世界でただひとつのサンダーバード2号
個人的にとても親しくさせていただいている、岩手県奥中山高原のひつじ工房アドナイ・エレの皆さんが、まさに国際平和の象徴ともいえる(?)素晴らしいプレゼントをニューヨークに届けてくださいました。
羊毛100パーセントの草木染による’サンダーバード2号’です。
世界の人々からの素敵なプレゼントの数々
個人的にとても親しくさせていただいている、岩手県奥中山高原のひつじ工房アドナイ・エレの皆さんが、まさに国際平和の象徴ともいえる(?)素晴らしいプレゼントをニューヨークに届けてくださいました。
羊毛100パーセントの草木染による’サンダーバード2号’です。
今回、日本に到着した私を迎えてくれた素晴らしいプレゼントがありました。
ポルトガルの民俗歌謡`ファド`に欠かすことのできない、`ハート`のかたちをした美しいボディーシェープと、潮風の香り漂う調べにふさわしい貝殻を模したヘッドシェープ、そしてさらにその貝殻におちるひとつぶの涙をかたどったトップをもつ小型ギター、`ギターラ・ポルトゲーザ -Guitarra Portuguesa-(ポルトガル・ギター)`です。
貝殻におちた涙ひとしずくが心にひびき、音色となってむせび泣くといった感じでしょうか。
素晴らしいデザインです。
(なお、スペイン語圏諸国では、通常私たちが`ギター`とよぶ楽器のことを`ギターラ`といいますが、ポルトガル語圏の本国ポルトガルやブラジルでは、`ギター`を`ヴィオロン`とよび、`ギターラ`という言葉はこのポルトガルギターをさすのだそうです。起源は古く、もともとこのシェイプをもった楽器はインド生まれで、それが東へ渡ったものが日本で琵琶となり、西へ渡ったたものがポルトガルでギターラとなったといいます。)
実はこの`ギターラ`、現在日本ポルトガル協会長でいらっしゃる高野悦子さんからのプレゼントなのです。
名手カルロス・パレーデスさんの使用楽器を作っていたことで知られる、ジョアン・ペドロ・グラシオ・ジュニオール氏が1962年に高野さんのために製作した、コインブラ・スタイルによる、たいへん歴史的にも価値のある銘器です。
製作者の心がこめられた楽器は、音を出した瞬間にわかるものです。
このギターラ、半世紀近くも前に生まれたものであるにもかかわらず、ボリュームのある素晴らしい音色にはなんともいえぬ哀感がただよい、おそらくこれからの私の音楽にとって、きっと大切な役割を担ってくれることまちがいありません。
SF傑作「ソラリス」の著者として、そしてまた「クラクフの賢人」との異名で知られたポーランドの大作家、スタニスワフ・レムの壮大なスケールの長編小説“大失敗-Fiasko”が、日本でとても親しくさせていただいている久山宏一先生の翻訳により、東京の国書刊行会から出版になりました。。
この「大失敗」、ヨーロッパではすでに、英、仏、伊、独、西、露をはじめとする13カ国語によって翻訳出版されていますが、今回、ヨーロッパ以外の言語で翻訳されるのはこれがはじめてであり、この久山先生の功績は、我々日本人にとっても誇らしい快挙といえるでしょう。
実ははずかしながら私も、この本の翻訳段階でほんのちょっとだけお手伝いさせていただきました。
ぜひ多くの皆様に読んでいただきたいと思います。
久山先生がニューヨークに送ってくださった、シンプルでシャープなデザインの「大失敗」。
これから読むのが楽しみです。
私がお手伝いしたのは、第二章に登場するいくつかのスペイン語名称の読み方ですが、それはほんとうに数少ないもので、決して特筆に値するようなことではありません。
しかし久山先生は本文最後のページで、私に対する感謝の意を表してくださったのです。
先生のお人柄がおわかりいただけることでしょう。
素晴らしい本の出版に際して、ほんのすこしでもお役にたてたことをとても嬉しく思っています。
昨年の12月に、盛岡市立見前(みるまえ)中学校で行ったコンサートはたいへん思い出に残るものでしたが、その後、同校生徒会長である佐藤保乃香さんが嬉しいお手紙をくださいました。
ユパンキの詩「ヒロシマ 忘れえぬ町」に作曲したことから、1992年、広島の皆様の力によって実現した私のはじめての日本での正式公演。
その際にいただいた最上のプレゼントが、この、皆様が心をこめて折ってくださった千羽鶴です。
先日、広島の渡部朋子さんから、新刊書の「ヒロシマと音楽」が送られてきたとき、私は、ユパンキの、“きみが忘れてしまった故郷の木は いつでもきみをおぼえている そして夜ごとに問いかける 幸せでいるかい それとも...” と、歌われる「El Arbol Que Tu Olvidaste (郷愁の老木)」という歌を思い出し、ひとりニューヨークで涙を流しました。
東京に生まれ育った私が、いま、音楽を通じていま世界中にふるさとをもてるようになったのは、そもそもこの広島の皆様が作ってくださったご縁があったからにほかなりません。
8月6日の今日、私はもう一度、「ヒロシマ 忘れえぬ町」の詩をかみしめ、あらためて広島の皆様に感謝をし、そしてまた、戦いが生み出す恐ろしい惨劇が、世界のいたるところで二度とくり返されることのないよう、祈りを捧げたいと思います。