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ボストンMIT公演 1998、99年

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アメリカの公演で多いのが大学での演奏ですが、そのなかでもおそらく一番頭のよい方たちがいたのが(他の学校のみなさんすみません!)天下のマサチューセッツ工科大学です。
コンサートの関係者や、学生さんたちからの寄せ書きが書かれたこの写真集。
よい思い出です。

1998(日本) 毎日新聞 ひと

組曲’ナンブ’-ニューヨーク風ヴィラ=ロボス第2番

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石川啄木に魅せられ
組曲‘ナンブ’を作ったフォルクローレ奏者

やはらかに柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
石川啄木の歌を詞に、琴の音に似た美しい旋律をギターの指から弾く。
ニューヨークを拠点に南米のフォルクローレ(民族音楽)の演奏活動を続けて10年の今年、ふるさとに思いを寄せたオリジナル組曲「ナンブ」を完成させた。
「啄木の故郷、岩手を2年前の夏に訪れ、”北上”という彼の言葉に強烈な郷愁をおぼえ、この曲を作りました」
東京で9月、お披露目コンサートを開き、続いて盛岡のライブでは、涙を流して聴いてくれた人もいた。
いとしい人に合えない甘酸っぱい切なさ。それに似た気持ちを「日本」に感じている。
中学生のとき、アルゼンチンのギターの巨匠、ユパンキの来日公演をラジオで聴き、情感豊かな演奏にひきつけられた。ギタリストを志し、26歳で渡米した。
ユパンキに手ほどきを受けた実力派。とはいえ、技量が上達すれば上達するほど「自分はユパンキにはなれない」と悩んだ。
吹っ切れたのはユパンキが亡くなった2年後の1994年。アルゼンチンの山村の小高い丘にある墓の前で弔いの演奏をしたときだった。
「シロ、アリエーロ(牛追い)のようにギターを弾くんだ」。師匠の声が聞こえた。名をシロ・エル・アリエーロと改め、自分の音楽を切り開こうと決意した。
「今、僕の中にいい意味で”日本的なもの”が根づいている」
南米と日本の融合という新たな試み「ナンブ」は来春、ボストンで地元の合唱団をバックに演奏する計画だ。
(文と写真 明珍美紀)

毎日新聞 ‘ひと’ 欄
1998年