「Reviews」カテゴリーアーカイブ

新聞雑誌インタビューetc.etc…

Un développement de la musique latine au territoire individuel

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“Un desarrollo de la música latina al territorio individual.”

《Un développement de la musique latine au territoire individuel》.

“Uno sviluppo da musica latina al territorio individuale.”

“A development from latin music to the individual territory.”

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Great review released by Japanese major newspaper today.
I love this picture!

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本日、毎日新聞にレヴュー記事が掲載された。
自分が今、つねに心に思うところが簡潔に表現された素敵な記事だ。
新たな愛器、ホアン・エルナンデスとともに、ライヴ中撮影されたこの写真も気に入っている。

下記写真は、11月の日本滞在時、都内のイタリア料理店で取材を受けたときのもの。

一緒におられるのは毎日新聞記者、明珍美紀さん、そしてCD「イベロアメリカーナ」のプロデューサーであり、私にとってのかけがえのない大恩人、在米投資家の大根田勝美さん。

この場を借りて, おふたりに心からの感謝の意を表します。

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CD「イベロアメリカーナ」は、こちらのページからご購入いただけます。

Il est un mystère

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Conferencia especial al auditorio de Bunkagakuin, la escuela en que me he educado (1981-1984.)
No tengo idea como los medios de comunicación argentinos habían podido recoger el material de este evento tan rápido.
Es un misterio.

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Conférence spéciale au Bunkagakuin auditorium , mon ancienne école .
Je ne sais pas comment se les médias argentins rapporté cet événement si rapidement . Il est un mystère .

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Conferenza speciale al Bunagakuin auditorium , la mia vecchia scuola .
Non ho idea del perché i media argentini hanno riportato questo evento così rapido . E ‘un mistero .

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Special conference at Bunkagakuin auditorium, my old school.
I have no idea how come the Argentine media people could report this event so quickly.
It’s a mystery.

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これは、御茶ノ水にある母校、文化学院に招待を受けて同校のオーデトリアムで行った創立記念日の特別講義を、アルゼンチンのメディアが翌日一斉に報じたもの。
使用された写真は当日のものではないので、直接取材に来ていないことは確かだが、なぜこのように素早く報道が行われたのかは未だ謎。

アルゼンチンはミステリアスな国だ。

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関係ないが、下記写真は、昨日車の運転中に見かけたニューヨークのバス。
メッシを使ったブエノスアイレス観光の宣伝がされていた。

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全日空機内誌「ウイングスパン」インタビュー記事

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ちょうどホームページのリニューアル中だったこともあり、少々ビハインドになってしまいましたけれど、今年の6月、全日空の機内誌「ウイングスパン/翼の王国」に掲載された、日本に生まれ、現在国際的に活動する人物にスポットを当てる人気コラム、’アウトバンド・ジャパン’のインタビュー記事を日本語に訳しました。

これは、私が受けた英語による最初の長時間インタビュー。
写真は、ニューヨークでの取材時のものです。
”こんな記事になるの。”と、同コラム担当の通信員、ランディーさんが持ってきてくれた私が持っている号の’アウトバウンド・ジャパン’は、国際俳優ケン・ワタナベとのインタビューでした。

ランディーさんと私は同世代で、終始とてもいい感じのインタビューに。
”僕はケン・ワタナベのような有名人ではないけど、なぜ僕をこのコラムに選んだの?”と、私が尋ねると、彼女は、”あなたほどこのコラムに適した人物はいないわ。”と、言ってくれました。

ランディーさんは、今年の2月、ブエノスアイレスで行ったパフォーマンスの会場にも取材に足を運んでくれました。
彼女の熱意が感じられる、とてもクオリティーの高いインタビュー記事になっていると思います。

実は、ヨーロッパに暮らす少々度が過ぎる女性ファン数名のため、私はオンライン上に自分の連絡先を出していません(現在ほぼ解決!)
このためランディーさんは、ニューヨークのアルゼンチン大使館に連絡し、私とコンタクトをとってもらえるよう要請したそうです。

翻訳は、あまり硬くせず、彼女と当日話したようにナチュラルに訳してあります。

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アウトバウンド・ジャパン ’大竹史朗’

Striking Cross-Cultural Chords

”そんなわけで、僕の奏でるバッハがユパンキの心をとらえ、そのあと彼は僕にギター奏法のマジックを手ほどきしてくれた。
ユパンキはテクニックを教えてくれたわけじゃなく、彼が伝えてくれたのはフィーリングだけだったけど、僕にはそれでじゅうぶんだった。”

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ランディー(以下R):私たちの世代のほとんどがポップミュージュックに夢中になっていたときに、ユパンキの何があなたをそんなに魅了したのだと思う?

