都の詩人グループに属していた若いユパンキにも会っていました。

ロルカは、この、やがて南米民俗音楽の最高峰に君臨することになる、バスクと南米インディオの血を引く若者に対し、”道に居酒屋がある限り、道ゆくものはみな友だちだよ“と言って、サインをプレゼントしたそうです。

この歴史的出会いは、ブエノスアイレスの小さな食堂で、やはりスペインからロルカとともにアルゼンチンを訪れていたスペインの大詩人、ホセ・ベルガミン、そしてブエノスアイレスの詩人たちのグループの間で、「アロス・コン・ポージョ (チキンライス -南米の最も庶民的料理-)」を食べながら行われました。

僕にとって「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ」は、現在あまり知られていない、20世紀前半のアルゼンチンの素晴らしい先人たちに対する最大の愛とリスペクト、そしてこの国の伝統音楽に携わることができた大きな誇りとともに初演する、これまでになかった、新しい「アルゼンチン日本の友好記念のパフォーマンス」になると信じています。

3月17日東京オペラシティ「ユパンキ・オマージュ」公演は、アルゼンチン大使館後援による「アルゼンチン日本友好125年記念コンサート」に

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来る3月17日、東京オペラシティ・リサイタルホールにて行う「風が歌う地~アタウアルパ・ユパンキへのオマージュ~」の前売販売が、去る2月10日に開始されました。

現在、こちらのオンライン予約ページにて、お買い求めいただけます。

実は、この告知開始の直前に、東京のアルゼンチン大使館の後援を受け、本公演を「アルゼンチン日本友好25年(2/3/23)」を記念するコンサートとすることが決定しました。

まず、東京のアルゼンチン大使館の皆様に、この場を借りて深く感謝申し上げます。

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僕はお恥ずかしながら、今年がそのような年であることを知りませんでしたが、これが今回の僕の日本への旅行と重なったのは、決して偶然ではないでしょう。

このコンサートは、アルゼンチンという素晴らしい国とその人々が、いかに僕という、ニューヨークに暮らす日本人ミュージシャンを優しく受け止め、そして長い年月にわたって、その音楽をともに育んできたかを音で表現するもの。

まぎれもなく今回の公演は、巨匠アタウアルパ・ユパンキの名のもとに、僕にとってかけがえのない第二の故国・アルゼンチンに対する、最初の「恩返しコンサート」になるはずです。

ぜひ、多くの皆様のご来場をお待ちしています。

Tribute to Atahualpa Yupanqui 3月17日(金)ユパンキに捧げる東京オペラシティ公演前売開始

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「風が歌う地 ~アタウアルパ・ユパンキへのオマージュ~」
大竹史朗ギターリサイタル

後援:アルゼンチン共和国大使館

2023年3月17日金曜日 18時30分開演
於:東京オペラシティ・リサイタルホール

料金:5,000円(全席自由)
チケットは、イープラスにて現在発売中

お問い合わせは;
mail@shiro-otake.com

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一人のギタープレイヤーとして、これまで培ってきたことすべてを注ぐことになる東京公演。

1989年1月、アルゼンチン、コルドバ州のセロコロラドのユパンキの別荘で、僕が弾く「バッハのブーレ」を聴いて心を開いてくれた大巨匠が、その魔法のような演奏法を伝授してくれた瞬間から始まった、本当に長い探求の旅路。

僕は今回のコンサートで、それを「完成した音」として表現する覚悟でいる。

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以前、ニューヨークのFMクラシックステーション「WQXR」の著名コメンテーター、ロバート・シャーマン氏が突然電話をかけてきて、ユパンキについて聞かれ、ビックリしたことがある。

彼はそのあとで、僕のことを、”ユパンキ芸術のチーフ・プロパゲーター”と評してCDを紹介してくれた。

プロパゲーターというのは、あまり耳になじみのない言葉だが、ある粒子が別の(さらに大きな)粒子へと移行するための数式のようなもののことで、シャーマン氏はこの言葉をもって、僕を”ユパンキ音楽の最大の広め手、後継者’”と評してくれたのだろう。

これは、間違いなく僕がアメリカで受けた最高のレビューだと思うが、僕は長い間、この言葉を宣伝に使うことはなかった。
しかし今回、上記のPRビデオでは、最後にこのシャーマン氏の言葉をはじめて使用している。

ユパンキ芸術のチーフ・プロパゲーター”。

いよいよ僕は、自分が真にその時期に来ていると感じている。

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コンサートでは、もちろんユパンキ作品もプレイするが、これは、ただ故人の作品をズラズラとバック・トゥー・バックで弾くだけの、よくありがちなトリビュート公演ではない。

