
♪♪♪
二週間にわたる今回の日本滞在中、唯一の完全オフ日であった10月13日の夜、青山学院時代のクラスメート8名が、私を都内の新名所「サンダーバード・カフェ」に招待してくれました。
素晴らしい8名の友人たちは、事前に私をどこへ連れて行くかを全く明かさず、さらに現地まではエスコートが付き添うという徹底した極秘ぶり。
いまもサンダーバードの大ファンである私は、この旧友たちによるプレゼントに心から感激しました。
私は青山学院初等部を卒業後、同中等部に入学しましたが、事情により一年生の二学期を最後に同校を退学、その後二度と青山学院の学びやに戻ることはありませんでした。
しかし、いまでもこうして私を大切に思ってくれる当時の仲間たちは、私にとって本当にかけがえのない存在なのです。
(写真提供/Ms. M.T.)
♪♪♪


♪♪♪
先日のNHK「ラジオ深夜便/明日へのことば」の電波に乗って、日本でもその存在が多くの方々に知られた私の恩人、エドワルド・マルティネス・グワジャーネス(本名:ラモン・エドワルド・マルティネス)。
私は、このユパンキの傑作曲に歌われた”ギジェルマおばさん”の実の孫にあたる素晴らしいフォルクロリスタを、友として、そしてフォルクローレ演奏の師として誰よりも慕っていましたが、彼は残念ながら1998年、病のために42歳の若さでこの世を去ってしまいました。
今年はエドワルドの15回忌になります。
私は、来たる10月18日の銀座ヤマハ公演において「ギジェルマおばさんに捧げる歌」を、かつて私をアルゼンチンのユパンキのもとへと導いてくれたエドワルドへの感謝を込めて、万感の思いとともに披露する所存です。
♪♪♪
(写真上)
1991年、ニューヨーク、ジャクソンハイツ(ラテンアメリカ系移民の多く住む地域)の教会サロンにて行ったコンサートのあとのスナップ。
この頃私は長髪が背中まであり(まるでナバホ族…)、レストランのウエイターや、トラックの運転手などをしながらエドワルドとともに活動をしていました。
(写真下)
1992年、エドワルドがニューヨークで主宰していたミニコミ誌「ビダ・イ・エコロヒーア(ライフ&エコロジー)」のパーティーにて、デュオによる「栗毛の馬」を披露。
♪♪♪

In memory of Eduardo Martinez Guayanes (1956-1998)

♪♪♪
今日8月1日、はじめてアメリカにやってきた日から25年の歳月が流れました。
私は現在、気持ちを新たにして来年予定されているアルゼンチンへのツアーの準備をしています。
今日は、アルゼンチンのメディアによる面白い記事をご紹介します。
♪♪♪
このページの記事(こちらをクリック)は、ユパンキと私について報じられたものですが、文中にある、トップの写真と同じユパンキの古い日本国内版レコードのアドバタイズメント(どこから探し出したのか?)をクリックすると、いきなり私が演奏している写真の記事にジャンプします。
かなりユニーク…ザブトン10枚!
10年ぶりのアルゼンチンツアーにむけて、このところ現地とのコミュニケーションも活発になってきました。
必ず成功させる所存です。
♪♪♪
下記写真は、2004年に行われた私の同国へのツアーのポスターです。


♪♪♪
日本は今年、かなり暑いと聞きます。
どうぞ皆様、おからだたいせつになさってください。
7月もはや中旬、そろそろ10月18日の銀座ヤマハ公演の準備にとりかかります。
♪♪♪
ここは、ニューヨーク、クイーンズ区フォレストヒルズの私の自宅から歩いて8分ほどの通りにある「ステータス•クオー」というレストランバー。
夏場はこうして午前2時頃まで外でのんびりできるのが、なんとなくブエノスアイレス風というかヨーロッパ風といいますか…ナイトバードの私のお気に入りの場所です。
♪♪♪

アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界