ギジェルマおばさんとともに...

アタウアルパ・ユパンキの素晴らしき詩の世界 XV

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ギジェルマおばさんに捧げる歌
 アタウアルパ・ユパンキ

鍋といっしょに歌っていた  誰にも聞こえない調べを
山は秘密を語ってくれる  そのふところで根っこを掘る者に
紫色に浮かぶお月さん  藍色の空を さすらいゆく
そして*マンディルのうえに浮かぶのは 
紅く縫いとられた ふたつの文字
ギジェルマおばさんが 俺にマンディル作ってくれた
4月の末の 馬乗り大会用に
俺たち里者が さっそうと男っぷりあげられるように
つやつや輝く とびきりのマンディル作ってくれた
作ってくれたのはギジェルマおばさん!
ギジェルマおばさんが作ってくれたんだ!
人の世には罠がある  どうして人の世はこうなのか
織物織りのばあさんたちは 死んではならないのに!
俺たち里者には もうマンディルたのめる人がいないのに!
ギジェルマおばさんが 俺にマンディル作ってくれた
4月の末の 馬乗り大会用に
俺たち里者が さっそうと男っぷりあげられるように
つやつや輝く とびきりのマンディル作ってくれた
作ってくれたのはギジェルマおばさん!
ギジェルマおばさんが作ってくれたんだ!

(* 馬の鞍の下に敷く毛織の布)


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‘ギジェルマおばさん’は、ユパンキが生前もっとも愛していたアルゼンチン、コルドバ州北部の山村、セロコロラドに暮した、’マンディル’と呼ばれる毛織の布作りの名人として知られたおばあさんでした。
彼女は、山に登っていろいろな草を摘んでくると、その根っこを鍋で煮ることによって独特の色を出し、それは美しい織物を染め上げたそうです。
ユパンキは、ギジェルマおばさんが亡くなったとき、古い文化を知っている人々が、こうしてどんどん死んでいってしまうことをたいそう嘆いてこの歌を作りましたが、作曲に際しては、’ガト’や’チャカレーラといった’コルドバ北部の伝承リズムではなく、ラ・リオーハという、ワインの産地として知られる地方の、葡萄の収穫祭のときに歌い踊られるリズム、’チャージャ(チャジータ)’を用いました。
セロコロラドの景色が目に浮かぶようなこの詩に、あえてかの地の伝統リズムを使わずに、遠く離れた別地方の、どちらかといえば本来人々が陽気に歌い踊るリズムをもって、この老婆への挽歌を作り上げたところに、ユパンキの並々ならぬセンスの素晴らしさが感じられます。
もしかしたらギジェルマさんは、ワイン大好きおばあさんだったのかもしれません...。
私は1988年、ニューヨークにおいて、この歌の主人公である’ギジェルマおばさん’の実の孫にあたるフォルクローレ奏者、エドワルド・マルティネス・グワジャーネスと知り合い、ユパンキのもとへ導かれてゆきました。

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トップ写真は、2月のカーネギーホール公演の際、本番前に’ギジェルマおばさんに捧げる歌’をリハーサル中の私です。
このあと3月にはいると、ニューヨークのトラディショナル・ミュージックの専門メジャーFMステーション、WFUVが、世界のフォーク音楽(アルゼンチン、ブラジル、チリ編)プログラムにおいて、私の演奏する’ギジェルマおばさん’を紹介しました。
こちらのページはその際のオンエアー・ナンバーのプレイリストです。
アルゼンチンの名歌手ヒナマリア・イダルゴ、チリのスーパー・フォルクローレ集団インティ・イリマニ、同じくチリの国民的歌手の故ビクトル・ハラ、そしてちょっと珍しいところでは、アメリカのフォークの女王、ジョーン・バエズによる’ブラジル風バッハ第5番アリア’などとともに、私の演奏がトップバッターとして2曲オンエアーされました。
この’ギジェルマおばさんに捧げる歌’を収録したCD’ルナ・トゥクマナ’は、1994年製作の私の最初の録音。
現在は私の意志により流通を中止していますが、アメリカのラジオ局ではいまでも頻繁にオンエアーされており、図書館などでは貸し出しも行われているそうです。

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エドワルドは、実の祖母に捧げられたこの名曲の、”ドーニャ・ギジェールマ・メ・イーソ・パ・ミ(ギジェルマおばさんが俺に作ってくれた)”と歌われるくだりを、”ラ・アブエラ・ギジェールマ...(ギジェルマおばあさんが...)”と変えて歌っていました。
そして彼は、「シロもそう歌うといいよ。孫であるぼくのお墨付きだ。」と言ってくれたので、私もこの歌を演奏するときには、いつもいちばん最後のパートのみ、”おばあさん”として歌っています。

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‘ギジェルマおばさん’のおかげで、私は本当に世界の色々な国々を知ることができました。
何年かあと、私が50歳くらいになったときに、ぜひもう一度この素晴らしいナンバーを録音してみたいと思っています。
なお、歌詞にも登場する、このナンバーの原題、’ドーニャ・ギジェルマに捧げる歌’の’ドーニャ’とは、目上の女性に対する、日本語の’ご婦人’、’奥方’、もしくは’おばさま’に近いスペイン語の敬称ですが、気のいいアルゼンチンの田舎の人たちが、心からの敬意と親しみをこめて「ドーニャ・ギジェルマ!」と、このおばあさんを呼ぶ感じが、これらの訳にしてしまうと少々ニュアンスがちがってしまうため、’ギジェルマおばさん’というふうに訳されています。

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スポーツニッポン紙、1992年の記事より。
私がどのようにアルゼンチンに渡ってユパンキに出会ったかというストーリーが、3回にわたって連載されました。
写真に写っている人々は、中央の私以外、すべて’ギジェルマおばさん’の実の孫たちです。
いちばん右の小柄なクリオージョは、ルイス・マルティネス。
ユパンキの名著’風の歌’にも登場するチャカレラの名手でした。
セロコロラドのエドワルドの家でこの写真を撮った日から、思えばもうずいぶん長い歳月が流れてしまいましたけれど、私はいまもあいかわらず同じ道を歩いています。
私にとって、’夢音楽’を追求する旅に終わりが来ることはありません。