アルゼンチンの巨匠が目の前で聞かせてくれた音が、いかに僕の体の中に入り、そしてそれが長い年月をかけて自分の肉となり、血となったかを、自分自身の音楽でみせるもの。

東京のアルゼンチン大使館の後援を受け、そして、このために、これまで歩いてきたと言っても決して過言ではない、僕にとっての最大のユパンキへのオマージュ公演
皆様のご来場を心からお待ちしています。

Bodas de Sangre: Luna (García Lorca) ガルシア・ロルカ「血の婚礼」霊感ギターソロと、素晴らしい田村正和さん

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来る3月17日金曜日、東京オペラシティ・リサイタルホールで行うコンサートのクライマックスは、「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ」とタイトルした、日本舞踊を基調としたモダンダンスと朗誦を伴う全四楽章組曲。

このビデオは、そのオープニングを飾る、ロルカの傑作戯曲「血の婚礼」第三幕第一場で、人間の姿とともに登場する’’の(婚礼の日に、かつての恋人とともに馬で逃げ去った花嫁に対する)、僕が心から心酔する幻想的な独白シーンに霊感を受けたギターソロのイメージビデオ。

月といえば、”ただ光り輝くからっていうことで俺はあんたに歌うんじゃない 俺はあんたが、俺の歩いた道のりすべてご存じだからあんたに歌うんだ”と、歌ったユパンキの「トゥクマンの月」も素晴らしいが、この、スペインの国民詩人が、神秘的に、そしてエロティックに月を擬人化したモノローグは、夜、何気なく見上げる月に対する感覚が、根本的に変わってしまうような、まさに圧巻といえるだろう。

このギターソロは、そのあたりの感じをよく出せたのではと、とても気に入っているもの。
ビデオには、日本語字幕を入れてわかりやすくしてある。

なお、当ビデオで使用した絵画は、他の一連のロルカ・ビデオで使用している、僕の大変好きな画家、フリオ・ロメロ・デ・トーレスによる、「ラ・コプラ(民謡)」と、「カンテホンド(深い歌)」と呼ばれる作品。

特に、ビデオのラストで全景を見ることのできる「カンテホンド」は、アンダルシアという土地の霊と因襲がもたらす宿命的な業に苦悩しながらも、ほかならぬその苦悩によって浄化されている女性たちの姿が、一枚の絵画に集約された傑作だと思っている。

使用ギターは、現在、クロサワ楽器日本総本店クラシックギターフロアとのご縁で使用させていただいている、スペインのホアン・エルナンデス(コンシエルトS)
ボリューム感あふれる突き抜ける高音、そしてバランスの良いソリッドサウンドは、今後も僕を支え続けてくれるだろう。
3月17日東京オペラシティ公演も、もちろんこの楽器一台でプレイ予定。

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蛇足だが、僕は10代の頃から、俳優の故田村正和さんに雰囲気がそっくりと言われ続けており、いまでも初対面の日本人には必ずといっていいほどそう言われる。

実は、前回の東京公演の際に乗ったエアラインの、とてもチャーミングなスチュワーデスおふたりにも、そういう理由で(機内で)声をかけられ、コンサートにまで足を運んでもらったのだが、さらに公演後、こちらに戻る際にやはり機内で会った、もうひとりの別の(負けずにチャーミングな)スチュワーデスの女性にも、まったく同じ理由でニューヨークで呼び出されて会うことに...。

なんだか正和さんのオショウバンにあずかっているようで、喜んでいいのかわからないが、その三名のセニョリータのうちのおひとりの名字が、あまり聞くことのない、とても印象的で綺麗な響きをもつもので、僕はそこから「ガルシア・ロルカに捧げるバラーダ」の第二楽章のギターパートを作曲することができた。

これは、「血の婚礼」同様、ロルカの代表作である「イェルマ」最終幕の、幻想と倒錯が交差する’劇中神楽’のシーンを朗誦と舞踊で表現するものだが、この女性の名字は、その雰囲気を連想させる、本当に美しいもので、僕はその響きをモティーフに、この部分のギターソロを、東京滞在中に作り上げた。

霊感というものは常に、どこからともなく突然やってくる

それにしても、若い時にいくら美男子でも、60歳70歳も過ぎれば、いったい昔日の面影どこへやらという雰囲気の衆が多いなか、年齢を重ねても、きちんと最後まで二枚目ぶりをキープし、こうして多くの女性たちを魅了し続けた田村正和さんは、ひとりのエンターテイナーとして本当に素晴らしいと思う。

天国の田村正和さんにサルー!

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これは、もっとも最近(1月20日)の僕です。
言われてみれば髪の毛とかも、なんとなく雰囲気似てるかな?
もちろん意識しているわけではありません。

僕はアメリカでは、もっぱらジョン・レノンと言われます。
本人に会ったことのある知り合いの話を聞くと(ワシ鼻の)顔もさることながら、背丈や体つきから感じられるムードが似ているらしい。