素敵な贈り物 8月6日によせて

千羽鶴

ユパンキの詩「ヒロシマ 忘れえぬ町」に作曲したことから、1992年、広島の皆様の力によって実現した私のはじめての日本での正式公演。
その際にいただいた最上のプレゼントが、この、皆様が心をこめて折ってくださった千羽鶴です。
先日、広島の渡部朋子さんから、新刊書の「ヒロシマと音楽」が送られてきたとき、私は、ユパンキの、“きみが忘れてしまった故郷の木は いつでもきみをおぼえている そして夜ごとに問いかける 幸せでいるかい それとも...” と、歌われる「El Arbol Que Tu Olvidaste (郷愁の老木)」という歌を思い出し、ひとりニューヨークで涙を流しました。

千羽鶴

東京に生まれ育った私が、いま、音楽を通じていま世界中にふるさとをもてるようになったのは、そもそもこの広島の皆様が作ってくださったご縁があったからにほかなりません。
8月6日の今日、私はもう一度、「ヒロシマ 忘れえぬ町」の詩をかみしめ、あらためて広島の皆様に感謝をし、そしてまた、戦いが生み出す恐ろしい惨劇が、世界のいたるところで二度とくり返されることのないよう、祈りを捧げたいと思います。

「ヒロシマと音楽」出版

ヒロシマと音楽

広島の市民団体「ヒロシマと音楽」委員会(委員長・原田宏司広島大学名誉教授)が、東京の汐文社から、原爆や平和をテーマに収集した国内外の1867曲のデータや、活動の歩みを記した本「ヒロシマと音楽」を出版しました。
私にとって、日本での音楽家としてのキャリアの第一歩ともいえる公演は、広島の皆様によって作られたものです。
その後、日本だけでなく、世界中のいろいろな土地を訪れるようになり、いろいろなオリジナルの作品を創るようになりましたが、ユパンキが作ってくれた、この広島との縁がなければ、おそらく何も生まれなかった、そう言っても過言ではありません。
ユパンキが広島を、「忘れえぬ町」と言ったように、 私もこのときの、広島の皆様が私に対して送ってくださった愛情を、生涯忘れることはないでしょう。
本のなかでは、“ラテン系アーティストにみるヒロシマ”、および“「ヒロシマと音楽」と私”のチャプターのところに、私とユパンキのこと、そして「ヒロシマ 忘れえぬ町」のことが、12ページにわたって書いてあり、私もこれを読み当時のことを思い出して感無量でした。
この素晴らしい本を、多くの皆様に読んでいた だきたいと思っています。
(お問い合わせは 汐文社 03-3815-8421)   

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京都大覚寺公演 アディショナル・フォト

京都大覚寺公演

去る4月4日に行われた、都山流尺八の大師範、三好芫山さんとの公演の写真を、そのとき東京からわざわざかけつけてくださったファンのみなさんがニューヨークに送ってくださいました。
桜の下でのリハーサル時のものは、たいへん気に入っているものです。
ファンの方たちが撮ってくださる写真ほどよいものはありません。

京都大覚寺公演

京都大覚寺公演

京都大覚寺公演

El Arriero vuelve a la tierra ‘Nambú’

IPANGU

自分は東京生まれ(虎の門生まれの原宿育ち)ですが、なぜか岩手の美しさに魅せられ、組曲’ナンブ’や、合唱曲の’マト−コタンの物語’などのナンバーを作曲しました。
ニューヨークにいるときも、時々この’第二の故郷’岩手(大好物の盛岡冷麺も含め)を思い、郷愁にひたったりすることもあります。
自分にとってこの岩手とアルゼンチンとの縁は、ほんとうに不思議なものなのです。

写真は岩手県の広報誌’IPANGU’
明け方に行われた撮影でちょっと寒かったのですが、いままで受けた取材でいちばん気に入っている記事です。

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竹村淳さんのこだわり沖縄料理とコスキン’79&’96

日本でたいへんお世話になっている音楽ジャーナリストの竹村淳さんが、私をご自宅に招待してくださり、ご自慢のお手製沖縄料理をふるまってくださいました。
音楽に対して非常に確かな耳をお持ちの竹村さんですが、料理に対してもそのこだわりぶりはたいへんなものです。
おいしいお料理と、ユパンキの貴重な映像を収録したDVDやビデオテープを楽しみながら、楽しいひとときが過ぎてゆきました。

ラフテ−

豚肉たっぷりのラフテ−

チャンプルー

ゴーヤー(ニガウリ)をふんだんに使ったチャンプルー

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アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界

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