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アタウアルパ・ユパンキ十五周忌によせて

1992年5月23日、フランスのニームにてこの世を去った、南米フォルクローレの最高峰アタウアルパ・ユパンキ。それからはやくも15年の歳月が流れました。
今日は、私が彼への想いを込めて1993年に作曲した’La Tierra Donde Canta El Viento -風が歌う地-ユパンキに捧ぐというギターソロを皆様にお聴かせしたいと思います。

1989年に、私がユパンキにギターの手ほどきを受けた、アルゼンチンのコルドバ州北部の山村セロ・コロラドにある彼の別荘は、川のせせらぎが、鳥の歌声が、そして木々を優しく揺らす風の音にかこまれた、まるで桃源郷のような場所でした。
この風景を思いながら作ったのがこのギター曲ですが、1994年にこの地をふたたび訪れ、ユパンキのお墓の前で演奏してからは、それを最後に一度もステージで演奏していません。また、現在流通している私の3枚のCDにも収められていません。
このクオリティーの高い音源、そしてこの、”風が歌う、私にとっての聖地”の写真が残っているのは、ニッポン放送の香高英明さんのおかげです。
まず、香高さんにこの場をかりて、心からの感謝の意を表したいと思います。

また、この録音を皆様が聴いてくださる頃、私はすでに公演ツアーのためポーランドにいます。
今日この日に、この大切な私の想いを私に代わってオンライン上で美しく飾ってくださった、ふだん東京でこのウエッブサイトを管理してくださっている山本´rico´理恵子さんに、心よりお礼を申し上げます。
(’風が歌う地’には、中間部で、私のギター曲にはめずらしくトレモロを使ったメロディーが登場します。
実は私は昔からトレモロが得意で われながらこのメロディーもきれいに響いているのですが、このあと何かの本でユパンキが、”俺はトレモロなんかやらないよ。俺はお百姓が弾くようにギターを弾くのさ。”と言ったという話を読み、それ以降一切このテクニックを使うことをやめてしまいました。)

この15年間は私にとって、自身の音楽を創ってゆくうえでの、そのしっかりとした土台を築き上げるために費やした年月でした。
そしてそれが、時には激しい雨や嵐を受けた末にようやく土として固まってきたいま、これからの15年は、さらにこの巨匠の音楽に魂をこめて演奏できるよう、より険しくなる道のりを歩いてゆこうと思っています。
私のユパンキへの想いはこれからも変わることはありません。
たとえもう人前で弾くことはなくとも、この’風が歌う地’は私の心の中で、1989年の夏にセロ・コロラドで過ごしたかけがえのない時間とともに、永遠の光を放ちながら鳴り響き続けているのです。

クラクフ公演ポスター

クラクフ公演ポスター

5月27日に行うクラクフ公演のポスター。
シンプルで清潔な色使いがとても気に入っています。

この公演のインターネット上でのご案内はこちらです。
プログラム、バイオなどすべてポーランド語で記されていますが、右側の下向きの矢印にカーソルをあわせると画面が下にむかって動き、最後にこのポスターが登場する、とてもシャープなウエッブデザインです。
どうぞお試しください。

2007.4.15 銀座王子ホール公演

王子ホール公演

4月20日のニューヨーク公演とアップデートが前後してしまいましたが、シャンソン、ファドを歌う歌手、はらだじゅんさんとのジョイント・コンサート、“ティエラ・エテルナ”“を、4月15日、東京銀座の王子ホールで行いました。
私はこの日、一演奏家として自分のパフォーマンスに対し、かなり満足のゆく結果を残せたのではないかと思っています。
おそらく会場に足を運んでくださった、すべての皆様に喜んでいただけるパフォーマンスになったことと信じて疑いません。

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NY Immigrant History Week 2007 大成功

Immigrant History Week

Immigrant History Week

ニューヨークを作り上げてきた移民たちの歴史を祝う“Immigrant History Week”最終日の4月20日、クロージング・プログラムとなる私のコンサートが、無事成功をおさめました。

15日の東京銀座王子ホール公演の直後、17日に東京-ニューヨークを移動しての、かなりタイトな日程での大一番でしたが、会場となった、ニューヨーク・インターナショナル・センターの満場のお客様を前に、ユパンキの「栗毛の馬」、自作の「ラ・サンティアゲーニャ(南米舞曲第一番)」、「ダヒュ」、「南部幻想曲」、「パンパ前奏曲(南米舞曲第一番)」、「ペペのサンバ(南米舞曲第一番)」、「パチャママの踊り(南米舞曲第一番)」、そしてラストにユパンキの「牛追い」、アンコールに「コンドルは飛んでゆく-花祭り」を、ニューヨーク独特の熱気につつまれて演奏。アメリカにはじめて渡ってからはやくも20年近くの歳月が流れたことをかみしめながらのパフォーマンスは、おそらく今後、私にとっても忘れられない公演となることでしょう。

今回、このイヴェント開催にあたって、ニューヨーク市に対して私の出演を強力にプッシュしてくださった、インターナショナル・センターのショーン・ムーリンさん、キャスリン・ボンさんにこの場を借りて深く感謝を申し上げます。
また、今回のこのイヴェントでは、多くのボランティアーの方々が毎日スタッフとして運営に携わってくださいました。
その方々へのお礼として、私のCDアルバム30枚をプレゼント用にとりはからってくださったニューヨーク市およびスポンサーの皆様、そしてなかにはいってプロセスを進めてくださったメアリー・べス・ホルマンさんに心より御礼申し上げます。

客席

この意義あるイヴェントのオープニング・ナンバーは、やはり私にとってなににもかえられないユパンキの「栗毛の馬」でした。

岩田邦裕さんと

一番弟子(?)、岩田邦裕さんをサイド・ギターに加え、「ダヒュ」をNY初演。
彼は今日、安定した素晴らしいギターワークとバウロン(ボーラン)を聴かせてくれました。

ヴィラ=ロボスに捧ぐ

時差をもなんのその!ヴィラ=ロボスに捧ぐ「南米舞曲第一番」。

コンドルは飛んでゆく

会場と一体となっての「コンドルは飛んでゆく」。 
これまでニューヨークは私に数多くのプレゼントをしてくれました。今回、そのニューヨークのために、私の南米音楽が役に立てたことを本当に嬉しく思います。

公演後、関係者の皆さんと

公演後、関係者の皆さんと。むかって一番左が、センターのプログラム・コーディネーターのショーンさんとキャスリンさん(右から3人目)、そして一番右が岩田邦裕さん。 また、バウロン(ボーラン)をもつ私の左は、駆けつけてくれた私の恩人、アタウアルパ・ユパンキ基金のファニータ・サロッシさん。
皆さん、ありがとう!!!