A Bach & Yupanqui ‘crossover’ バッハ音楽とユパンキ文学の融合

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Tiempo del Hombre,’ una mezcla de una terrífica literatura del gran maestro argentino, y una preeminente música del gran compositor.

Tiempo del Hombre (Time of the man),’ a mixture of the stunning literature by Atahualpa Yupanqui, and the preeminent music by Johann Sebastian Bach.

僕がバッハの名曲「リュート組曲第1番プレリュード」をプレイしているこの動画は、以下のような日本語が、スペイン語表記されたテキストで始まる。

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僕は1989年1月、アタウアルパ・ユパンキが夏を過ごす、アルゼンチン、コルドバ州のセロコロラドの別荘を訪ねた。

ユパンキはまず、僕に彼の作曲したナンバーを弾かせたが、どうもあまり嬉しそうな表情ではなかった。
そしてアルゼンチンの大巨匠は、僕が二曲演奏を終えた後、それについては何も感想を述べず、ただ一言:

”おい小僧、何かクラシックギターの曲を弾いてみろ。”

と言った。

そこで僕は、バッハの名曲リュート組曲第1番の「ブーレ」を弾くと、弾いている途中、この南米の大巨匠と僕の間の空気が、明らかに変化したのに気がついた。
巨匠の瞳が僕に向かって放っていたのは、まるで鋭い光線のような、強い関心に満ちた光だった。

僕が弾き終えると、ユパンキは、座っていた椅子から立ち上がるように身を起こし、満面の笑みを湛えながら大喝采を送ってくれた。

その後、南米の巨人は、自らのギターで、僕に「恋する鳩の踊り」をプレイする際の極意を授けてくれた。

これは僕の人生を変えたストーリー。
なぜ僕が、このようにバッハにこだわるのかわかっていただけると嬉しい。

僕にとってバッハをプレイすること、それを上回るユパンキへのオマージュはあり得ない。

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ティエンポ・デル・オンブレ(人の時間)」は、ユパンキ哲学が最高の文学としてで記された傑作エッセイ。

この文章を読んだ、ある(もう亡くなってしまった)敬虔なクリスチャンの知り合いが;

ユパンキはクリスチャンだね。このサフラン…のくだり、これは聖書を熟読していないと絶対に出てこない発想ですよ。

と語ってくれたのが、今も忘れられない。

動画には日本語字幕を入れていないが、ギターの調べがとともに始まる「ティエンポ・デル・オンブレ」は下記のような内容。
僕の、純然たるクラシックギタープレイとともに楽しんでいただけると嬉しい。

ギタープレイの醍醐味は、なんと言っても左手の動きだ。

このビデオは、僕の左手の動きを存分に楽しんで頂けるよう作ってある。

この左手の動きは、他でもない恩師・鈴木巌先生からの贈りもの。
今一度、この場を借りて、天国の鈴木先生に感謝の意を表したい。

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ティエンポ・デル・オンブレ(人の時間)

私の血のなかを航海する 宇宙のひとかけらは
輝かしく果てしない 星の世界
それは長い道のりを 数千年のときをかけて
私のもとにやって来たもの
それはおそらく私が 地上にたちこめる大気のもと 
砂地として存在していたときのこと

そののち私は 一本の木となる
その木の根は 希望という言葉をもたず
水のない 砂漠の静寂におしつぶされていた
やがて私は 貝がらを背負う一匹のカタツムリとなり
そしてはじめて 海が囁く’言葉’を聞く

すると筋肉と涙とが 普遍の一体をつくり 
人のすがたとなって 歩きはじめる
老いた大地は混沌とし
やがてサフランが 菩提樹が 唄が 
そして祈りがそこに生まれる

こうして私は 南米の地に
ひとりの男として生まれた
パンパに ジャングルに そして山々にいだかれ
平原児であった祖父が 私のゆりかごのまわりを馬で駆ければ
もうひとりの祖父は 静かに葦の笛で物語を聞かせてくれた

私はものごとを学んだりしない 
そしてとくに理解しようともしない
私がわかること それはすべてまちがいのないもので
かつて私が すでにもう知っていたことだけ
私は山のなかの木の葉と話し
彼女たちは私に その根の秘密を語ってくれる

こうして私は 世界を歩く
年月にも 目的にもとらわれることなく
ともに歩んでくれる 宇宙によって守られながら
ひとすじの光を 川を
静けさを 星を愛し
そしてギターを花で咲かせる
なぜなら私は 一本の木なのだから

どうぞ皆さま、良いゴールデンウィークを!!!