ニカラグアと聞いて、すぐどんな国かや正確な位置が分かる方はそれほど多くないと思いますが、前にご紹介したキューバ映画、‘苺とチョコレート’と同様、たいへん感激したこのニカラグア映画、‘アルシノとコンドル’との出会い以来、私がずっとロマンを抱いていた国でした。
チリから亡命した映画監督、ミゲル・リッティンが、全ラテンアメリカ映画人の総力を結集して製作した作品‘アルシノとコンドル’。
ながきにわたってニカラグアの人々を苦しめたソモサ独裁政権が、サンディニスタと呼ばれた反政府ゲリラによって崩壊させられる様を、アルシノという少年の目をとおして描かれた、この鋭いリアリズムと甘味なリリシズムが完璧に融合した作品は、米国俳優のディーン・ストックウェルがまったくのノーギャラで出演したことでも話題となりました。
劇中アルシノは、亡き父親の遺品の入った箱のなかから見つけたアムステルダムの絵葉書を大切にしているのですが、彼にとってこのアムステルダムは夢の都でした。
仲良しの少女といっしょに湖に木の小船を浮かべ、“アームステルダーム!”と叫びながら遊ぶシーンは、キューバの作曲家、レオ・ブローウエルの美しい音楽とあいまって、幻想と詩情の極致ともいえる、私がいままで観た映画のなかでも一番美しいシーンのひとつです。
そのニカラグアで2002年に公演が決まったとき、私はどんなに嬉しかったかわかりません。
たびかさなる内戦や地震でかなりのダメージを受けた国ではありますが、現在若い人たちのパワーが確実に将来を感じさせ、首都のマナグア大学は中米一の教育水準を誇ります。
そのマナグアで一番の人気ラジオが‘ya ー ジャ (already という意味)’ですが、この放送局が私の公演前に流したコンサートのコマーシャルは、オリジナルの‘テノチティトラン’をベースに作った最高にカッコよいもので、しばらく聞き入ってしまうほどでした。(写真は‘ジャ’に出演する私)
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ニッポン放送が制作した、一時間にわたる私のドキュメンタリー番組。
このなかでふたつ、関係者による私に対しての忘れられないコメントがありますが、そのひとつは、やはりニッポン放送の、おなじみ竹村健一さんの番組に生出演したときの彼のコメントの抜粋です。
竹村さんにはとても気難しい印象を受けていたので、正直あまり気乗りがしませんでしたが、マイクをはさんで私を見つめる彼の眼鏡の奥にあったのは、ほんとうに澄んだ、興味深さでいっぱいの優しいまなざしでした。
“自分はフルブライト第一期生としてアメリカに留学をしたが、もう日本に帰りたくて帰りたくてしかたがなかった。しかしいま、ここにいる青年は、ギター一本ひっさげて南米コミュニティーに入り込み、ーあっちも移民ならこっちも移民だとーと言っている。これは本当にすごいことで、まさに新しい日本人と言えるのではないかとぼくは思う” と、おっしゃってくださいました。
私はそのとき、本当にアメリカに行ってよかったんだと思ったものです。
結局 ‘スーパーステーション’には、このとき竹村さんがおっしゃった、‘新国際人’という言葉がそのままタイトルとして使われました。
もうひとつは、私のストーリーにかかすことのできない、いまは亡きエドワルドの声です。
‘スーパーステーション’のディレクターの香高英明(こうたか ひであき)さんは、ニューヨークまで音源取材にみえ、エドワルドの演奏やインタビューを録ってくださいました。
“シロはすばらしいともだち、そして私たちの文化を深く理解する、ピュアーな心をもった強い男だ”と、語ってくれたエドワルド。
自分よりも前にアメリカをめざしたこの先輩ふたりによるメッセージは、いまなお私の心の支えとなっているのです。
ギタリストにとってスペインは永遠のあこがれの国です。
マドリード公演の前に、最大手ラジオの‘カデナ・セール’が、一時間の生放送番組に私を招待してくれたのは嬉しい経験でした。
“スペインは私が子どもの頃から夢みた国。ここにいて、歩いて、ここの空気を吸い込んで、そして私はいまこの国にいるのだという喜びをかみしめているのです。”と、正直な気持ちを言うと、聞き手の人もたいへん喜んでくれました。私は一時間ほぼ出ずっぱりでしたが、途中何人かの有名人ゲストも現れ、そのなかに、その週に戦う予定のスター闘牛士がいて、なんだかよくわからないままに彼と対談したのも、スペインらしい、楽しい思い出になりました。
