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仕事でワシントンとニューヨーク、そしてクリーブランドを行ったり来たりするさなか、恩師鈴木巌先生が、その疲れが一気に吹っ飛ぶような一本のカセットテープを郵送してくださいました。
これは、いまから32年前の1980年、東京上野文化会館ホールにておいて行われた、鈴木先生のリサイタルのライヴ録音がすべて収められた音源で、昨秋、東京の鈴木先生のご自宅を訪れた際に聴かせていただき、そのあまりの素晴らしさにすっかり感激。ダビングをお願いしていたものでした。
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ド・ヴィゼー、チマローザ、バッハといった、香り高く崇高な古典ナンバーに幕を開け、鈴木先生ご自身のアレンジによる日本の調べ、そしてバリオス、アルベニスと、最高水準の技術と音楽性が要求されるラテン曲で締めくくる、まさにギターの王道をゆくプログラム。
とくに第一部のエンディングとして演奏された、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番(全曲)は、バッハがそもそも書いたオリジナルの枠を、完全なテクニックと精神によって超越し、ひとつの弦楽器の可能性を頂点に高めたインタープレテーション。
私は後にも先にも、こんなに素晴らしいバッハを聴いたことがありません。
近々私は、先生の許可を得た上で、このライヴ録音をデジタル化し、ぜひオンラインでご紹介したいと考えています。
(こういったご自分のお手柄や自慢すべき話などを、このような俗な形でひろめるなど一切考えないのが鈴木先生の素晴らしいところですが、このあまりにも素晴らしい音源をこのままにしておくのはあまりに惜しいので...。)
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80歳のグラン・マエストロ 鈴木巌先生
ハッピー”ブーレ”
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昨年出版された新刊書、’ラテン音楽名曲名演ベスト111’に、そうそうたる歴史的名音源の数々に混じって私の演奏がエントリーされました。
またその中で、ユパンキが、私が当時、唯一おぼえていたクラシックギターのナンバーであったバッハの’ブーレ’の演奏をたいへん喜んでくれ、そのあと彼のギター奏法のマジックを伝授してくれたストーリーが丁寧に書かれていることは本当に嬉しいことです。
しかし、なぜギター奏者をめざしてニューヨークに渡ったわけでもない私が、この’ブーレ’をおぼえていたのかは、これまであまり多くの人に話していません。
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実は私は渡米前、東京でヘヴィーメタルのバンドのギタリストとしてアルバイトしていた時期がありました。
そのときドラムを叩いていたリーダーがバッハ・クレイジーで、私にこの’ブーレ’を、ライヴの途中でギターの技を見せる一環としてプレイすることを要求したため、私はよくこのナンバーを練習していたのです。
人生とは、どこでなにがどう役に立つかまったくわかりません...。
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’ブーレ’は、バッハの傑作ナンバー’リュート組曲第1番ホ短調のラストを飾る名曲。
もともとは、フランスの農村に起源をもつ軽快な舞曲です。
私の演奏は、ブリッジの部分に手首を押し当て、6弦をミュートしたエレクトリックギター奏法。
これは、ヘヴィーメタルバンドのステージに立っていたときとまったく同じプレイです。
1989年1月、アルゼンチン、コルドバ州のセロコロラド。
私はいまでも、このナンバーを弾き終わったときのユパンキの嬉しそうな顔を忘れることができません。
新年のごあいさつは、いつも素敵な絵を描いて送ってくれるグアテマラの少女、レベッカちゃんの作品のうえに、私が(消せるように)鉛筆で書き足したものです。
ブランデンブルグなニューイヤーコンサート
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今年のニューイヤーズイヴは、NYポピュラー音楽の殿堂、’ラジオシティーミュージックホール’のディレクターを長きに渡ってつとめた往年の名ヴァイオリニスト、フワン・デ・サンクティスさんの大邸宅で毎年大晦日に行われるリッチな室内楽コンサートにはじめてご招待を受けました。