銀河の国の ”ユパンキ生誕100年記念祭” II

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ニューヨークに戻ってから、すぐにアメリカ国内での遠征が三つ重なり、またウェッブサイトのニュー・サーバーへの引越し(当ホームページ管理人の山本理恵子さんに深謝)などがあったため、アップデートがだいぶ遅くなりました。
これは、去る4月12日、素晴らしいコンサートを主催してくださった岩手県奥中山高原、日本キリスト教団奥中山教会の皆様への私からのペイバック。
コンサート翌日の13日の朝、教会の日曜礼拝に出席した私は、’さんびあかし’を行いました。

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教会員、戸田清志さんによる、’<夏>虹のかかる奥中山教会’(上)。
そして’<春>朝靄の奥中山教会’(下)。


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‘さんびあかし’は、礼拝中教会に縁のある人が、宗教や祈りについての思いを語るお話の時間です。
私はこの日、母校である青山学院初等部で受けた教育のことや、同校で毎朝出席していた祈祷会のことについて話しました。
この二日間、会同内にはユパンキの写真がたくさん飾られました。

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12日のコンサートの直前、宿泊施設の羊めー館(よーめーかん)で準備をしていた私は、とても不思議な体験をしました。
シャワーを浴びたあと、ほとんど素っ裸に近いようななりで、タオル片手にドタドタと歩き回っていた私は、突然、それまでずっと長い間忘れていた賛美歌310番、’しずけきいのりのときはいとたのし’を思い出し、口ずさみだしたのです。
早速その話を教会員の皆さんにすると、みなとても喜んでくださり、急遽翌朝の礼拝で310番を、私のギター伴奏で歌うことに決定。
写真は、13日の礼拝前に賛美歌310番をギター・アレンジしているところです。

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‘さんびあかし’のお話をしたあと、私は外から差し込む、神々しいまでに眩い陽の光を背に受け、まるで導かれるかのように、エイトル・ヴィラ=ロボス作曲による、南米先住民たちの祈りの調べ、’プレリュード第4番’を演奏しました。
今後、このナンバーの演奏をこの日と同じエモーションで奏でることはとてもむずかしいかもしれません。
ただ神を深く信仰し、長い年月に渡って、きわめて厳しい自然の脅威と戦いながらこの地を切り開き、そしてこの地に骨をうずめた勇敢なる私たちの人生の先輩たちが、目に見えない精霊となっていまも訪れる者を優しく迎えてくれる奥中山。
私には、この教会には本当に神様の魂が宿っているとしか思えてならないのです。

‘カナンの園’の天使たち。

(左)ひつじ工房アドナイ・エレの戸田(むっちゃん)睦子さん(左)と、永井(りっちゃん)律子さん姉妹。おふたりは京都出身です。

むっちゃんは優れたピアニスト。かつて京都の、海外の映画スターご用達であったホテルのラウンジでピアノを演奏していたという経験の持ち主で、なんとアラン・ドロンやオードリー・ヘップバーンの前でもその腕前を披露したことがあり、ある夜、オードリーさんのいるときに’ムーン・リヴァー’を弾いたところ、なんと彼女から直接ワインのお振る舞いを受けたそうです。
そしていまむっちゃんは、神様のために毎週日曜日、礼拝の奏楽を担当しています。

(右)私をまるで実の息子のように迎えてくれる、むっちゃんりっちゃんママ。

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奥中山教会のアーティスティック・ディレクター的存在の八重樫芳子さん。
八重樫さんは東京都出身。
11年前、八重樫さんから受けた演奏依頼から、私と奥中山教会とのご縁がはじまりました。
八重樫さんが作曲した奥中山教会の歌は、ほんとうに素晴らしい調べです。

今日、誰も’アランフェス’や、’アルハンブラ’の音楽を作ろうとしません。
岩手県の風物から多くの作曲をしている私ですが、八重樫さんの作った歌を聴いたとき、これは自分の出る隙間はないなということをすぐに感じ、この土地の音楽を作ることをあっさりとやめてしまいました。

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礼拝後、会同内で’奥中山教会特製うどん’を。
ウーン、これはほかではゼッタイ味わえない!

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奥中山に来たら、ひつじ工房アドナイ・エレでショッピングするのがルール。

アドナイ・エレ製品のモデルに.....このほうがフォルクローレらしい?

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ページトップの、美しい春、夏、秋、冬、奥中山教会の四季を描いた教会員、戸田清志さん。
彼は素晴らしいアーティストです。

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またネー!!!

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その夜は、私にとってもうひとつのかけがえのない土地、奥中山高原から車で約一時間、八幡平温泉郷のペンション’エスぺランサ’において、またしてもお誕生会!
組曲’ナンブ’誕生のきっかけを作ってくださった、石川啄木記念館の山本令子さん、そして合唱曲、’マトーコタンの物語’のアイディアをくださった、アイヌ文化研究の第一人者、菅原進さんをはじめ、旧知の皆さんがかけつけてくださいました。

おいしいケーキやお料理のほかに私を待っていてくれたのは、私が大好きな花、’アネモネ’でした。
私は、ただ岩手県の美しい風景を見ただけで作曲をするのではありません。
このような素晴らしい方たちへの心からの想いが、私に霊感を与え、そして音楽となって噴き出すのです。

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東京のど真ん中で生まれ育った私ですが、先祖は会津藩の武士でした。
彼は、白虎隊士として勇敢に戦い、そして生き延びた後、今度は江戸に出ると彰義隊士となり、最後まで侍の誇りのために闘った人物でした。
もしそのまま侍の世の中が続いていたとしたら、おそらく私も会津の武士として生まれていたことでしょう。
いま、剣をギターにもちかえて、北の大地を訪れる自身の末裔の姿を天国から見て、彼もきっと嬉しく思っているにちがいありません。
私はそう思い、彼を誇りに思っています。
ギター侍の旅は、まだまだはじまったばかりです。