スペインの日本語による情報紙
アランフェス宮殿にて
スペインは光と影の国です。宮殿の裏の林のなかを歩いていると、目の見えないロドリーゴがどうしてあの‘アランフェス協奏曲’を作ることができたのかわかったような気がしました。
スペインの芸術家はみな、この光から霊感を得ていたに違いありません。
この後、ここからいくらも離れていないチンチョンの町で、‘マリア・ルイサの城’との出会いがありました。
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ユパンキの詩 ‘ヒロシマ ー 忘れえぬ町’ に曲をつけたことがきっかけで行われた私の最初の広島公演の際、NHKが制作した‘メッセージひろしま’。
スタジオでのインタビューにライヴ映像をまじえた、30分にわたる本格的なものでしたが、いまこのとき録画してもらったものを見ると、公演のためにアメリカから4年ぶりに日本に帰国した私は、非常に落ち着き払った態度で用意された椅子に座り、身動きひとつせず、眉ひとつ動かさずにインタビュアーをじっと見つめて質問に答えていて、それはまるで、あたかも森の奥からでてきた若い狼のような雰囲気さえたたえています。
頼る人間もいないまったくの未知の世界で、4年の間に若い目が見た数々の事柄はストレートに心臓に達し、そしてそれが血液となって指先へと流れた結果、私はこの頃、本当に純粋な気持ちでギターを弾いていました。
このところ、演奏技術が進歩した反面、はたしていまの自分は、そのときのピュアリティーをそのまま保っていることができているのだろうかなどと時折思うことがあります。
“ギターの音色は、そのからだを抱くふたつの腕が翼となって、満天の星空の下、いくたびもいくたびも生まれかわりながら遠くへ遠くへと飛び立ってゆく”
ずっと本棚の奥にしまってあった、ユパンキのこの ‘ギター’ という美しい詩集を取り出して、最近私はこの言葉をもう一度かみしめながら、そしてこの ‘心臓に押しあてられて演奏される唯一の楽器’ との一体感を深めながらステージに向かっています。13年前の自分を思い起こしながら。
このNHKが作ってくれた番組に、いまの私がもう一度ふりかえらなくてならない、かけがえのない原点があるのです。
アメリカから4年ぶりに帰国した、1992年の私。
荒野のようなNYで、生活の大半を英語とスペイン語で暮し、つきあっていい人間と、進んでいい道のりを常に模索しながらただひたむきにギターをかき鳴らしていました。
1960年版のユパンキの詩集 ‘ギター’
日本のNHK FM放送で、もう20年以上もラテン音楽の魅力を紹介していらっしゃるのが、音楽ジャーナリストの竹村淳さんです。
竹村さんは、日本のラテン音楽評論の第一人者のおひとりですが、ご本人は‘評論家’という肩書きをきらい、あえてジャーナリストとしてフットワークも軽く、気になる音があると世界中どこへでも出かけてゆくという素晴らしい方です。
竹村さんは、私がいままで発表したCD4枚をすべて放送で紹介してくださいました。
竹村さんの放送を聴いて私のコンサートにいらしたという方が日本全国どこに行っても必ずいらっしゃるのでたいへんありがたいのですが、それだけではなく、‘ルナ・トウクマナ’をのぞく3枚に、ご自身のペンからなる日本語の素晴らしい解説を入れて、現在やはりご自分のテイクオフ社から日本でディストリビュートをしてくださっている、文字どおり私の日本での大恩人です。
私はかつて、NHKのFM放送でユパンキを知りました。いま同じ電波に乗って私の音楽が流れ、もしそれをどこかで、少年時の私のように感激して聴いてくださっている方がいらっしゃるとすれば、私にとってこれ以上の喜びはありません。
! Muchisimas gracias, maestro Takemura-san !
竹村さんが出してくださっている、日本版 ‘マリア・ルイサ’ のDMフライヤー。
竹村淳さん(右)と、宮城県気仙沼市で行われたトークコンサートを終えて。
このときもNHKの放送を聴いて、仙台から3時間半かけていらしたという方々がいらっしゃいました。
‘マリア・ルイサ’のさわりはこちら、米ミュジカレコードのサイトにて聴くことができます。
アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界