カーネギーホール公演完売
40年の歴史をもつオーケストラ「ニューヨークシティー・ハウジング・オーソリティー・シンフォニー」による特別コンサートが26日に行われる。
ソロ演奏にシロ・エル・アリエーロ(大竹史朗)さんを招待し、生え抜きの器楽奏者が室内楽アンサンブルを構成する。
当日はJ.S.バッハ、マックス・ブルック、アントニン・ドボルザーク、ヨハネス・ブラームス、アタウアルパ・ユパンキ、シロ・エル・アリエーロらの作品を演奏する。
■概要
〔日時〕2・26(木)
〔会場〕カーネギー・ワイル・リサイタルホール 57th Street & 7th Avenue
〔料金〕100ドル 75ドル 50ドル 25ドル(学生)
(デイリーサン・ニューヨーク 2009年2月20日)
'カミナンテ' ラティーナ誌レビュー
Shiro El Arriero Caminante
シロ・エル・アリエーロ カミナンテ
●Take Off(テイクオフ :問い合わせ 042-582-4047)
CD-MR-260108
¥2,800
4月6日発売
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●曲目①ラ・フィナディータ ②恋する鳩の踊り ③テノチティトラン3部作 テノチティトラン ④テノチティトラン3部作 コルテス-戦い-大聖堂 ⑤テノチティトラン3部作 存在しつづける古代都市 ⑥パチャママの踊り ⑦前奏曲第4番 ⑧カデンツァ ‐ギターとオーケストラのための協奏曲より ⑨組曲Nambu 啄木の部屋 ⑩組曲Nambu 美しい瞳の少女たちに ⑪組曲Nambu Nambu ⑫組曲Nambu サウダージ ⑬ヒロシマ 忘れえぬ町
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日本には意外なところにユパンキマニアともいうべき人々がいて驚かされる。
だからこそ47年間続くNHK「みんなのうた」のごく初期(67年末)に「眠るインディオの子」が「父さんのポンチョ」の題でいきなり登場して高校生だった私をのけぞらせたりしたものだ。
当然ギター界でユパンキの認知度も南米の近隣諸国に日本は引けをとらないはずだ。
その日本でクラシックからスタートし、ユパンキに傾倒、現在はニューヨークを拠点にフォルクローレや自作曲を演奏するのがシロ・エル・アリエーロ(大竹史朗)である。
ユパンキのレパートリーの①②からあふれ出す瑞々しい音色と⑦⑧のヴィラ=ロボスでの師鈴木巌氏仕込みの技術には正直圧倒される思いだった。
それ以外の彼のオリジナルの緻密な音作りにユパンキのある部分は確かに日本人の琴線と合致することを追認した。
世界を舞台とする現在46歳の好漢に「こういう選択肢もあったのか!」の驚嘆と敬意を捧げる。
瀬賀倫夫
(ラティーナ誌6月号 新譜CDレビューより)
El Arriero Nipón
アルゼンチンの最大手紙、'クラリン'が発行する、質の高いアート&カルチャー誌、Revista Ñが、1月26日付でユパンキ生誕100年を記念する大きな特集記事をリリースしました。
哀愁に満ちた調べ
南米のフォルクローレを演奏するギタリストで、米ニューヨークを拠点に活動するシロ・エル・アリエーロ(本名・大竹史朗)さんとポルトガルの民族歌謡、ファドの歌い手、はらだじゅんさんとのジョイントコンサート「ティエラ・エテルナ」が15日午後2時、中央区銀座4の王子ホールで開かれる。
ポルトガルの国民的歌手で、「ファドの女王」と呼ばれた故アマリア・ロドリゲスが2人を引き寄せた。もとはシャンソンを歌っていたはらださんは結婚、出産で音楽活動から一時離れ、長女の成人を機に01年元旦にデビュー。その大きな目標が「アマリアの歌に挑戦すること」で、「彼女の歌には人間の運命、宿命が込められている」。一方のシロさんも、その歌声に魅せられた一人で、「ファドには興味があった」と話す。
「ティエラ・エテルナ」(永遠の地の意)の名でデュオを組むことになり昨年12月、レストラン「ヌキテパ」(品川区)でのステージを経て今回のコンサートにこぎつけた。当日はファドの名曲やシロさんの新作「南米舞曲」などが披露され、哀愁に満ちた調べが漂う。
6000円。事務局(03・3501・1301)。<明珍美紀>
毎日新聞 2007年(平成19年)4月5日(木曜日)朝刊 "Stage ・聴く"欄
「寄寿姫」思い歌う
東北ツアーのパート2(実際は皮切りの10日でした)は、岩手沼宮内で行った私の新作「寄寿(よりじゅ)」お披露目公演。現地の最大手紙である岩手日報が大きく報じてくれました。私と寄寿との出会いが簡潔に書かれてありますので、その記事をご紹介したいと思います。
