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究極の素敵な贈物 、ウエストサイドケーキ

ウエストサイドケーキ

私は映画 ‘ウエストサイド物語’ の大ファンです。
この不滅のミュージカルの金字塔に強い影響を受け、当時ダンスに没頭していた私は1988年、(ベルナルド役を演じた)ジョージ・チャキリスが、長い下積みのあと、ニューヨークで(’ウエストサイド’をバーンスタインらとともにクリエイトした)ジェローム・ロビンスに会うことによって成功のきっかけを作ったというエピソードだけを胸に、”ニューヨークに行けば会うべき人に会える”と自分自身に言い聞かせながら、誰ひとりあてもない土地へと単身乗り込んだのでした。
写真は、あるファンの女性が作ってくださった特製‘ウエストサイド’ケーキです。
食べないで、ずっと冷凍しておこうかなどなどいろいろ考えましたが、結局彼女の意向もあり、涙をのんで食べました。
ウエストサイドよ永遠に!!!

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映画 ‘男はつらいよ’ と銘器 ‘中出ギター’

山田洋次さんと

日本の皆様によく聞かれることのひとつに、“私がかつて、寅さん(松竹映画)に出演してギターを弾いたというのは本当ですか?” という質問がありますが、この場をお借りしてお答えしますと、“本当”です。
1985年に製作された、‘男はつらいよ-柴又より愛をこめて’ がそれで、私は劇中、マドンナ役の栗原小巻さん(小学校の先生の設定)の元教え子の青年役として、先生の好きな、‘七つの子’ をギターで演奏しています。
寅さんの映画はギターやマンドリンのBGMが実に多いため、知らないでご覧になると、私こと若い俳優がギターを弾く演技をした後で、専門の奏者がアフレコで音をかぶせたように見えますが、これは実際、私自身がギター独奏用にアレンジを行って演奏したものを、そのままサウンドトラックとして使っているのです。
ですから、昨今ニュース番組などに出演してギターを弾くことはよくあっても、現存する劇映画のなかで私がギターを演奏しているものとなると、これがワン・アンド・オンリーということになりますね。

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宝物

アルゼンチンの日系人の方達がくださった寄せ書き

アルゼンチンの日系人の方達がくださった寄せ書き。皆さんが書いた字のひとつひとつが、なんとユパンキの顔になっています。
そして髪の毛の部分には、私の芸名である‘エル・アリエーロ(牛追い)’の歌詞。
普段はスペイン語で話し、アルゼンチン人として暮らす彼らですが、こうした繊細な心遣いはやはり日本人の血が流れているからなのでしょう。

素敵な贈物 part.2

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アルゼンチンの子どもたちが、色紙をきりぬいてそれを貼りあわせて作ってくれたもので、ひとつひとつに自分の顔と名前が描いてあります。
日本の子どもたちと違って、目と髪の毛にいろいろな色を使っているのが面白いですね。
全部のばすと3メートル近くなりますが、きちんとたためるようになっているのでいつもギターケースに入っています。
もらってもうずいぶん経ちますが、私とアルゼンチンとの縁を物語るように決して切れません。

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アルゼンチンの日系女性、比嘉 幸(ひが さち)さんがくださった手作りの紙製ツル。
見つめているとまるで何かを語るようで、これはもはやアートですね。
アルゼンチンの心あたたかい日系人の方たちは、自分にとってかけがえのない宝物です。
中央の少々つきでているのが私で、紅一点の女性が比嘉さんです。
ブエノスアイレスにて。

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日本手まりの会の江田元一先生にいただいた手まり。
先生みずから、私の音楽の印象で作ってくださった、日本にひとつの大切な宝物です。

このほかにも、アメリカ国内、イタリー、ドイツやフランスの方々からたくさんの贈物をいただきましたが、ここでは手作りのものだけを紹介させていただきました。
ファンの皆様には心から感謝しています。

アタウアルパ・ユパンキ基金

表彰メダル

ニューヨークに、アルゼンチンやペルー、エクアドル、コロンビアなどのラテンアメリカの人々で構成される‘アタワルパ・ユパンキ基金’という非営利団体があり、毎年ユパンキの誕生日の1月31日と、命日の5月23日前後にイヴェントを行います。
南米の貧しいインディヘナ(先住民)の優秀な子供たちに対してファンドレイズをし、奨学金を送るという目的のもとに12年前から続けられている会なのですが、自分は創立時から、もう数え切れないほどの演奏をこの会のためにしたり、ささやかながら寄付を続けていました。
写真は、この前会から受けた、アルゼンチンの国旗色(サッカーのユニフォームでおなじみ?)で飾られた表彰メダルです。

会で演奏

こちらは、会で演奏しているところです。
自分はアメリカで、アルゼンチンをはじめ数多くのラテンアメリカの人々に助けられて生きてきました。
微力ではありますが、この活動を続けてゆきたいと考えています。