広島世界平和記念聖堂ライヴ音源 I
これまでに、数多くの中南米の国々において、実に数え切れないほどの素晴らしい体験をしてきた私ですが、なかでももっともパワフルな血となり、そして糧となっていまも私を内側から支え続けているものが、アルゼンチンのコルドバ州北部の大地と、そこに暮らす人々との出会いと言っていいでしょう。
今日は、北部コルドバの力強く美しい民衆の姿を、かの地を代表するリズム、’ガト’を用いて作曲した私のオリジナル・ギターソロ、’ラ・サンティアゲーニャ’を、去る4月、やはり忘れられない思い出となった、広島世界平和記念聖堂リサイタルにおけるライヴ・レコーディング・ヴァージョンでお楽しみいただきたいと思います。
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Shiro El Arriero Caminante
シロ・エル・アリエーロ カミナンテ
●Take Off(テイクオフ :問い合わせ 042-582-4047)
CD-MR-260108
¥2,800
4月6日発売
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●曲目①ラ・フィナディータ ②恋する鳩の踊り ③テノチティトラン3部作 テノチティトラン ④テノチティトラン3部作 コルテス-戦い-大聖堂 ⑤テノチティトラン3部作 存在しつづける古代都市 ⑥パチャママの踊り ⑦前奏曲第4番 ⑧カデンツァ ‐ギターとオーケストラのための協奏曲より ⑨組曲Nambu 啄木の部屋 ⑩組曲Nambu 美しい瞳の少女たちに ⑪組曲Nambu Nambu ⑫組曲Nambu サウダージ ⑬ヒロシマ 忘れえぬ町
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日本には意外なところにユパンキマニアともいうべき人々がいて驚かされる。
だからこそ47年間続くNHK「みんなのうた」のごく初期(67年末)に「眠るインディオの子」が「父さんのポンチョ」の題でいきなり登場して高校生だった私をのけぞらせたりしたものだ。
当然ギター界でユパンキの認知度も南米の近隣諸国に日本は引けをとらないはずだ。
その日本でクラシックからスタートし、ユパンキに傾倒、現在はニューヨークを拠点にフォルクローレや自作曲を演奏するのがシロ・エル・アリエーロ(大竹史朗)である。
ユパンキのレパートリーの①②からあふれ出す瑞々しい音色と⑦⑧のヴィラ=ロボスでの師鈴木巌氏仕込みの技術には正直圧倒される思いだった。
それ以外の彼のオリジナルの緻密な音作りにユパンキのある部分は確かに日本人の琴線と合致することを追認した。
世界を舞台とする現在46歳の好漢に「こういう選択肢もあったのか!」の驚嘆と敬意を捧げる。
瀬賀倫夫
(ラティーナ誌6月号 新譜CDレビューより)
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いまを遡ること14年前、1994年2月、盛夏のアルゼンチン、コルドバ州セロコロラド。
私は、そのさらに5年前の1989年1月に、かの地においてギターの手ほどきをしてくれたアタウアルパ・ユパンキ(1908-1992)のお墓を訪れ、追悼演奏を行いました。
ユパンキとのセロコロラドでの出会い同様、このトピックも、これまでウェッブサイト上でご紹介をしていなかった当時の記録です。
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いまから20年前の1988年8月1日、ニューヨークへ単身乗り込んできた私を待っていたのは、私のこれまでの人生においても、もっとも不思議なできごといえる、南米フォルクローレの最高峰、巨匠アタウアルパ・ユパンキ(1908-1992)との出会いでした。
(写真) 1989年1月、81回めの誕生日を目前にした、80歳のアタウアルパ・ユパンキと、26歳の私。
アルゼンチン、コルドバ州セロコロラドの、ユパンキのサマーハウス玄関口にて。
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ニューヨークに戻ってから、すぐにアメリカ国内での遠征が三つ重なり、またウェッブサイトのニュー・サーバーへの引越し(当ホームページ管理人の山本理恵子さんに深謝)などがあったため、アップデートがだいぶ遅くなりました。
これは、去る4月12日、素晴らしいコンサートを主催してくださった岩手県奥中山高原、日本キリスト教団奥中山教会の皆様への私からのペイバック。
コンサート翌日の13日の朝、教会の日曜礼拝に出席した私は、’さんびあかし’を行いました。
教会員、戸田清志さんによる、’< 夏>虹のかかる奥中山教会’(上)。
そして’< 春>朝靄の奥中山教会’(下)。
続きを読む 銀河の国の ”ユパンキ生誕100年記念祭” II →
アンダルシアのレモンと、イタリアの濃厚なハチミツに、アタウアルパ・ユパンキの魂が溶け合う、静寂のグロリエータ(四阿)「カンテホンド・イベロアメリカーノ」の音楽世界