米国・ニューヨークを拠点に活動するギタリストの大竹史朗さんは十日、岩手町でコンサートを開く。同町の伝説に登場する「寄寿姫」をモチーフにした新曲「よりじゅ」を発表する。 大竹さんが五月に同町を訪れた際に、街の駅よりーじゅ前に設置されている寄寿姫のブロンズ像を見たり、伝説を聞くなどして「新曲が浮かんだ」という。コンサートは同町沼宮内のコミュニティースペース「山見の里 かきくけこう」で開かれる。大竹さんは築100年余りの旧家の母屋を改築した重厚な趣を気に入ったという。
大竹さんはフォルクローレ・ギターの巨匠とされるアルゼンチンのアタワルパ・ユパンキに指導を受け、シロ・エル・アリエーロの名前で世界的に活躍している。
国内でも毎年ツアーを行っている。岩手の自然に愛着を深め、八幡平市にある友人の宿泊施設に立ち寄るようになった。本県にちなんだ歌曲も数曲ある。
寄寿姫は沼宮内の知名の由来の伝説に登場し「自らいけにえに名乗り出て大蛇を鎮め、地域に平和をもたらした」と語り継がれている。
新曲「よりじゅ」の歌詞には、「石神」「寄寿」と地名がなどが盛り込まれ、風景を歌いつつ、恋愛の切なさを感じさせる静かな曲調という。
コンサートなどを企画している」ひょうえもんの主催。柴田和子社長は「地域のシンボルに光があたってうれしい。新曲を町の文化活動にどう生かしていけるか、今後の展開が楽しみ」とPRする。
(岩手日報 2006年12月9日)
大竹史朗が奏でNY公演熱気に
南米の民族音楽フォルクローレを演奏するニューヨーク在住ののギタリスト、大竹史朗が9月22日夕、NY日系人会館ホールで、「郷愁を奏でる孤高の騎士、大竹史朗の夕べ」を開催した。
師と仰ぐ故アタウアルパ・ユパンキの「栗毛の馬」を当時聴いたままのオリジナル奏法によって再現、本格的なアルゼンチンのフォルクローレ曲を8曲披露、会場は熱気に包まれた。
(週間NY生活 2006年10月7日)
9.22 ニューヨーク日系人会ホール公演にむけて 4
南米の民族音楽フォルクローレを演奏するニューヨーク在住のギタリスト、大竹史朗が9月22日(金)、午後7時からニューヨーク日系人会館ホールで、「郷愁を奏でる孤高の騎士、大竹史朗の夕べ」を行う。
大竹は、昨年9月のハンターカレッジでのソロ公演成功後、年末にペルーのリマで1200人の聴衆を前に演奏、さらに今年春には、京都大覚寺を舞台に久々の日本公演を行うなど精力的に演奏活動を続けている。
ニューヨーク日系人会では、6月に一度ゲスト出演して演奏したことがあるが、今回は、大竹が13歳の時に始めてラジオで耳にした師と仰ぐアタウアルパ・ユパンキの「栗毛の馬」を当時聴いたままのオリジナル奏法によって再現、本格的なアルゼンチンのフォルクローレの音を披露するという。
大竹は、「ユパンキの継承者などという人もいますが、自分ではそんなことは意識したことはなく、オーセンティックな域にようやく足を踏み入れることができたということをようやく自覚している段階です」と話す。
当日は、日本の郷愁に影響を受けて作った南部組曲も演奏し、日本人の心を通してアルゼンチンやペルーなどの、南米の旋律を演奏する。一曲のメロディーがひとりの少年の人生を決めたその証を歌い上げ、奏でる夕べとなる。
(週間NY生活 2006年9月9日)
「ヒロシマと音楽」出版
広島の市民団体「ヒロシマと音楽」委員会(委員長・原田宏司広島大学名誉教授)が、東京の汐文社から、原爆や平和をテーマに収集した国内外の1867曲のデータや、活動の歩みを記した本「ヒロシマと音楽」を出版しました。
私にとって、日本での音楽家としてのキャリアの第一歩ともいえる公演は、広島の皆様によって作られたものです。
その後、日本だけでなく、世界中のいろいろな土地を訪れるようになり、いろいろなオリジナルの作品を創るようになりましたが、ユパンキが作ってくれた、この広島との縁がなければ、おそらく何も生まれなかった、そう言っても過言ではありません。
ユパンキが広島を、「忘れえぬ町」と言ったように、 私もこのときの、広島の皆様が私に対して送ってくださった愛情を、生涯忘れることはないでしょう。
本のなかでは、“ラテン系アーティストにみるヒロシマ”、および“「ヒロシマと音楽」と私”のチャプターのところに、私とユパンキのこと、そして「ヒロシマ 忘れえぬ町」のことが、12ページにわたって書いてあり、私もこれを読み当時のことを思い出して感無量でした。
この素晴らしい本を、多くの皆様に読んでいた だきたいと思っています。
(お問い合わせは 汐文社 03-3815-8421)
El Arriero vuelve a la tierra 'Nambu'
自分は東京生まれ(虎の門生まれの原宿育ち)ですが、なぜか岩手の美しさに魅せられ、組曲'ナンブ'や、合唱曲の'マト−コタンの物語'などのナンバーを作曲しました。
ニューヨークにいるときも、時々この'第二の故郷'岩手(大好物の盛岡冷麺も含め)を思い、郷愁にひたったりすることもあります。
自分にとってこの岩手とアルゼンチンとの縁は、ほんとうに不思議なものなのです。
写真は岩手県の広報誌'IPANGU'
明け方に行われた撮影でちょっと寒かったのですが、いままで受けた取材でいちばん気に入っている記事です。