史朗(以下S):それは最初の一音だったんだ。とにかくほかのものがみんな吹っ飛び、僕は完全にノックアウトされてしまった。
それで楽譜を読むことを覚え、ギターも上達したと思う。でもすべて独学だった。

当時NHKがギターの講座テレビ番組を放送していて、僕は毎週それを観ていたんだけど、鈴木巌さんという先生の教えかたがとても素晴らしく思えた。
そうしたら彼は、偶然にもぼくの家からとても近いところに住んでいて教室を持っていた。
それで16歳になったとき、鈴木先生の門を叩いたというわけ。

R:プロのギター奏者をめざそうと最初に志したのはそのときだったのかしら?

S:鈴木先生は、“史朗くんには才能がある。もし望むならプロへの道を歩む協力をするよ。”と言ってくれた。
だけど僕は、もしプロになったとしても果たして本当に自分の弾きたい音楽がプレイできるだろうかと思ったんだ。

僕はとにかく、ただユパンキのようにギターを弾きたいだけだったからね。日本人の僕が、これから1980年代を迎える今の時代に、いったいユパンキの音楽でなにができるだろうっていう感じだった。

R:それで、どのようにチャンネルを切り替えたの?

S:友達に誘われて空手同好会のメンバーになったんだけど、これが面白くてね。黒帯にもなったんだよ。
そんなある日、空手の師範が僕に、“体が驚くほど柔軟だ。踊りに適しているね。ダンスを学んでみたらどうだい?”と言うんだ。
僕はビックリしたんだけど、当時、映画「ウエストサイド物語」に影響されていてね、ベルナルドを演じたジョージ・チャキリスみたいになれたら素晴らしいななんて思っていたから、結局大学には行かずに専門学校に進み、そこで演劇とダンスを学び、卒業後は‘民藝’というプロの新劇の劇団に入ったんだけど、ここは馴染めなかった。

R:それから次のアクションは?

S:結局ニューヨークに来ることを決めた。最初は慣れるのにちょっとたいへんだったけど、だんだんオーディションなどでダンスの仕事もできるようになってきた頃、僕の人生で最大の転機がやってきた。

当時、クイーンズ区のフォレストヒルズにあるラテンアメリカからの移民の家族の家に下宿していたんだけど、ある日庭に置いてあったギターを何年かぶりにボロボロ弾いていたら、不思議なことに少年時の僕を魅了したユパンキの‘栗毛の馬’がでてきた。
すると家の大家さんのホセが血相を変えてすっとんできてね、なんと彼はアルゼンチン出身で、ユパンキの大ファンだと言う。
さらに彼は、“史朗のギターはユパンキの奏でる音と同じだ。友人にエドワルドという、やはりアルゼンチン人で、ユパンキととても親しいミュージシャンがいるから会うべきだ。”と言うんだ。

でも僕は、“君の踊りはバリシニコフみたいだ。”と言われたくてニューヨークに来たわけだからね、正直のところ、ユパンキと同じギターの音と言われても、そのときはあまり嬉しくなかった。

そんなある夜、エドワルドが僕に会いに来てくれた。
それで、やはり僕のギターの音はユパンキと同じだとつぶやいた後、自分が全部アレンジするからアルゼンチンに行ってユパンキに会っておいでよと言い出したんだ。

R:結局なにが、そんなあなたをアルゼンチンに行かせたのかしら?

S:いろいろ悩んだんだけど、10年後、自分が36歳になったときのことを考えてみたよ。レヴェルの高いニューヨークで、もし運がよければダンスのインストラクターくらいになれるかもしれないが、おそらくいま自分の目の前にあるギターの巨匠との縁のような幸運は、どう間違っても降ってこないだろうと思えた。
これはまさに、天からの声なんじゃないかってだんだん思えてきたんだ。

ユパンキはぼくをコルドバ州のサマーハウスに呼び、なにかクラシックギターの曲を弾いてみろと言った。
ぼくは当時、もうクラシックの練習をしていなかったけれど、唯一おぼえていたバッハのブーレを弾くと、彼は満面に笑みをたたえて“ブラボー”と叫んで喜んでくれた。
そんなわけで、僕のバッハがユパンキの心をつかんだんだ。そのあと彼は、そのギター奏法のマジックを手ほどきしてくれた。ユパンキはテクニックについては特になにも言わず、教えてくれたのはフィーリングのみだったけれど、僕にはそれでじゅうぶんだった。

R:コラボレーションのきっかけは?

