ぺぺの命日と‘プラテーロとぼく’ そして18年めのニューヨーク

8月はツアー活動がスローになるため、一年で一番のんびりできるときです。
今日8月1日は、以前ご紹介しましたぺぺのお墓参りにプッチーを連れて行きました(実際ぺぺの命日は7月31日)。
ニューヨークからハイウェイを北へ、車で一時間半走った田園地帯にあるこの広大なペット専用の墓地を訪れると、私はいつもスペインの作家、フワン・ラモン・ヒメネス(1881-1958)が、アンダルシア地方の小さな町モゲールを舞台に、愛するロバとの美しい交友を綴った散文小説、‘プラテーロとぼく’のなかの‘メランコリア’というチャプターを思い出します。

ペット専用の墓地

プッチーと


アルゼンチン版 ‘プラテーロとぼく’

プラテーロとぼく

この‘メランコリア’は、ある日死んでしまったロバのプラテーロのお墓を訪ねるクライマックスの部分で、“今日の午後、ぼくは子供たちと一緒に、松の木の下にあるプラテーロのお墓を訪れた...” という出だしで始まり、 “ねえ、プラテーロ、ぼくのともだち ー ぼくは土に向かってこう言った-もしきみがいま天国の 牧場にいるなら、きっとけがれのない天使たちがきみのやわらかできれいな背中のうえで遊んでいるんだろうね。もうぼくのことは忘れてしまったのかい、プラテーロ? 答えておくれ、プラテーロ、ぼくをおぼえているかい? -するとまるでその問いに答えるように一羽の白い蝶があらわれ、なんべんもなんべんもぼくのまわりを舞いつづけた。まるでプラテーロの魂がやどったかのように” と結びます。

この‘プラテーロとぼく’は、小説として世界中で出版されて愛されていますが、音楽の世界でも、イタリーの大作曲家、マリオ・カステルヌオーヴォ・テデスコが小説中の幾篇かを題材にギター曲として作曲をし、それを巨匠アンドレス・セゴヴィアがLP録音したものがいまも多くの人々の胸を打ちつづけています。
‘メランコリア’は、そのアルバムの二曲めに収められています。
ギターの音域を最大限にいかしたコントラストに富む展開と、まるで風景が見えてくるかのような美しい曲想は、やはりスペインのエンリケ・グラナドスの‘ゴヤのマハ’などと同様に、いまの私の作曲に多大なる影響をあたえてくれました。
思えば、ユパンキはもちろん、セゴヴィアやイエペス、そしてバート・ヤンシュ、ホセ・フェリシアーノ、マニタス・デ・プラタ、こういった素晴らしいギタリストたちの音楽を毎日のように聴いていた私の少年時代は、ほんとうにかけがえのない贅沢なものだったと思っています。
今日、8月1日、私がニューヨークに初めてやってきてからまる17年の月日が流れました。
1988年の8月1日、ケネディー空港にひとり降り立った私は、まさかニューヨークが、この先いろいろな国々でギタリストとして活動する運命を用意して待っていてくれていようなどとは夢にも思いませんでした。