S:ユパンキは1976年に広島を訪れ、’ヒロシマ〜忘れえぬ町’という詩を書いていた。
僕はユパンキの詩に作曲するなんてことは全く考えていなかったけれど、この素晴らしい詩を読んだ瞬間、本当に自然に曲想が湧き上がってきたんだ。
ユパンキはこの作曲を共作曲として認可してくれ、僕はそれがきっかけで広島に招待を受けてデビューリサイタルを行うことができた。

僕はいまでも、ユパンキと僕自身の融合と呼べる音楽を創ろうとしている。
二年前、日本の大女優、香川京子さんとのコンビで、香川さんに僕が日本語に訳したユパンキの詩を、僕が弾くバッハやオリジナル曲にあわせて朗読してもらうというスペシャルコンサート‘アルゼンチン風バッハ’を東京で公演した。
これは素晴らしかったよ。

R:これからのキャリアについて話してもらえる?

今年の暮れ(2013年)、朝鮮半島に伝わる伝説からインスピレーションを得て書いた最新の作曲のひとつである‘ハンアの舞’の初演を東京で行ったあと、1月と2月はコルドバ州政府の招待を受けてアルゼンチンに行くんだ。
ブエノスアイレスでは日本大使にもお目にかかる予定。
そのあと4月は再び東京で、サウンドトラックを担当した日本映画‘無花果の森’のプレミアと渡米25年記念のリサイタルでの演奏。
そのあとニューヨークに戻って新しいCDアルバムの録音を行い、6月にはパラグアイとアルゼンチンをツアーという予定。
このツアーでは、‘神々の炎’という新曲を初演するよ。

南米人気誌にトップ記事

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先週11月26日付けで、パラグアイの人気女性誌「カネーラ」が、私をトップ記事として大きく報じました。

同国公演大成功のインパクトは未だ冷めやらずといった感。
とても嬉しく思っています。

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女性たちと一緒の写真で手に持っているのは、皆さんからプレゼントされた、私の名前が金文字で刺繍されたテーブルクロス。

この他にも、パラグアイでいただいた心のこもった贈り物は、冗談ではなく相当な量となり(国民的ギタープレイヤー、アグスティン•バリオスの、日本で買うと数万円する豪華書籍や、美しいレリーフの木箱に収められた”大竹史朗”人形etc.etc….)、無事ニューヨークまで持ち帰るために、現地でもうひとつ大きなスポーツバッグを購入せざるを得ない事態となりました。

(いちばん左のビッグガイは、現地でたいへんお世話になった、パラグアイ日本大使館の宮川雄一参事官兼領事です。)

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下記は、いかにも女性誌といったムードの写真。

上記にリンクした本文でも、最初の二枚の写真が「なにもそんなにデカくしなくても…」というくらい拡大表示され、少々ハズカシイ…

二枚目の写真で持っている「カネーラ」誌の表紙の女性は、ミス•パラグアイだそうです。

三枚目は、なにやらラテン版”花王奥様劇場”のキャスト風…???(^_^)

大竹史朗 ユパンキの音色をパラグアイに贈る

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大成功をおさめた、今年6月のアルゼンチン、ブエノスアイレス公演の前に訪れたパラグアイ。
ここで私は、この国の素晴らしい人々に出会い、これからさらに歩んで行くための、大いなる新たな’心のガソリン’を得ました。

パラグアイで私が得たのは、単にコンサートを大成功させたという’経歴’だけではありません。

以下、パラグアイの首都アスンシオン公演の模様を、南米の最大手ネットワークメディア「ABC」が、”大竹史朗、ユパンキの音色を贈る”と大きく報じた記事の日本語訳です。

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日本人ギタリスト&シンガーの大竹史朗が、去る水曜日の夜、アスンシオンのアグスティン•バリオス劇場につめかけた大観衆を前に公演を行った。
”エル•アリエーロ”として知られる大竹は、アタウアルパ•ユパンキの作品および、自らのオリジナル曲を披露した。

ユパンキの「栗毛の馬」、「ギターよ、教えておくれ」で幕をあけたコンサートは、大竹のオリジナル作品「ペペのサンバ」へと続く。
いつも大竹といっしょにいて、彼の奏でるギターの音色をそばで聞いていたという(1994年に死んだ)愛犬ペペの姿を素敵に謳いあげた曲だ。
そしてコンサートの前半は、やはり大竹の作曲による「風が歌う地」でラストを飾る。

第二部、アーティストはステージに戻ると、曲の演奏をはじめる前に、自身のヒストリーを聴衆に語った。

”13歳のとき、私は東京で(ラジオのプログラム)ユパンキの音楽をはじめて聴きました。そしてその深いエッセンスに魅了されたのです。
ニューヨークに渡ったのはそのあとですが、実はギターを弾くためではなく、私の本来の夢はブロードウエイの俳優になるためでした。
しかし、下宿していた部屋の大家がアルゼンチン人で、私がたまたま弾いたユパンキの曲に感激したことから縁が広がり、1989年、私はアルゼンチンのユパンキを訪ね、直接ギターの指導を受けました。そのとき私は、彼の奏でるギターの音色に真の大地の感動を味わい、運命が変わったのです。”

大竹は、聴衆の喝采をところどころで受けながらそう語った。

そしてコンサートは、アルゼンチンの国民詩人レオポルド•ルゴーネスに献呈した組曲「神々の炎」へと続く。
曲のラスト、大竹は鳴り止まぬ大喝采に感極まり涙を流し、ライヴは一時中断する。喝采は鳴り止まない。

”これまで歩んできた長い道のりを、あななたち素晴らしいパラグアイのみなさんに囲まれて思い出しました。”

大竹はそう語り、今年サウンドトラックを担当した日本映画「無花果の森」から「ロマンセ」、そしてユパンキの傑作「牛車にゆられて」、「トゥクマンの月」を演奏。
そしてユパンキの詩に大竹が作曲した「ヒロシマ〜忘れえぬ町」でフィナーレを迎え、さらに聴衆のアンコールに応え、「アランフェス(協奏曲第二楽章をアレンジしたソロ)」、メドレーで「コンドルは飛んでゆく」を披露。
終わることのない大喝采を浴びながら、大竹はパラグアイの観客に別れを告げた。

(’ABC’記事より全文)

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新聞記事の公演前日、ニューヨークからの’ナイトフライト’で、朝8時30分にパラグアイの首都アスンシオンに到着。
ホテルに護送後(!)、サッとシャワーを浴びて、休む間もなく午前11時から生出演のため人気ラジオ局「FMコンサート」を訪問。

これは、実際ライヴの放送が行われているところを撮影されたビデオ(一般には非公開のYouTube画像)です。

パーソナリティーのベトさんはブラジル人。

パラグアイ生活が長く、すでにこの番組を23年に渡って続け、自身のステーション「FMコンサート」を「カサ•デ•ロス•ムシコス(ミュージシャンの家)」と呼び、同国を訪れるアーティストを必ずラジオに招待して質の高いインタビューを行うミュージックラヴァー。

ベトさんの心地よいポルトガル語アクセントのスペイン語と、私のアルゼンチンアクセント丸出しのスペイン語によるインタビュー。
残念ながら字幕はありませんが、ギターではなく’そもそもブロードウエイのアクトール(俳優)を目指してニューヨークへ渡った’と私が話すくだりに、ベトさんがビックリして笑うところなどはおわかりになると思います。

世界でも最も音楽的な言語のひとつ、「スペイン語」による会話の響きをお楽しみください。
音楽を心から愛する、お互い専門職同士のブラジル人とニューヨークに暮らす日本人が、故国をはなれた土地でこうして第二外国語でコミュニケーションできるということが、どんなに素敵なことかわかっていただければ嬉しく思います。

放送中も、ピコピコとひっきりなしに入ってくる「フェースブック」の反響もまた一興。
「いまドイツにいるので悔しいけれどコンサートに行けないワ。」というメッセージが送られてくる一幕も。
インターネットの普及により、いまラジオ番組は世界中どこにいても楽しめるようになりました。

ビデオの6分20秒のところから、ユパンキの「牛車にゆられて」をライヴで演奏しますが、その前に私は、”いま何時?今朝8時30分に着いたばかりだからネ。もしかしたらベストの演奏にならないかもよ。でも明日(アスンシオン公演)はバッチリ決めるからね。”と言うと、「え、今朝着いたの?!?!」と驚くベトさんの表情も面白いと思います。

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今日はここまで!

パラグアイの思い出アルバムは、またあらためてアップデートします。

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